旅する石像の行き先
「え! 壊すのですか?」私は次の言葉を聞いて声を失った。
「ええ、確かにこの作品は見た目に芸術性があることは、私のような素人目からしてもわかります。がしかし、この土地を売却されるのでしたら、次の買い手にとってこの石像は邪魔。どこかに移動させないのなら破壊するしかありません」物件の売却を依頼した茶髪の不動産屋は、銀縁メガネを直しながら話してくれる。
「わかりました。考えますので1週間ほど待ってくださいますか?」
「承知しました。1月いっぱいお待ちしますね」不動産屋はゆっくり一礼して立ち去った。
私はコスモスファームという小さな農園を運営している。両親は私が小さいときに離婚して母の元で育ったの。でも中学に入るころに母は亡くなったわ。父の記憶がほとんどないし、そもそも今どこにいるのかわからない。
母がいなくなってからは母の両親。私の祖父母が育ててくれた。でも私が成人してからだけど、祖父が3年前に亡くなるの。それから病気がちになった祖母も昨年暮れに他界した。
だから実家にはもう誰も住んでいない。実際には祖母は半年前から入院してたから、その時点で空き家。母もそして祖父も祖母もひとりっ子だったから、親族がはるかに遠くて、会ったこともないような人ばかり。
そのうえ私ですら兄弟・姉妹がいないひとりっ子。だから祖母が健在な間はいつでも戻れるようにと、私が月に一度掃除に行く。けどそれ以外この家には誰もいない。
ただ実家の入り口の前には大きな石像があって、それだけが無人の実家を守っている。
あたかも肉体の無い祖父母の霊がそこで一緒に生活してるかのよう。
家と土地はほかに相続者がいないから私が丸々相続したけど、私には農園がある。だから誰も住んでいない実家は売ることにしたの。
まだまだ経営が厳しいという理由があるわ。そして年が明けて、1月に遺品を整理して必要なものを、彼一郎とふたりで引き取ったの。そして不動産屋に家と土地の売却を依頼した。
「どうしよう。あの石像にはじいちゃんの強い思い入れがあるのに。壊すのだけは避けたいわ」
「俺、今回初めて見たけど、これはまた不思議な像だ。絶対に壊してはいけない。それにこれって外国のものだろう」彼の問いに私は軽く頷くと、石像にまつわる祖父の思い出話を始めたの。
私が物心ついたときからこの石像は実家の前にあって、いつもじいちゃんが大切にしていたわ。そしてこんなこと言ってた。
「真理恵、この石像はのう、インドネシアのバリ島から船に乗って来たんじゃぞ」
「どうやって船に乗せてきたの? 全然動かない」いつも私は石像を動かそうと力いっぱい押したり引いたりした。けどビクともしないの。
「フォフォフォ、真理恵、これは800キロの重さがあるんじゃぞ」
「800キロ!」私は言われても重さのイメージが全くつかめなかったわ。でも相当重いことだけはわかったの。
「バリ島の彫刻家に頼んで彫ってもらった。ワシはばあさんと新婚旅行でバリ島に行ってから、あの島の魅力に取りつかれて、島の歴史ある文化的なものを集めるようになった。その集大成がこの石像じゃ」
祖父は嬉しそうに口を緩ませた。そこに入ってきた祖母も嬉しそうに会話に参加したの。
「そうよ。じいさんが、こんなとんでもないの作ってもらったのよ。依頼したときには気づかずに、日本に来てから800キロだとわかったの。
結局専用の業者に運んでもらったから、本体価格よりはるかに高いお金がかかったわ。若気の至りと言うのかしら、今となってはいい思い出ね。
でここに置いてもらったけど。もうとても人の力でどうすることもできない。多分二度と動かせないかも」
祖母は祖父のような自慢ではないけど、さりげなく思い入れがあるのがわかったわ。
「そうそうあなたの母さんが、小学生のときに、この石像が来たの。そうそうあの子いつも楽しそうに眺めてたねぇ」
「おお、そうじゃな。大人になっても真理恵を抱っこしながらあいつ楽しそうに見ていたぞ」祖父はそういって石像の頭をなでてた。
「だから真理恵ちゃん。いつか私たちが死んだ後も、この石像のことを見守ってね」
それを聞いて、私はいつも笑顔で「はい!」と元気よく返事してたわ。
「それだったら、コスモスファームで引き取らないとダメじゃないか」「え! そ、それは」私は彼の一言に対して言葉に詰まる。そんな発想がそもそもなかったの。でも彼の言い分は正論。祖父母と母の想いが詰まった石像を管理するのは、唯一みんなの血を受け継いだ孫である私の義務かもしれない。
でもコスモスファームはまだまだ小さな農園。収支がいつもトントンでそんな余裕なんかない。彼は研究者だけど、まだ准教授にもなっていないから収入面ではとても厳しいわ。
それでも無理すれば畑の一部をあきらめてそこに置くこともできないことはない。というより、そもそもあんな重いもの動かせるのだろうか? それに動かせたとしても、一体移動させるのにどのくらい料金がかかるのか全くわからないの。
「動かせる業者はいるらしいぞ」いつの間にか彼はネットで調べていた。「ああぁ、これ。結構な金額ね」私はHP上で提示してあったおおよその金額を見て出るのはため息ばかり。
「ああ、私とんでもない荷物を背負ったのかしら」ひとりになると何度も愚痴ってしまう。「この石像を誰か引き取って!」と、衝動的に石像の画像を添付してツィッターに打ち込んだ。
