100円玉の重み ~都道府県シリーズその6 山形~
「ここで人間将棋が行われるのか」中東将太は、山形県にある将棋の町・天童に来ていた。将棋の町と言う理由は日本で将棋の駒の生産量の9割が、この町で作られているからである。
将太は、将棋が趣味の父親の影響で、物心ついたときから将棋を指し始めた。メキメキと力をつけ、学生のころまでは地域で抜けた強さがある。
そのため日本将棋連盟の新進棋士奨励会に入り、プロの道を目指す。だが全国から集まった強豪たちを前に、あっけなく自らの能力の低さを感じてしまう。わずか1年でプロの道を断念。
それから10年以上将棋を指すことはなかった。
将太は右横を見る。そこには百円玉を掌において嬉しそうに眺めている女性・美鈴がいた。彼女は将太の恋人。
「おい、何やってるの?」「え?なんかね、今日12月11日に百円玉が初めて発行されたんだって。だから今日は百円玉記念日なのよ」
「なんだそりゃ。どうでもいいや」
無邪気な美鈴を見ながら口元が緩む将太。彼に転機が訪れたのは30歳を超えたころ。将太が転勤した名古屋支店の事務担当である、目の前にいる佐川美鈴と出会ってからだ。
「え、将棋のプロ目指してたんですか?」「え、ああ、十年以上前だけど、まあ若かりし頃の無謀な夢と言うか」
職場の歓迎会。飲み会での席上で、偶然隣になり会話をするうちに、酔った勢いで口走ったこの一言。すると「私将棋が好きです。今度御手合せ願えますか」と言われる。彼女の趣味は将棋であった。
その日をきっかけに、休日になるたびに、ふたりで将棋を指すという不思議な関係が続く。結果親密になり、ごく自然と交際に発展した。
そしていよいよ「結婚」と言う文字を意識し始めた将太。そんなタイミングで、美鈴が「天童に行きたい」と言い出したのだ。
「ということは、天童でプロポーズか。だったらやっぱり人間将棋のところかな」と思った将太。新幹線で天童駅に到着すると、真っ先に向かったのが、春になれば人間将棋の会場になる天童公園である。「こういうのは早く話をしよう。そのほうがこの後の旅が絶対に楽しい」
しかし現実はちょっと違う。将太が思い描いたように将棋の故郷のようなところでの感動のシュツエーションとは程遠い。美鈴はさっきからなぜか百円玉で遊んでいた。
「おい、せっかくお前の行きたい天童に来たのに、百円玉はもういいだろう」「だって、移動中の新幹線の中で偶然に百円玉の情報を見つけたから。昔は銀貨で鳳凰の絵が描かれていたそうよ」
「銀か、俺の好きな駒だ」「斜め後ろに動けるからでしょ。でも横に動けないくせに」「お前が好きなのは飛車だっけ」「ううん、飛車が成った竜王 かな。あれは最強よ」
美鈴がようやく将棋の話題になったので将太は嬉しそうに笑う。
「だめだなあ。歩とか弱い駒に愛情を持ったほうが」とつぶやきかけて口をつぐむ。「そうだ、あれを早く言わないと」と頭の中で伝えるべきことをイメージする。
「あ!どうしたの?」と突然聞こえる美鈴の声。
「ん?」将太が声のするほうに振り向く。「10分だけその100円を貸してください!」と、小学生の男の子が美鈴に頼んでいる。
「10分だけ?」「あ、15分かもしれないけど、絶対に返します」と言って頭を下げていた。「美鈴、貸してやりなよ」
「そ、そうね。じゃあ待ってるから」手に持っていた百円玉を子供に渡すと、「ありがとう!」と言ってその子は走り去っていく。
「10分だけ借りるって。あの子何に使うのかしら」
「さあジュースでも買うのかな。でも戻ってくると、思わないほうがいいかもな」「うん、100円だから別にいいけど」
「で、えっと。そう、美鈴が天童に来たいって言ったじゃないか」「うん、そうよ」
「で、ここならちょうど良い場所だと思って。実は話があるんだ」
「え、急にかしこまってどうしたの」「えっと」将太はいよいよと言うところで急に緊張が走る。しかし勇気を振り絞って大きく深呼吸した。
「すみません」と、ここでふたりを呼ぶ声。
見ると先ほどの子どもとその母親らしい女性が走ってきた。「申し訳ございません。うちの子に100円を貸してくだった方ですね」
「あ、はい」と美鈴がふたりの前に歩いていく。
「本当に申し訳ございません。100円を見知らぬ人にお借りするなんてお恥ずかしい」少し息を切らせながら母親が頭を下げる。
