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かつて公方がいた古河で味わった鮒(フナ)の味
「おい、また鮒か。それ。20日正月の特集記事でやったんだけど」
グルメ雑誌編集長の茨城は、1月から採用した新人編集員・古川マリコと共に宇都宮行きの上野東京ラインを走る列車の車内にいた。
「でも編集長、これは同じ名前の『茨城県』の取材ですよ!」
列車は快適に関東平野を北上する。この頃には東京都心では見えなかった畑らしき耕地が見え隠れし始めている。
「茨城県か。だけどそれを言っちゃあさ、今から行くのは古河だよ。古川君も川の漢字表記1字違いだな」「え?『ふるかわ』と『こが』は違います!」
「まあ、いいだろう。新人さんの取ってきた取材だ。サポートしてやるか」
茨城は、ロダン作「考える人」の銅像を思わせる姿勢を保ちながらつぶやいた。
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都内を出発した列車は、あっという間に埼玉県内を通過し、坂東太郎の異名を持つ利根川を渡る。渡ってしまえば茨城県。目指す古河(こが)は目と鼻の先だ。
「編集長到着しました」「ああ、行こうか」ふたりは古河駅で下車。改札を出て外に出ると、高架駅・古河の存在感が際立つ。
「古河は意外に初めて降りたかも。茨城と言えば黄門様の水戸が有名だからさ」
「でも編集長、古河は室町時代に鎌倉公方だった足利成氏がこの地に移って、以降古河公方として1世紀以上も関東の政治の中心だった街ですよ!」
「あ、ああそう。それ知らなかった。ありがとう」茨城は古川の勉強熱心さに度肝を抜かれる。もっぱら若いのに面接時でわかったこういう「こだわりの精神」を買っての採用であるが。
ここからタクシーに乗って取材先に向かう。この日の取材は古河の名物である鮒(ふな)料理だ。2月7日がフナの日と命名したのは、何を隠そう古河の鮒甘露煮業者。そこででマリコは古河名物の鮒甘露煮を取材しようという試みをしたのだ。これは入社して初めて企画を練り、取材することになった彼女のデビューでもあった。
「そうそう、古川君はたしかベトナムの」
「ええ、ベトナムのボートピープルの子孫です。でもそれは、すでに履歴書と面接ですべて伝えましたが。それが何か?」
タクシーの中で気軽に質問してきた茨城の内容に憮然と答えるマリコ。
「あ、いや。そのまあ、僕が言いたいのはね。現地とかでは、鮒とかそういう淡水系の魚を食べちゃうのかなあなんて」
「あのう、おっしゃりたいことは理解できるのですが、私は日本で生まれ育ったので、そのあたりことはよくわかりません」
ややドスを聞かせたような声を出すマリコ。明らかなる怒りを増幅させる結果となり、茨城は顔色を変えながら以降口を慎んだ。
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タクシーは一軒の店の前に到着した。「ようこそ」と担当者が迎えてくれた。ここから取材が開始。この取材はあくまで新人のマリコが提案したもの。茨城は基本的に口を挟ままい。今日は撮影担当に徹した。マリコはこの企画を編集部に持ち込んでから何度も練り直したのだろう。気合を入れて鮒甘露煮づくりについて徹底的な取材を敢行する。
それは先ほど触れた古河公方のことをはじめ、古河が小京都と称されている歴史的なことを踏まえながら、メインである鮒甘露煮の事を鋭く追及する。インタビューを受けた担当者は、途中で顔を引きつりかけることが少しだけはあった。
しかし基本的には古河8万石として、老中格という江戸幕府を支える重要なポジションを歴任した譜代大名が支配した町。また大坂城代担当するものが多かったがゆえに、上方文化を吸収し。関東でも珍しい独特の古河文化を築き上げたという事実を熱く語る。
その後は宝暦年間以来の「鮒の煮つけ」について語り始め、現在の店が明治期に修業を得たのちに創業したことを引き続き語った。
古川は必死にその内容を目元取りながら録音。茨城は担当者の熱く語るシーンを写真に収めていく。
この後は実際に完成した鮒の甘露煮を見て、食べることになっている。
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「ほう、でも古河の鮒は、ずいぶん小さく感じますね」出来上がった甘露煮を見つめながら、ようやく口を開く茨城。
「まあ大きさの事は。ただ8時間以上かけて、当社秘伝のたれで煮込んでおります」と担当者。言い訳にように聞こえながらも堂々とした受け答えは、相当な自信があるのだろう。
「最後に試食タイム。茨城とマリコはフナの甘露煮口に運んだ。表面やしみ込んだ内部に甘味を感じる。しかし海水魚では感じない、内臓部分を中心に凝縮された深い味わいがあるのが淡水魚。それは古河の鮒でも同様だ。
「うん、古川君これいいねえ」「はい、お酒が欲しくなる味です」
「え、君、酒飲むの」「え、まあ少しですが」とマリコは口の中で周りに見えないよう舌を出す。
こうして取材は無事に終わった。
「お疲れさまでした」「おお、まあ最初にしては十分だと思う。よくやったよ」茨城も安心したのか笑顔が出る。それを見て胸をなでおろすのはマリコ。
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「編集長、実は新しい提案が」駅に向かうタクシーの中でマリコが口を開く。「お、いいねえ、どんどん提案してくれ、既存の編集部員は君のような積極さが失われているから、君が頑張れば職場が活気づきそうだ」
「ありがとうございます。では早速ですが」
「お、なんなりと」「夕方、水戸納豆の取材を入れました」
「え、水戸納豆!」茨城の声が裏返る。「はい、先方にもう伝えました」「あのう今日って言ったよね? それってもうアポとってるの」
「はい、同じ茨城県なのでセットで回ったほうが効率が良いかと。昨夜メールが来て、夕方に取材許可を得ました」
マリコの答えに、右手を頭のオデコにおいて苦しそうな表情で悩みだす茨城。「あのう、出来たらさ。その話もっと早く行ってくれないかな」「申し訳ございません」マリコが頭を下げる。茨城は腕時計をチェック。
「今13時か。今日は予定がない。時間はまだあるな。いいよ付き合うよ」「ありがとうございます」
茨城は『古河と水戸とでは同じ茨城県でも遠すぎるのでは』と思いつつも、渋々了承するのだった。
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シリーズ 日々掌編短編小説 383
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