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たまに短歌 滋賀県長浜市2 2024年9月29日 大きな句碑のあるところ
芭蕉の句お国自慢の句碑建てた
読めない文字が値打ちなりけり
ばしょうのく おくにじまんの くひたてた
よめないもじが ねうちなりけり
何年か前から、旅先で絵葉書を買って歌を詠んで自分宛に送るのを楽しみにしている。9月29日にヴァイツェンビールを飲んだ長濱浪漫ビールのビアハウスで絵葉書を3枚買った。その日の夜に一枚の葉書に何首か詠んで、翌30日の午後に宿の近くの郵便局で投函した。それが今日届いた。見出しの画像はその絵葉書で、絵は地元在住の松居清恵さんが趣味で描いたスケッチ画の作品「湖北路長浜黒壁ガラス館と北国街道」だ。
29日に東京発7時33分ひかり633号に乗り、米原で在来線に乗り換えて長浜に着いたのは10時過ぎだった。駅のコインロッカーに荷物を預け、駅にある観光案内所で市街地図をもらって、目についたところを訪ね歩いた。
まずは駅から見えた旧駅舎。実存する最古の駅舎(1882年竣工)で、鹿鳴館様式と呼ばれる木骨石灰コンクリート造。「長浜鉄道スクエア」として2004年10月に開業するに際し、旧駅舎に隣接して資料館を建設。内部に北陸本線で活躍した蒸気機関車D51と交流電気機関車ED70の実機が展示されている。ED70は珍しい車両で、ここで見ることができるとは思いもよらないことだった。
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本機 ED701は1957年製造、1972年廃車
「量産型」とは言いながら試作的要素の多い車両で、様々な技術的トラブルに見舞われ、製造されたのは19両にとどまった。この車両以外の18両は解体された。
旧駅舎の向かいには1887年、明治天皇皇后行幸啓にあたり行在所として建てられた慶雲館がある。敷地内には芭蕉の句碑がある。句碑としては日本最大のものだそうだが、句碑をたてるのに一々サイズを測っているのだろうか。それもなんだかなぁ、と思ってしまう。
![](https://assets.st-note.com/img/1727962450-CoF5krH6BSOyeYGNaxqmjgzW.jpg?width=1200)
句碑に記されているのは
蓬莱にきかはや伊勢の初たより
という句で、詠まれたのは元禄7年(1694年)。芭蕉51歳、亡くなる年だ。いつかは俳句を詠みたいとは思うのだが、五七五で何事かを伝えるというのは容易なことではない。この句にしても、研究者の解説を読むと、詠み手と読み手との間に共通感覚とか共有体験があればこその句としか思えない。それでもいつかは、とまだ思っている。
『去来抄』先師評に、この句についての芭蕉と去来との問答があり、その時芭蕉は「いせに知る人音信れて便りうれしきと、慈鎮和尚のよみ侍る、便りの一字の出処にて、聊か歌のこゝろにたよらず。汝が聞く、清浄のうるはしく神祇のかうがうしきあたりを、蓬莱に対して結したる迄也」とあるので、句の作意は尽くされている。
このあと、長濱浪漫ビールのビアハウスで昼食をいただき、ぶらぶらと市街へ向かう。昨日のnoteで長浜でヴァイツェンを飲んだことに意味があるというようなことを書いた。もうひとつ加えるなら、日本の鉄道史上、長浜が極めて重要な駅であったことを知ったのは、私の人生史上においても意義深いことである。なんて。
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