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ボードレール 堀口大學訳 『悪の華』 新潮文庫
なぜこの本が我が家にあるのか、今となってはわからないのだが、購入したのは『口訳万葉集』と一緒だった。読み始めたから一応最後まで読んだが、子供が書いたものみたいで、少しも感心しなかった。尤も、原語で読んだわけでもないし、堀口大學という高名な人の手によるとは言いながらも翻訳なので、私は本書を「読んだ」とは言えないかもしれない。
ここ数年、短歌だの俳句だのを齧ってみてはいるものの、文学なるもののことはさっぱりわからない。本書についても一応字面を追ってはみたものの、何も感じないという経験をしただけだった。
ただ何となく思ったのは、この人は最初から生きてはいなかったのではないかということだ。父親は元老院事務局長だった。おそらく大した地位だ。フランス革命、第一帝政、王政復古、七月革命、二月革命、第二共和制、第二帝政とフランスは18世紀末から19世紀中盤にかけて目まぐるしく国家体制が変動する中にあって、元老院はフランス革命で創立されて以来、国家の権威の拠り所として比較的安定した地位にあったようだ。その事務局長であるからその地位は推してしるべしだ。
あくまで「歴史」と称される伝聞から想像するだけだが、「革命」で起こった新体制は「革命」が否定した旧体制の居抜きのような社会を創る。王政を倒した革命派は、結局、呼び方が「王」ではないというだけで「王」に類した権力中枢を構築する。おそらく人間の思考がそのようにできているのだろう。
近頃もさまざまな「弱者」を守ろうという看板が林立しているが、それによって誰かが本当に救われるということはほとんど無くて、問題の所在が別のことに置き換えられたりするだけのようにしか見えない。おそらく、何かが「改善」されたように見える変化によって利権や利害が大きく動き、その恩恵を享受することが「政治」というものなのだろう。
ボードレールはその体制側の人間だということは心に留めておく必要があるかもしれない。当時のフランスの一般大衆の側からすれば、どのように見られる立場にあった人なのか、ということだ。せっかくなので、本書から少し引用を並べておく。
一日の終り
恥知らずで騒々しい「人生」という奴は
陰気な照明の下を、走ったり、踊ったり、
理由もないのにもがいたりしている。
だからまた、地平線に、
楽しい夜が姿を見せ、
一切を、飢えまでも、宥めすかして、
一切を、恥までも、打ち消し去ると、
早速に、「詩人」が呟く、
《やれやれ!
僕の心も、大骨も
休息したい気持ちで一杯、
胸はさびしさで一杯ながら、
ひと先ず仰向けに寝ころぼう、
おお、気持ちのいい闇よ、
そなたの帳にくるまって!》
南無三宝! よろめく独楽を、跳びはねる鞠を、
僕らは真似ているわけだ。眠っていても
「好奇心」は僕らを苦しめ、追い廻す、
まるで太陽に鞭を当てる酷い天使だ。
何たる奇運だ、目標が移動するとは、
つまり、何処にもないので、何処でもかまわないとは!
その希望、疲れを知らない「人間」が、
安息を探し当てようと狂人のように駆け廻るとは!
僕らの魂は、理想郷を探し廻る大船だ、
甲板に声が聞こえる、《しっかり見張れ!》
狂おしい熱気を帯びた檣楼の声がわめいた、
《恋だ…名誉だ…幸運だ!》ところが、それは暗礁だ!
「どうでもいいから、とりあえず働け」と言ってやりたい。
本書の原書はボードレールが36歳の時に出版したものだ。彼はいわゆる「ボンボン」で、21歳の時に亡父の遺産7万5千フランを相続したが2年で使い果たし、以後一生借金漬けの日々を過ごしたのだそうだ。山田風太郎の『人間臨終図巻』には次のような記述がある。
彼は四十歳のころから健康を害していた。それは梅毒によるものであった。(略)一八六六年三月中旬、彼はベルギーのナミュールのサン・ルー教会にゆき、突然また発作を起こして石だたみの上に倒れ、それ以来半身不随と失語症の症状を起こして、カトリック系の慈善病院にいれられた。
結局、パリに帰るが1867年8月31日、46歳で亡くなる。『悪の華』は出版時に背徳の書とされ、ボードレールは罰金刑を受けた。それだけでなく、生前はほとんど顧みられることがなかった。そりゃそうだろう。世間に余裕がないとこういうものは評価されないと思う。
ちなみに翻訳版である本書の奥書には「昭和二十八年十月三十一日発行」とある。日本では戦争が終わって一息ついて、ようやく余裕が生まれ始めた頃だ。なんだかんだいろいろあるけど、今はいい時代だと思う。
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