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山本義隆 『原子・原子核・原子力』 岩波現代文庫

高校生の頃、駿台に通っていた。高一クラス、高二日曜テスト科、高三クラスに通った。文系なので理科の科目は受講していない。それでも山本先生の物理が人気講座であることはよく知っていた。当時の予備校の授業というのはエンターテインメントだった。それぞれの予備校に人気講師がいて、その授業には立ち見が出るほど生徒が群がった。

本書は山本先生の高校生・受験生向けの講義録という体裁になっている。本書の元になっている講義は2013年3月に駿台予備学校千葉校で行われた。字面が口語なのでソフトに響くかもしれない。しかし、ある程度物理や化学の素養がないと、特に前半の科学史は厳しい気がする。それをなんとか食らいついて読み進めた。難渋したが、読み終えた達成感のようなものはある。

本書の肝は最後の部分だろう。

最後に、経済学者の安冨歩という方の書物から引用させてもらいます:
 原子力を使うことの本質的問題は、使っている今、問題が出るばかりではなく、将来にも出ることであり、それが一体、どういう規模のどういう被害なのか、見当がつかない、という点にあります。不確定性が大きすぎるのです。

このことは人類の遺伝子にとって、そして人類の生存条件である地球の環境にとって、そのすべてについてあてはまります。くりかえしますが結果が出てからでは手遅れなのです。

305頁

そもそも原子力の何がどのように危険か、という根本の議論があまり聞こえてこない。それ以前に原子とは何かというところが一般常識の域に達していない。わけのわからない者どうしが思い込みと思惑だけをたよりに騒ぎ、あるいは、上の言うことだからと現場がそれぞれに動いて今に至っている。スリーマイル、チェルノブイリ、福島などと取り返しのつかないことが何度起こっても反省がないままに事が進むのは、理解がない証左だろう。

なんとなく、世間では科学に暗黙の信頼を置いているかのように感じられる。不可能が可能になったいくつもの事例を自分自身の生活の中で体験として蓄積し、それが世代から世代へと継続しているのだろう。それは科学史の展開が産業革命辺りから急加速している所為もあると思う。そうした人間の実感の部分が思考に影響しているのは確かだ。過去には可能であったのが今は不可能になったということだってたくさんあるはずなのだが、それはある種の自然淘汰や無視しうる不都合として顧みられることがない。

本書は原子とは何かというところから話が始まる。全7章305ページのうち、1章から6章まで256ページが原子を巡る科学史だ。読んで感じたのは、科学の歴史が思いの外新しいということだ。原子に関しては、物体の究極の姿として、それ以上分割不可能な原単位のようなものを探ることは文明史の始めのころからあったようだ。しかし、探ろうにも道具がない。いくら精緻な論理を組み立てたところで、実証できなければ空想に過ぎない。それまで人類がああでもないこうでもないと溜め込んできた空想のなかから本格的に科学が生まれるのが産業革命以降であるのは、科学技術の大きな展開によって様々な道具類やエネルギー源の利用が容易になったからであろう。「科学的には」どうのこうの、というと相当確かなことのように感じるが、その確かな感じというのはそれほど確かではないようだ。

いざ実験や計測が可能になってみると、究極の物質は陽子と中性子から成る原子核だということになった(但し、水素は陽子1個のみ)。この陽子と中性子の個数の和を質量数(「質量」とは違う)と呼び、それによって原子核の種類、元素が決まる。約束事として、陽子の数が原子番号と定義されている。例えば水素は陽子が1個なので、原子番号は1番だ。ウランの原子番号は92、つまりウランの原子核には92個の陽子がある。ざっくり言ってしまえば、個数が少ないほうが安定するし、また、座りの良い数というものもある。原子核の周りを電子が回っており、原子核と周回している電子で原子を構成する。この原子とその構造が明らかになったのが20世紀の初めの頃だ。

陽子の数が同じでも、中性子の数が異なる原子核の構成がある。これを同位体(アイソトープ)と呼ぶ。ウランは陽子の数が92なのだが、中性子の数が142、143、146のものが自然界に存在することが知られている。中性子が142だと質量数は234(=92+142)ということになる。このウランを「ウラン234」と呼ぶ。同様に中性子143のものが「ウラン235」、中性子146のものが「ウラン238」である。自然界に存在するウランの99.2746%がウラン238だが、天然に多く存在するということは、物質として安定しているとも言える。ウラン235は核分裂を起こし易いが、ウランの0.72%に過ぎない。

