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オルテガ・イ・ガセット 著 佐々木孝 訳 『大衆の反逆』 岩波文庫

個人的な感覚として「大衆」という言葉の響きには蔑みを含んでいる気がする。おそらくそれは、自意識として自分と「大衆」との間に一線を画しているからなのだろう。しかし、国家の体制を超えて、圧倒的大多数の人は自覚するとしないとに関わらず「大衆」として存在している。ところで「大衆」とは何なのか。

大衆とはあくまで「平均的な人たち」のことを言う。そう考えると、単に量にすぎなかったもの、つまり群集が、質的な規定に変化する。大衆とは、多くの人に共通する性質、つまり所有者を特定できない社会的な属性を指し、誰もが他の人間と同じく、自らの中で同じ一つの類型を繰り返すという意味での一般的な人間を表すにすぎないのである。

67頁

大衆とはおのれ自身を特別な理由によって評価せず、「みんなと同じ」であると感じても、そのことに苦しまず、他の人たちと自分は同じなのだと、むしろ満足している人たちのことを言う。

69頁

つまり彼らは自分たちの安楽のことしか気にせず、それでいてその安楽の原因については連帯責任を持たないのだ。彼らは文明のもたらす種々の便益が、実は大変な努力と細心の注意によって辛うじて維持される素晴らしい創意工夫と構築であることを見ようとしない。そして自分たちが果たすべき役目は、あたかも持って生まれた権利であるかのように、それらを断固として要求するのみで事足りると思っている。

132頁

現代の国家と大衆は、のっぺらぼうだという一点においてのみ一致している。しかし問題は大衆が、自分が国家だと本気で信じていることであり、あらゆる口実をつくって国家を動かし利用し、政治、思想、産業のいずれの分野においても、国家の邪魔になる創造的な気性をもつ少数者を、押しつぶそうとする傾向にあることだろう。

215頁

ざっくりと言ってしまえば、大衆とは己の存在を当然正当なものとして疑うことがなく、それでいて何事にも当事者意識を覚えることなく貴方任せの無責任な存在ということだ。そういうことであれば、私なんぞは大衆の本家本流だ。その大衆が選挙制度や市場経済を通じて社会を動かしている。それは自分の日常風景にも明らかで、世界のどこに行こうと同じことだろう。

本書は「フランス人のためのプロローグ」("Philosophy and History: Essays Presented to Ernst Cassirer" 1937年)、「第一部」("Espania invertebrada" 1921年、"El Sol"に掲載した記事 1926年、講演録 1928年などに拠る)、「第二部」("Hegel y America" 1930年)、「イギリス人のためのエピローグ」(雑誌 "The Nineteenth Century" 1937年6月号)から成る。いずれも20世紀の二つの大戦の戦間期に書かれている。ファシズムが台頭し、第一次世界大戦後に世界秩序の安寧を目指して設立された国際連盟は結局機能しないままだった。著者はスペインの人だが、1936年にスペイン内戦が勃発するとアルゼンチンに亡命し、1942年に欧州に戻り、1945年中頃までポルトガルに暮らし、1948年にスペインへ戻った。プロローグとエピローグは亡命先で執筆したことになる。

スペイン内戦は、概略としては左派共和国人民戦線政府と右派反乱軍との対立という図式で、前者はソ連とメキシコに支援され、後者はドイツ、イタリア、ポルトガルに支援された。ファシズムと反ファシズムとの対立であり、当時の国際世論に大きな影響を与え、ヘミングウェイの『誰がために鐘は鳴る』やジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』、ピカソの『ゲルニカ』といった作品を生み出すことにもなった。結局スペインは1939年に独裁政権の国になり、その内戦と関係があるのかないのか知らないが、この前後からほぼ世界中が戦争になった。しかしその世界大戦において、スペインは内戦で荒廃していたこともあり、ドイツからの参戦要請にも関わらず中立を守った。

本書はそういう緊迫したなかで書かれた。その緊迫感を勘案すれば、危機感が高まるなかでなす術もなく破滅に向かう社会に対する悲鳴にも似た警告としての大衆批判なのかもしれない。しかし、彼が批判する大衆のまさにど真ん中に居るような私が、通勤中に電車の中で読んでいて、あたかも自分や身の回りのあれこれを批判されているように感じるのは、今が当時に負けず劣らず危機的な状況にあるということなのかもしれない。

確かに平穏とは言えない。現在進行形の地政学上の緊張もあるが、一歩間違えれば国土全体が居住不可能になるのに誰も本気で心配しているようには見えない原発のこととか、そこに象徴される政治や行政の機能不全とか、おそらく似たようなことは他国にもあって、世界は微妙な状況に満ちている。

ふと気になって、日本の「民主制」の法制上の基礎たる日本国憲法が施行(1947年5月3日)されて以降の内閣総理大臣の出身選挙区が所在する都道府県を調べた。憲法施行時の吉田茂から現職の岸田文雄まで33人おり、最も多くの総理を輩出しているのが群馬県の4人、以下、神奈川、広島、山口が各3人、東京が2人、その他北は北海道から南は大分・熊本まで広範に1人の道府県が分布する。