「あ、いえ、そんな」美鈴は右手を左右に振った。「実はタクシーを支払うときに、小銭が無くて100円足りなかったのです。あと1万円札しか持ってなくて。そしたらこの子が突然タクシーのドアを開けて走り出して」
「遠くでお姉さんがお金を持っていたの見えたから」「へえ、さっき眺めていた100円玉が見えたのか」将太は腕を組みながら子供を見る。
「そういうことね。でもこの子は、釣り銭がなくて困ったタクシーの人のこと考えてくれたんだと思います。私のことなら大丈夫ですよ」
「本当に他人の方を巻き込んでしまって。実はすぐ近くに親戚の家があるのですが、この子がどうしても、公園にある将棋の駒を見たいというもので。いや、うっかりしました」母親は何度も申し訳なさそうに頭を下げる。
「本当に歩いてすぐのところです。すぐに100円お返ししますから。少しだけ待ってくれますか?」「あ、え、なんとなく申し訳ないです。100円のために」
「いえいえ、すぐ近くなので。ほら、将棋の駒見たでしょ。これで満足した。早く100円お返ししないといけないから。もう行くわよ」「うん」と子供は公園にある白い王将の駒のモニュメントを見つめながら頷いた。
「あのう、失礼ですが観光でこられたのですか」と母親の声。「はい」と将太が答える。「あ、もしよろしければですが、私の親戚は将棋の駒を販売しているのです。よろしかったら見ていかれませんか?そこですぐに100円用意します。お時間許せば、せめてものお礼にお茶でも飲んでいってください」と母親が言う。
「将太どうする?」「将棋駒の販売店かあ。それは行こうよ」「そうね。そしたら行きます」
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美鈴が100円を貸した子供と、その母親と共に天童公園を後にする。公園を出て住宅地を歩くと、本当に歩いてそれほどかからないところにお店があった。平屋の木造の建物には将棋の駒を象った看板がある。
「将棋の駒の専門店、見た目からして伝統工芸品の店だ」「やっぱり本場だから高いのかしら」
「どうぞ、そちらにお座りください」親族へのあいさつを手早く済ませ、すぐに戻ってきた母親は、ふたつの丸椅子を用意してくれた。そこに座るとこだわりの将棋の駒が多数並んでいて、それなりの金額で販売している。
「あれ、気になるわ」美鈴が指さしたものは将棋の駒のストラップ。「いいなあ、あとでペアで買おうか」
「はい、お姉さんに」母親がすぐに100円を持ってきたらしく。子供に手渡す。子供は美鈴に頭を深く下げ「お姉さんありがとう」と大声で礼を言う。美鈴は嬉しそうに、「どういたしまして」と応じた。
美鈴は戻ってきた百円玉をかざしながら眺める。「今の百円玉は白銅で、桜の図柄ね。あ、見て令和元年だって」「お、キリが良いね」
「これは、使わないでおこうかな」美鈴は人に聞こえるかどうかわからない声を出して、財布の中にしまい込んだ。
ふたりは母親から温かいお茶をもらう。その後せっかくだからとお店の商品を眺めた。将太は美鈴が気に入っていた、王将の駒のストラップをペアで購入。
「本当にありがとうございました。その上、商品まで」「いえいえ、いい思い出とお土産になったので、こちらこそありがとうございます」
店の外で頭を下げる母親。子供は手を振ってくれたので、ふたりも手を振り返した。
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「ねえ」「うん、どうした」「私、行きの新幹線と百円玉見ててずっと考えていたんだけど。私、将太とこれからもずっと一緒に居られたらいいなと思ったの」
「え!」「もし、私でよければ結婚を」将太は目を見開いて驚く。
自分が言うべきプロポーズの言葉だ。美鈴に先に言われてしまい一瞬言葉が詰まる。「あ、あ、先を越された」「え?」
「これ、僕も君と結婚したいと思って」と慌ててポケットから、ダイヤの婚約指輪が入ったケースを手渡すのだった。
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10日目は五輪さん再びです。
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シリーズ 日々掌編短編小説 325
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