核分裂とは、この陽子と中性子から成る原子核が分裂することをいう。分裂すれば陽子の数が変わるので、別の元素になるということでもある。原子核に外部から中性子が捕獲されると、その中性子が核内の核子(陽子と中性子)と衝突を繰り返し、原子核は振動(収縮と膨張)を始め、やがて振動が大きくなって原子核が分裂する。質量数は保存されるので、分裂後の陽子の数は分裂前と変わらない。例えばウランが分裂してバリウムが取り出されたとすると、バリウムの陽子数(元素番号)は56なので、相方はクリプトン(元素番号36)ということになる(56+36=92)。分裂はただ分裂するのではなく、その際にエネルギーを放出する。自然界に存在する元素は何億年、何十億年という時間を経て落ち着いた先にあるものなので、それをいじればタダでは済まないというのは感覚として了解できる。殊に多数の陽子が結合してできたものは、それだけそこに至るまでの何かがあったのであろうから、それが分裂するとなるとエライことになるというのは直感としてわかる。また、核力の性質として、陽子と中性子が同数のとき最も安定となる。

核分裂では、原子核が分裂する際に複数の中性子を放出することがある。その中性子が別の原子核に捕獲されると、その原子核が同様に分裂する。つまり、核分裂が連鎖する。放出された中性子が全て原子核に捕獲されるわけではなく、ただ当て所なく飛び去ってしまうこともあるが、物質として存在するものは多くの原子から構成されているので、高い確率で別の原子核に捕獲され、それが連鎖反応を起こす。このため、核分裂はただでさえ大きなエネルギーを発散するものが、連鎖反応で桁違いの規模になる。

どのくらい「桁違い」なのか。電気事業連合会のサイトがわかりやすく説明している。

核分裂は大量の熱エネルギーを発生させます。原子力発電は、この熱エネルギーを利用して、水を水蒸気に変え、この水蒸気によってタービン・発電機を回して発電します。

ウランの核分裂によって、どのくらいのエネルギーが生まれるかというと、ウラン235は1グラムで、石炭3トン、石油2000リットル分のエネルギーを生み出すことができます。ウラン燃料と化石燃料では、発生する熱エネルギーの量が格段に違います。原子力は、少量の燃料で大きなエネルギーが取り出せるので、燃料の運搬、貯蔵の面でも優れています。

出所:電気事業連合会
出所:一般財団法人 日本原子力文化財団 エネ百科 原子力・エネルギー図面集

それでウランだが、天然に存在する元素は92あって、ウランの原子番号(=陽子数)は92。つまり、天然に存在する最大の原子核はウランのそれであって、また、陽子数が最も多く、その上、核子数が奇数でもあるウラン235は相対に最も分裂しやすいということでもある。エネルギーを取り出すことを意図するなら、当然、対象として狙うべきはウラン235だ。圧倒的な爆発力のある兵器の開発を意図したマンハッタン計画がウランの核分裂を利用しようとしたのは合理的なことである。

本書254ページの図6.4-10はウラン235の核分裂の連鎖反応が示されている。図の中の「核分裂片」がバリウムやクリプトンのことである。ウラン235は核分裂の際、平均2.5個の中性子を放出する。前にウランの同位体について書いた中で、自然界に存在するウランの99.2746%がウラン238と書いたが、これは核数が偶数で安定しているものの、それで安泰というわけではなく、ウラン235同様に中性子を捕獲して、ウラン239になる場合がある。これは不安定なので崩壊するが、その際にプルトニウムという原子番号94に変わることがある。崩壊することで原子番号が大きな元素に変わることをβ崩壊といい、崩壊に際してβ線という放射線を発する。バリウムやクリプトンの同位体の中にはβ崩壊を起こす放射性元素があり、β崩壊によって原子番号56のバリウムから同57のランタンへ、同36のクリプトンから同37のルビジウムへ、最終的には安定なネオジウム(原子番号60)とジルコニウム(同40)になるまでβ崩壊を繰り返す。つまり、本書256ページの図6.4-11に示される例では、ウランが核分裂を始めると、ネオジウムとジルコニウムになるまで放射性物質を出し続ける。この放射性物質を総称して「死の灰」などと呼ばれる。