在職日数で見ると憲法施行から本日まで28,007日で、在職日数が最も長いのが山口県に選挙区があった安倍晋三の3,188日、以下、佐藤栄作2,798日、吉田茂2,616日、小泉純一郎1,980日、中曽根康弘1,806日、池田勇人1,575日、岸信介1,241日となる。但し、吉田茂は旧憲法時代も含んでの数字だ。これを選挙区の所在する自治体でまとめると、最長は長寿内閣の3人を擁する山口県の7,227日が圧倒的に長く、以下、4人の首相を輩出した群馬県3,501日、現職岸田総理の広島県3,043日、神奈川県2,651日、高知県2,616日となる。さらに地域でまとめると、山口県と広島県を含む中国地方が11,778日で現憲法施行後の日数の42%を占め、これに四国、九州を加えた西国全体で約6割となる。首都圏の所在する関東は7,836日で28%。うち首都圏一都三県は15%程でしかない。

世間では「一極集中」と言われることが多いが、どこを地盤とする人が政権を担っているのかというふうに見ると、民主制憲法下においても中心は西国と言える。人口をはじめ様々な機能が集中している首都圏の住民の民意に拠る政治家が政権を執った時期は短く、日本の歴史において長きに亘り中核を担ってきた西国が現代においても依然として政治の要にあるということだろうか。都が京都から東京に移っても、権力の基盤は然程変わっていないということだろうか。

先日読んだ青木美希の一連の著作は、原発事故で馴染みの無い場所への移転を強いられた人々の生活苦を語っている。単純化してしまえば、就労と不慣れな土地で暮らしを立てることの困難を語っている。もちろん、然程の困難もなく新しい土地に居を移して新たな生活を始めた人もたくさんいるはずだ。青木の著作を読んで、素朴に不思議に感じたのは、生活基盤を他所に移すというのはそれほど難しいことなのかという疑問だった。本の中では公の援助が一定の期限で打ち切られてしまうことへの無情が語られていたが、公的支援の趣旨としては新生活立ち上げの補助という位置付けであって、基本的には人は自立して生きるべきものとの考えがあるのだろう。しかし、電源政策の失敗とも言える状況の所為で生活を破壊された住民への補償や支援をいつまでどれほどするべきかということは、それこそ民主制の下でもっと議論されて然るべきではないか。環境の変化への対応は個人差の問題かもしれない。しかし、十分な思慮や議論もないままに個人差とか自己責任といったことで片付けてしまうことが社会や国家として適切な対応と言えるだろうか。

つまり、個人とそれが属する社会や国家との関わりの中で、個人としての在りようと国民としての在りようとの兼ね合いは、もっと一人一人が考えなければならないことなのではないかと思うのである。結局、どこかの社会や国家に帰属してその保護の下に生活をすることに伴う当たり前の負荷を担うことができるのが国民あるいは市民であって、そういうことができないのが大衆というような定義もできるのかもしれない。自分の目先のことにしか関心がなく、その浅薄な意識だけで己の生活を構成することに何の疑問も覚えない人の集団が所謂「大衆」であって、そういう人たちが集まる都市には実は一国の宰相を輩出させる力がない、というようなことも言えるのだろうか。

そういえば宮本常一がおもしろいことを語っていた。

宮本
 …非常に問題になると思うことは、やっぱりいろりのなくなったことね。これは日本人の性格を変えてしまうんじゃないかと思う。
(中略)
戦前いなかを歩いていると、ほとんどランプだったのですが、いろりのある家じゃランプも使わない、いろりの火だけなんです。話を聞いていましょう。ノートを持っていって鉛筆で書く。三日もやっているうちに目やにがひどく出ちゃって、どうしようもないようになる。
水上
 すすですね。
宮本
 そういうときに、話をしてくれる年寄りも、聞いているこっちも、何の境もなくなるんですわ。
(中略)
なんか自分の持っている命を声とともに…。
水上
 吸い込んでいるようなところがありますね。
宮本
 ところがこのごろ話を聞きに行くと、がっかりする。「テレビを見にゃならん。テレビがすんでからにしてくれ」それは同じように、自分らの命を燃え続けさせるものが消え始めているんじゃないかという感じがするのです。

『道の手帖 佐野眞一責任編集 宮本常一 旅する民俗学者』 河出書房新社
171-172頁 宮本常一・水上勉 「対談 日本の原点」

家にいろり(囲炉裏)がなくなった、というのは要するに人と人との間に本来の対話がなくなったということではなかろうか。このnoteもそうだが、誰でも気軽に意見表明ができるようで、実は対話ができなくなっているということはあると思う。人間には生の感覚というものがある。言葉、しかも文字という記号だけでその感覚をどこまでやったりとったりできるのだろうか。もっと言えば、文字だけで愛を語ることができるだろうか。愛のない人間というものがあるだろうか。人間がいないのに、生活はないだろう。大衆には愛がないのだろう。

宮本
すべてが荒れてき始めていますわね。人間は手をかけるから愛情を持つので、手をかけなきゃ愛情を持ちませんわね。

『道の手帖 佐野眞一責任編集 宮本常一 旅する民俗学者』 河出書房新社
173頁 宮本常一・水上勉 「対談 日本の原点」
出所:首相官邸ホームページより熊本熊作成 2024年1月6日現在

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熊本熊
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