真鍋昌弘 校注 『閑吟集』 岩波文庫
懲りもせず何度も試みているのだが、歌集とか句集のようなものを読みながら通勤したらオツかもしれないと、思い出したようにそういうものを手にしてみる。大抵は「やっぱりこういうのはオレには向かないな」と思って、そういうことが続くことはないのだが、間欠泉のように手に取ってみたいという衝動が湧くのである。
本書に収載されているのは歌謡で15世紀後半から16世紀前半に世間一般で流行したものらしい。今とは違って、娯楽の種類も限られていた時代なので、おそらく本書にあるものは国民常識のようなものであったと思われる。もちろん識字率は現在とは比べものにならないくらい低かったであろうから、書かれたものが先にあって流通するというより、流行していた歌謡の一部が文字で記録されて今日にこうして至っているはずだ。
たまたま先日、狂言の舞台を観た。ツレの学校時代の友人が狂言を習っていて、その縁で時々狂言を観る。今回は「第十八回 狂言ざゞん座 夢か現か」で会場は宝生能楽堂。演目は「小舞 海人」、「狂言 悪太郎」、「狂言 花子」だった。この「花子」の中に『閑吟集』にある謡が登場する。
「花子」では、夫が妻に「持仏堂で籠り座禅をする」と嘘をついて以前に仕事で出かけた先で知り合った女(花子)のところに出かける。持仏堂には自分の影武者として太郎冠者に頭から小袖をかけて座禅をしている風を装おってもらう。持仏堂に様子を窺いに来た妻に太郎冠者を身代わりに出かけたことがバレるが、今度は妻が太郎冠者の身代わりとなって、持仏堂で夫の帰りを待つ。そこへ女との逢瀬を楽しんできた夫が上機嫌で帰ってくる。その上機嫌ぶりを表現するのに、夫は歌謡を口ずさんでいる。その歌謡が『閑吟集』に収載されているものや、それらに関連したものなのだ。
以下、謡の部分の抜書きだ。最初は花子のもとから上機嫌で戻る夫が、花子との逢瀬を思いながら謡う小歌。
二曲目は『閑吟集』筆頭の歌の後半だ。
夫が花子との逢瀬から上機嫌で戻る場面の冒頭部分に『閑吟集』の最初の歌が登場するのは、この狂言が成立した当時、この歌が聴衆の気持ちを舞台に惹きつけるのに効果的だったということだろう。それだけこの歌が広く知られていたということの証左でもある。
帰ってきた夫は持仏堂に入る。夫は持仏堂で小袖を被って座っている妻を太郎冠者だと思い込み、逢瀬のことを謡を交えて熱く語るのである。その語りの中の謡の部分が以下の引用だ。
花子のもとを訪れて、まずは中の様子を窺う。すると花子はこんな独り言を謡で語りながら自分のことを待ち焦がれていたというのだ。
現代語訳は以下。歌は当時の人々にとって当然わかりきったことを省略しているので、原文よりも長くなる。
ホントかよ、と思う。夫が太郎冠者にノロケを語っているのだろう。「いぁー、彼女ったら、オレのことを待ち焦がれちゃってるわけよ」なぁんていうのが、上の二つの歌で活写できているのである。
夫の方も一刻も早く花子に会いたい。思わず、その家の戸を大きな音を立てて叩く。中から「誰そ」という花子の声。そこで夫はこう答える。
実際にこういう会話があったかどうかが問題なのではなく、太郎冠者という第三者に自分の逢瀬を自慢げに語るのに、こんなことを言ってみたいのだ。
久しぶりの逢瀬で、盃をやったりとったり、思いはいよいよ熱くなる。
現代語訳の平文を読んでさえも、なんともバカバカしい限りだが、謡で語られるとどうなんだろうと思う。たぶん、もっとバカバカしいか。謡なので節がついているから、調子に乗りやすいのかもしれない。相手が太郎冠者であったとしても、これを言ってはマズイだろう。
しかし、ここで妻は小袖を外して立ち上がり、「コラ、もう一度言ってみい」とはならない。ずっと聞いている方が、たぶん、もっと怖い。その観客の恐怖感とは裏腹に、夫の話は続く。そして、ノロケ話のクライマックスは謡で締める。
「音もせで…」は『閑吟集』の227番の歌そのまま。「名残の袖…」は228番の歌を下地にしている。
歌や句に限ったことではないだろうが、言葉というものは、それだけを取り出してみても誰かの心に届くものではない。それが媒介となって何事かの世界を伝えてこそ意味を成すものだろう。当然、そこには言葉が媒介として機能するに足る共通体験や共有する価値観が話し手の間に存在しなければならない。『閑吟集』だけを文庫本で読んだところで、そこに書かれている文字から自分が触発される経験がなければ、単なる印刷物という無機物に過ぎない。『花子』の中で謡われる小歌を聴き、その活き活きとした言葉の躍動を感じてふと思った。自分には活き活きとした体験がないのではないか、と。