エアコンを買った理由 『サイレント・アース 昆虫たちの「沈黙の春」』
2013年5月に今の住まいに越して来てから2023年6月までエアコンがなかった。暑くて眠れない夜というのはあったのだが、一夏にせいぜい一週間か10日ほどで、そこを耐え抜けば年間残りの355日ほどはエアコンの必要性を感じなかった。それが2018年あたりから様子が変わってきた。加齢で体力が低下したというのもあるが、なんとなくこのままというわけにはいかないのではないかと思うようになった。理屈ではなく、勘というか、感というか。
2019年は記録の上では前年よりも暑かったのだが、風の無い日がなかった所為で、少し危機感が遠のいた。2020年は感染症騒動一年目で街中が静かになって、こちらの気分も普段に増して呑気になり、危機感がさらに遠のいた。2021年も同じような感覚のまま過ぎ、2022年になって、やっぱりどうしようかなと思い直した。2023年の6月の初めに急にエアコンを買うことに決めた。何かきっかけがあったわけではない。理屈ではなく、勘というか、感というか。
ちなみに、気象庁のサイトにあるデータによると、私が暮らしている調布の隣町である府中の8月の平均気温(日平均、日最高、日最低)は以下のように推移している。
2018年 27.8度 32.7度 23.8度
2019年 28.0 32.8 24.7
2020年 29.0 34.6 24.7
2021年 27.0 31.2 23.5
2022年 27.2 31.6 23.5
2023年 28.7 33.6 24.9
2024年 28.8 33.9 25.2
出所:気象庁
勤めに出ていて昼間は家にいないので、夜間から早朝にかけての気温とか湿度が自分が家にいて感じる暑さの基準になっている。そう考えると日最低気温の月間平均が低下から上昇に転じた2023年にエアコンを買うと決めたのは環境変化への自然な反応のようにも見える(実際に購入したのは6月なのだが)。ここで平均的な気温の上昇が一段落すれば「やれやれ」ということになるが、このままジリジリと上昇を続けると次の対策を打つとか、もっと根本的に思考を転換する(万事諦める)といったことが必要になる。それは今日明日をどうするかという切羽詰まったものになる。
本書では気候変動のフィードバックループについてこう書かれている。
「早くて2030年には、地球温暖化は制御不能になって人類では止められない」なんてことになったらエライことだ。2030年だと。もうすぐじゃないか。CO2もさることながらメタンがいけないらしい。みんなで屁を我慢しないといけないなんてことになるかもしれない。どこぞの県知事が「俺は知事だぞ」と言って屁をしまっくたら、やはり百条委員会でも開くのだろうか。そうなったら歴史に残るかもしれない。「おねだり放屁事件」。そもそも「制御不能」ならこの先は人類に歴史なんてものは存在しないから、事件は誰かの記憶に残ったりせずに垂れ流しだ。それでも宇宙のどこかの生物にとっては考古学的価値があるのかもしれない。そういえば昔、『どうにもとまらない』という歌があったな。
今夜だけならいいけれど、今や「今夜だけ」というような限定的な時間軸の問題ではないらしい。
近頃は水害が多い気がする。「線状降水帯」という言葉がいつ頃から使われるようになったのか知らないが、昔はそんな言葉は聞かなかった。それと、そういう大雨が局地的であることも最近の特徴なのではないか。
降水量が増えるのは、気温の上昇で水面からの水の蒸発が活発になる所為もあるし、極地の氷床が融解して海や川に流出して海面が上昇し、水面の表面積が増えるという事情もあるだろう。海に近い平野で生育する植物を扱う農業は、海面の上昇で農地が水没する可能性が大きくなる。また、気温の上昇で気候が変われば、育つ作物も変化を余儀なくされる。単に不毛の土地が減るというならよいのだが、穀倉地帯と呼ばれていたところがそうは言えないような状況に陥ることもあるだろう。巷で話題になっている米不足が公式見解の通りに一時的ならよいが、構造的変化の一端であるとしたら、米だけの話ではないし、特定の地域だけの問題でもない。
それでエアコンだが、基本原理は熱交換だ。室内の熱を外に排出して、後は知らない、というものだ。自分さえよければいいという発想が根底にある。そういうものを受けとめる度量が地球のエコシステムの側にあるうちは、それでよかった。困るのは、地球のエコシステムが「突然ですが閉店になりました」というような事態だ。「2030年には、地球温暖化は制御不能」なんて、そんな、あなた、ねぇ、ちょっと、お待ちになってぇ、という気分である。とりあえず、もう一台エアコン買っとくか。