赤瀬川原平 『中古カメラ あれも欲しい これも欲しい』 筑摩書房
本書を手にしたきっかけは『老人力』の中の一節にある。「凄くいい」と書いてあったので、気になってしまった。
スマホで写真を撮ることはたまにあるのだが、そういう写真はこういうところにはなるべく使いたくない、と思っている。何かはっきりとした不満があるわけではないのだが、ちょっと天邪鬼なので、世間の主流には乗りたくないというだけのことだ。まぁ、見栄だ。
それで、遊びに出かけるときにはカメラを持っていく。デジタルのコンパクトカメラだ。「コンパクト」というのは一眼レフではないというだけの意味で、正直なところ、邪魔だ。邪魔と感じるくらいなので、カメラとか写真を撮ることが特に好きなわけではない。でも、そのコンデジをボロボロの革ケースに入れて首からぶら下げていると、たまに知らない人に「素敵なカメラですね」なんて褒めてもらったりする。カメラはケースの中なので、「素敵」なのはケースのほうということなのだが、褒められれば素直に嬉しい。そういうこともあって、邪魔だのナンだの言いながら手放すことができずにいる。
あと、カメラの精密機器としての厳しさのようなものが自分の緩さの対極にあるように感じられて、そういうものを手にすることによって精神の均衡が得られるかもしれない、との期待感はある。「精密機器」としては電子部品を満載したデジタル機器の方が機械式カメラの遥かに上をいくのだが、人間の視野視界を超越した世界で展開する精密よりも、自分の眼に見える精密の方が「精密」感が濃い。精神の均衡云々なら、デジタルカメラよりもフィルムカメラ、それも電子機器の搭載が最小限に抑えられたものの方が「電気に頼っていませんよ」風の自立性があって、身の回りに置いて精神云々を感じさせる効果が大きいだろう、と考えた。
暮らしのなかの身の回りのものが悉くブラックボックスと化しているので、なんとなく気味が悪くて落ち着かない、というのもある。フィルムカメラの場合、自分がシャッターを切ったものがどのように写ったのかは、現像してみないとわからない。そういう意味ではブラックボックスではあるのだが、「ブラック」の中身が自分で了解できることなので、「わからない」という部分に諦めがつく。
今時、フィルムカメラを生産しているのはメジャーブランドではライカくらいだ。一応、懐具合の算段をつけて、そういう意味では相当の覚悟を持って、仕事帰りにライカの正規代理店でもある都内の或るカメラ店に立ち寄った。店の人に、かくかくしかじかで電動機構の無いカメラが欲しいと伝えた。すると、それならと中古のカメラをケースから数台取り出して説明を始めた。そしてこう言うのである。「いきなり高級カメラというはやめておいた方がいいですよ」と。そんなわけで、本体とレンズで合わせて3万数千円の国産一眼レフを買った。自分が小学生の頃に発売されたモデルらしい。電子機構が無いものということではあるが、露出計を内蔵していて、それ用にボタン電池が必要だ。それくらいは可とした。
中古なので、本体とレンズの他には何もない。箱やケースは必要ないが、ストラップがないとうっかり落としてしまったりするにちがいない。そう思って、家に帰ってからネットで真っ赤な革のストラップを買った。あと、カメラ店の人からフィルターというものを買って付けるようにと言われたので、それも入手した。
昔はフィルムカメラを使っていたはずなのだが、シャッター速度と絞りの関係なんてことはすっかり記憶からなくなっており、その記憶を呼び起こすのに、やはりネットの世話になる。明るさ(露出)が大事であることは、レンズ付きフィルムで少しは学習したつもりなので、そっちの判断についてはとりあえず大丈夫だ、露出計もあるし、と思い込むことにする。世界は自分の目で感じているよりも、実は、少し暗い。あるいは、現実の世界は生きている者の眼には明るく映るということかもしれない。ここは、生きる上では「明るさ」が大事だということを思った、と書いた方がいいのかもしれない。なんとなく示唆に富んでいる。
フィルムは当然、白黒だ。カラーじゃ当たり前過ぎるだろう、と思うのである。数年前からレンズ付きフィルムをたまに使っている。たまに買うから余計に感じるのかも知れないが、買う度に値上がりしている、気がする。先日、たまたま通りかかったカメラ店を覗いたら、コダックのレンズ付きではない白黒フィルムが2,890円で「おひとり様2本まで」と書いたポップが出ていた。冗談かと思った。世間の流れに抗うというのは、どこか我慢大会のようなところがある。
その中古のカメラで36枚撮り白黒フィルム(富士フイルム NEOPAN 100 ACROS II )を一本使ってみて感じたのは、やっぱりシャッターを切る感触が何とも言えずいいということだった。デジタルと違って「この一枚」という緊張感があるのもいい。自分でも気がついていて、嫌だなと思っていたことではあるのだが、「とりあえず撮っておく」というのがデジタルにはある。そうやって感性を甘やかすと、老化と相俟って感性は恐ろしく鈍くなっていく気がする。フィルムカメラで「とりあえず撮っておく」とフィルムはあっという間になくなる。そして現像されてきたものは同じようなつまらない映像ばかり、しかも同じ被写体ばかり、なんていう間抜けなことになる。何を「この一枚」にするのか、多少は頭を捻らないといけないのである。そして、ファインダーを覗いて、シャッター速度と絞りを決め、ピントを合わせてシャッターを切る。時間にしたら1分に満たない僅かなものだが、なんだか濃密な1分だ。ぼやぼやしているうちに、撮るつもりでいたものがいなくなってしまったりするのも、それはそれでおもしろい。あと、カメラの匂いもいい。匂いは中古でも消えたりしない。
それで大きな問題を抱えることになった。出かけるときに持ち歩くカメラが2台になってしまったのである。フィルムカメラを手にしたものの、デジタルの方も無いと不安だ。尤も、そのうち重さとかめんどくささに耐えかねて、どちらか一台に落ち着くのだろう。ささやかな志は呆気なく消え去る、か。
蛇足ながら、たまたまネットで見つけた『これからはじめる写真フィルム』というムックが良かった。ここに書かれていることは、自分でもネットを検索すれば得られる情報なのだろうが、こうして紙媒体にまとめてあると、見やすいしわかりやすい。見つけたのはネット上だが、ジュンク堂の池袋店に在庫があったので、そこで購入した。