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月例落選
コロナ禍で帰れなかった故郷が数年ぶりの雪に埋もるる
(ころなかで かえれなかった ふるさとが すうねんぶりの ゆきにうもるる)
雪掻きでテレビ観られぬ日に限り箱根駅伝波乱の展開
(ゆきかきで てれびみられぬ ひにかぎり はこねえきでん はらんのてんかい)
「駅長さぁん」いくら呼べども返事なし雪国は今無人駅ばかり
(えきちょうさぁん いくらよべども へんじなし ゆきぐにはいま むじんえきばかり)
今日は『角川 短歌』4月号の発売日。今回も落選だ。1月15日必着という締め切りだったので1月に詠んだ歌だ。例年は正月に妻の実家がある柏崎に帰省するのだが、今年は感染症で諸々喧しいので自粛した。柏崎でも海側はそれほど雪は積もらない。風が強いからだ。内陸側は相応に積雪がある。柏崎の内陸側から長岡にかけては、たいていの家に屋根へ上がる梯子が外壁に取り付けられている。それでも、ここ10年近くは平穏な冬が続いた。今年は違った。東京から長岡までは新幹線を利用、長岡から柏崎までは信越本線に乗車する。その信越線が1月から2月にかけては毎日のように風雪で運休や大きな遅延に見舞われた。帰省していたら大変だったかもしれない。
義母は箱根駅伝が好きで、正月は皆でテレビで駅伝を観る。今年は雪が酷く、連日家族総出で雪掻きに追われたそうだ。その箱根駅伝は、常勝の青山学院が往路12位、創価大学が出場4回目にして往路初優勝となった。青学は復路では優勝し総合4位。総合優勝は往路3位、復路2位の駒澤大学だった。特に1月2日の往路は、通過順位1位が1区:法政、2区:東京国際、3区:東海、4-5区:創価と激しく入れ替わり、見応えのある展開だった。そういう日に限って、柏崎では雪掻きや雪おろしをしないといけない状況になっていた。
雪と言えば川端康成の『雪国』だ。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。向側の座席から娘が立って来て、島村の前のガラス窓を落とした。雪の冷気が流れこんだ。娘は窓いっぱいに乗り出して、遠くへ叫ぶように、「駅長さぁん、駅長さぁん。」明りをさげてゆっくり雪を踏んで来た男は、襟巻きで鼻の上まで包み、耳に帽子の毛皮を垂れていた。(新潮文庫、5頁)
この小説の書き出しの部分は、本を読んだことのない人でも知っているのではなかろうか。「信号所」、「ガラス窓を落とす」なんていうのは、今の人にはわからないかもしれない。鉄道というのは労働集約的産業だった。動力車が蒸気機関車だった時代、機関車の運行は機関士と機関助手の2人が必要で、それよりも何よりも保線の大勢の人手が必要だった。駅員は駅や列車運行の管理運営はもとより、保線作業の一部をも担うため、無人駅というものはあり得なかった。それが、科学技術の発展で鉄道の運営は省力化が進行中だ。雪国に限らず、幹線以外の線区では無人駅が多くなった。例えば、信越本線の長岡=柏崎間には宮内、前川、来迎寺、越後岩塚、塚山、長鳥、越後広田、北条、安田、茨目の10駅がある。このうち、前川、越後岩塚、塚山、長鳥、越後広田、北条、茨目の7駅が無人駅、宮川、来迎寺、安田も業務委託駅でJRが直接運営している駅はひとつもない。かつて、豪雪地域の線路を列車が雪を掻き分けるように走る姿は当たり前のように見られたし、現にそういう映像が多数動画サイトにアップロードされている。しかし、何よりも安全を優先する鉄道の運行において、今はあっけないくらいにすぐ運休になる。人手が無いからだ。また、無理をして運行を継続すべき理由に乏しいからだ、とも言える。世界人口は爆発的増加過程にあるが、日本は特定の都市部以外、人口が目に見えて減少を続けている。たぶん、どちらも手の施しようがない、と思う。
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