本書254ページ
本書256ページ

核分裂によってエネルギーを得るということは、それに伴って放射性副産物を抱えるということでもある。放射性物質の何が危険かと言えば、上記のように不安定な組成のために容易に崩壊し、原子核レベルで物質を変質させてしまうことである。我々の身体も物質であり、当然に原子でできている。放射性物質に晒されることで臓器の細胞が損傷するばかりでなく、DNAレベルでも影響を受ける。直前の段落で書いたように、核分裂は最終的には安定するが、そこに至るまでに放出された放射性物質の半減期は、数時間とか数日というような短いものもあるが、数億年と途方もなく長いものもある。

出所:一般財団法人 日本原子力文化財団 エネ百科 原子力・エネルギー図面集

現在、我々人類は原子爆弾を手にし、原子力発電所と原子力船(空母、潜水艦、砕氷艦)を稼働させている。しかし、このことが我々が原子力や原子核の反応をコントロールできているということと同義ではないことは明らかだ。原発の稼働に伴って発生する核廃棄物は「中間貯蔵」として埋設管理されている。「中間」というくらいだから「最終」があるのだろうと思ったら、現時点でそんなものはない。そのうち誰かがなんとかするだろうという期待があるだけだ。また、ウランの採掘、精錬、燃料への加工といった一連の工程が全く無人で行われているはずはないだろう。発電所や艦艇など原子力の最前線にも当然多くの人が関与している。そうした人々の安全対策が完璧なまでに整備されているのは当然だろう。しかし、何が安全で何が危険なのか、我々はどこまで理解しているのだろう?

本書に登場する科学者を生年月日の順に並べると以下の表のようになる。本書の論旨の関係上、原子にまつわる科学者に限定されるが、やはり19世紀以降に集中している。現在の原子というものの概念を構想したのがジョン・ドルトン(1766/9/6-1844/7/27)ということにすると、そこから実際にアーネスト・ラザフォード(1871/8/30-1937/10/19)が原子核とその構成要素である陽子を発見するまで約100年だ。少し遅れてもう一つの構成要素である中性子がジェームズ・チャドウィック(1891/10/20-1974/7/24)によって発見され、ようやく原子核物理学の駒が揃う。本書の性質上、取り上げる学者の人選は著者の主観を交えざるを得ないが、それにしてもリスト後半はノーベル賞受賞者とマンハッタン計画関係者で占められているのは注目に値する。原子力は人類の叡智を集中的に注ぎ込んで開発したエネルギーと言っても過言ではないだろう。それにしても、だ。だから信頼に足る安心安全なものだと言えるのか?

本書の記述に拠り熊本熊作成 氏名の表記、生没年、備考欄はWikipediaに拠る

繰り返しになるが、本書は高校生・受験生を対象にした講義録だ。ここに書かれていることは、少なくとも日本の高等学校教育を受けた者は理解していて然るべき、とも言える。そうやって大学受験をして、卒業した人々が日本の原子力にまつわるあれこれを支えているのは事実だ。原子というもの、原子力というものを理解した人たちが日本の原子力政策を企画立案し、執行しているはずだ。私は本書を読むのにだいぶ難渋し、何度も読み返し、ようやく昨年12月の上旬に読み終えた。そこからこのnoteに書くのにさらに難儀し、毎日少しずつ書き進めて約一ヶ月かけて本日を迎えた。それでも原子については「わかった」とはとても言えない。わかっていないのに、こんなことを言うのもなんだが、今の原子力政策というのは大丈夫なのだろうか?

見出しの写真はロンドンのTate ModernのメインエントランスでもあるTurbine Room。この建物は元火力発電所だ。火力発電に使う石炭や重油その他も健康被害を引き起こすような汚染物質を含んでいる。それでも、跡地を美術館のような人寄場所として再利用できる。原発の跡地をこんなふうに再利用できるだろうか?

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熊本熊
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