戦争映画と言っても、戦争や戦闘そのものを描いたものもあれば、戦争の影を描いたものもある。いずれにしても、極限状態を経験した人間の言動や行いを通じて何事かを語ろうとしているように見える。但し、人をどの程度普遍的な存在として描くかについてはそれぞれの作品によって違いがあるようにも見える。
日本人とされる人々は日本という辺境の島国で現在ある世界の様々な国の中で異様に長い歴史を持っているということは意識して良いと思う。古代文明発祥の地はいずれも大陸内部にあり、人々が移動するなかにあって、それらの文明を興した人々は現在そこに暮らしている人々の直接の祖先ではない。古代帝国もまた然り。現代の文字と読みにある程度修正されているとは言いながら、『万葉集』などという1000年以上前に成立した先人の文学作品が文庫本のようなお手軽なものとして現代の書店で誰でも買えるという国は他にないのである。それを誇るかどうかは個人の勝手だが、そうした長い年月をかけて培われた言語を母語とする人間の思考と、相対に熟成度が新しい母語を有する人間のそれとが全く同じであるはずはないだろう、と思うのである。尤も、近頃はグローバル化とやらで母語に頓着しない傾向が一般化しているようなので、『万葉集』の類が絶版になる日も近いのかもしれない。
さて、戦争の関係する映画のセリフだが、これが本書にあるすべてというわけではなく、自分が付箋を貼った箇所がこういうものだったということだ。ここに挙げたものは、日本人だからとかナントカ人だからどうこうということではなく、普遍性のあるセリフのような気がするのだが、どうだろう。
戦争映画ではないが、戦争の傷跡が生々しい時代のウィーンを舞台にした映画「第三の男」もPART1に続いて取り上げている。
やはり戦争映画ではないのだが、何となく通底するものを感じる拳闘映画がある。少し長くなるが全文を引用して本稿を終わる。