すると翌日、私宛にDMが届いたの。そしたらびっくりの内容。
「初めまして私は世界のエスニックでの骨董美術を集めている布袋と申します。実は海の見える丘に新たに私設ミュージアムを作ることになりました。インパクトあるモニュメントを探しているときに、あなたのツイートを拝見したのです」
「ねえ、一郎これどう思う」私は慌ててDMを彼に見せたわ。
「ほう、いいじゃないか、ミュージアムの人なら大切にしてくれるよ。コスモスファームでも俺はよさそうだけど、後々のことを考えると、やっぱりこの人に引き取ってもらいなよ」
私は彼の言う通り、この布袋という人とコンタクトを取った。そうしたら3日後に私の実家まで足を運んでくれたの。
「初めまして、布袋です」にこやかな表情の50歳代の男性は、スキンヘッドで、ふくよかな顔。よく見ると耳たぶも大きい。本当に布袋のような雰囲気を持つ、40歳代後半の男性。
「ようこそ、石像を見るためにわざわざ」
「いやいや、譲って下さる石像ですから現物を見ませんと」「ありがとうございます。この家にはもう誰も住んでいないから、売却することになったのです」
「それで石像が邪魔になったと。えっと、あ、あれですね」布袋は視線を石像に向けるとそのままその方向に歩いた。そして改めて石像を舐めるように見つめる。
ねずみ色をした石像は見れば見るほど丹念に彫られているの。色もついていないのに表情豊か。一度視線を合わせるとついつい長時間見とれてしまう。
「800キロという重さも魅力的ですな。ということは大理石か何かでしょうか?」布袋さんが専門的なこと言うけど、私にはまったくわからない。
「それは... ...わからないです。ごめんなさい」「いえ、石の質は、どうで良いです。いやぁ、期待通りだ。これはぜひ私どものほうで大切にさせていただきます。あ、もちろん輸送に関する手続きは、一切私のほうで手配しますので」
「本当ですか!」「ええもちろん。あ、それから農園をされているとか」「はい、ひとりでやっている小さな農園ですが、その前で住んでいます」
「はい、コスモスファームさんですね。HP拝見しましたが、とれたての野菜をネットで販売されているとか」布袋さんが私の農園にも興味を持ってもらえたので内心本当にうれしかった。
「そうなんです。原則無農薬の野菜。いろんな種類の野菜を旬ごとに栽培して、ネットで販売しています」「いやあ、それは素晴らしい。石像の件が終わればぜひ野菜のほうもお願いしたいですな」その言葉で私は二重に嬉しくて、口元が大きく緩んだわ。
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こうしていよいよ石像を動かす日が来たの。私は一郎と一緒に実家に行って運び出される様子に立ち会ったわ。
業者さんは最初、石像を囲むように木で足場を作った。そこにぶら下げた白い帯のようなベルトを石像の下にはめ込んでいくの。
そして小さなクレーンで引き上げる。重いとは聞いていたけど、プロの腕は違うわね。ゆっくりと石像が宙を浮く。だけど見ていたらやっぱり石像って重い気がしたわ。
だって宙に浮いた石像の下の方をみると、支えているベルトの凹み具合に凄く重さを感じたの。
石造の位置からトラックの場所まで10メートルほどの距離よ。そこには、台車のようなものに石像を乗せるの。ふたりの業者さんは慎重に石像を抑えながらゆっくりと台車を動かしてトラックのほうを目指すのね。
やがてトラックの前に来るとクレーンでもう一度石像を宙に浮かせたわ。そしてトラックの荷台にまで引き上げておろしたの。荷台に乗った石像さんには、ブルーのシートがかけられた。それが終わるとトラックは新しい場所に向けて旅立ったわ。
「申し訳ございません。今の私には余裕がないのです。だから祖父母の想いはかなえられません。でも新天地で可愛がられてください」
私はトラックの後姿を見て、そうつぶやいた。すると横にいた彼は後ろから私の背中越しに覆いかぶさるように体を寄せてくる。そして両腕を私の腕と交差させてきたの。
「大丈夫。真理恵の想いは、絶対にご先祖様に通じているから」と耳元でささやいてくれた。だからすごく気持ちが楽になったわ。
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その日の夕方、布袋さんから画像付きでメッセージが届いたの。
「コスモスファームさん、無事に石像が届きました。改めて礼を言います」
そして送られてきた画像を見ると、そこもコスモスファームみたいに自然のあるところ。でも私のところよりこっちのほうが視界が広いかな。
主要道路からミュージアムに向かう小さな道の前に鎮座しているの。そしてメッセージに続きがあった。「ぜひ布袋ミュージアムに足を運んでください。ここは夜になると、満天の星空が見られます」
「え!星空が見えるの」
私は思わず歓喜の声を出してしまった。それって天文学が好きな私たちにとってまたとない場所に行ってくれたのだから。
こちら伴走中:16日目
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シリーズ 日々掌編短編小説 374
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