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禁酒法

「ねぇ、ちょっといつもと違うビール飲んでみない」クラフトビールの店長ニコール・サントスは、カウンター席に座る常連客で、恋人の西岡信二にあるビールを出してきた。
「俺は、ギネスで十分だけどいいだろう。どんなビールなんだ」

「これ、輸入会社から仕入れたの。味見して」とやや押し売りのようにニコールが勧めるビール。信二は嬉しそうにニコールが差し出したビールの小瓶を手にした。「ジャマイカジンジャービールか。ジンジャーということはショウガ入り?」
「うん、イメージはジンジャーエールとビールのカクテル『シャンディガフ』かなと」
「え、まだ飲んでないの?」瓶を見ながら目を大きく開く信二。

「うん、珍しいから1ケースだけ仕入れたの。だから気軽に飲めないのよ」
「つまり味の確認のために一口欲しいと」信二が口を緩ませながら語ると、すでにニコールが、味見用の小さなグラスを持ってきた。

 信二の横では、見慣れぬ男が静かにミャンマーのビールを飲んでいたが、突然ふたりのほうに視線を向けると「ふん、ジャマイカジンジャーか。禁酒法の時代を思い出すぜ」と話しかけてきた。

「え、禁酒法? あ、聞いたことがある」信二が答えると男は得意げに鼻を膨らませる。
「ああ、今から100年以上前の時代にアメリカに存在した法律さ」男はグラスに3分の1ほど残っていたミャンマービールを一気に飲み干す。
 そして「そのジャマイカジンジャーを、こちらにも1本」と注文。「あ、はいありがとうございます」ニコールは慌てて冷蔵庫からもう一本ジャマイカジンジャービールを取りだした。

「まあ、名前は同じだが、その時代にもジャマイカジンジャーがあった。だがひどいものだった」
「え、同じ名前で?」「そうだ。このジンジャーは、酒の販売が禁じられたために、作られたショウガ風味の薬。酒が入っているからみんな買ったが、入っているものに毒性があった。だから飲んだものの多くは、手足の麻痺が多発してしまう」
「それってメタノールみたい。怖いですね」ニコールは男の前にグラスを置くと、ジャマイカジンジャーを注いでいく。

「でも、何で禁酒法が行われたんですか? 」信二は禁酒法のことがやけに気になった。
「それは、ピューリタンというキリスト教の派閥が中心となって起こした運動だ。酒に対して『悪魔の飲み物』などと悪い印象を広めた」
「それって悪魔ラベルのビール。ヤングオールドニックとか、世界中にあるわね」誰にも聞こえないように小声でつぶやくニコール。
「そして米国の憲法が改正されて1920年に施行されてしまった」
「連中らは『高貴な実験』などと喜んでいたがね」
「でも、その実験は失敗したと」インタビュアーのような視線で信二が質問する。

「そういうことだ。廃止される1933年までの間、酒の販売が禁止される。その結果ロクなことがなかった」
 男は、そう言うとジンジャービールを口にする。「フッフフフウ、今は安心して飲めるな」
 男の横で信二も飲む。ニコールも飲んだ。「へえ、やっぱり新鮮な味ね」「ほう、こう来たか、ジャマイカジンジャーエール!」

「ずいぶんお詳しいんですね」味見を終えたニコールが男に話しかける。
「ああ、私の曽祖父は当時のアメリカと貿易をしていたんでな。何度も渡米した。だからその当時の話を代々聞かされたわけだ。だがその後日米で戦争が起こって、商売は破綻したんだんだがな」
 男は聞いた話にもかかわらず、まるで自らが体験したように語る男。そして懐かしそうに笑う。

「酒を禁止して、その結果悪い酒が出回るなんて、嫌な時代だなあ」信二は正直に思っていることを口に出す。
「ふん、それだけではないさ。この法律の面倒なことは酒の売買を禁止してだけで、飲むことや保管することまでは禁じていない」
「ということは」「そう、あらかじめ大量に仕入れておいた酒を飲むことは問題なかった」
「それから酒を飲むために国境を超えるやつもいる。だがそれ以上に」

「それ以上に?」
 ここで男は再度ジンジャービールを口に含む。「やっぱりギャングが跋扈(ばっこ)した時代だな。奴らは裏で酒を取引して高価な価格で販売していた。その利益で相当儲けたらしい」
「アル・カポネか。今でもそういう人達はドラッグで儲けているしな」
「ちょっと、麻薬と酒を一緒にしないでよ!」ニコールは不機嫌な顔。

「そしてギャングたちは勢力拡大のために抗争を行った。だから多くが死んでしまう。ギャングの平均年齢が若返ったって話もあるくらいだ」ここで男は残りのジンジャーをすべて飲み干した。

「それじゃあ、オイトマしよう」男はカウンターの椅子から立ち上がる。
「はい、ありがとうございます」
「釣りはいらないよ」男は財布から紙幣を手渡した。ところがニコールはそれを見ると顔色が変わる。「え、なにこれちょっと違う。外国のお金!」「え?」信二が男のほうを見るが既にいない。

「あれ!いつのまに」「まさか、そういうオチ。だけど遠くには行ってないはず」信二は立ち上がり、店を出て男を探した。

 だが10分後、信二は息を切らせながら戻ってくる。「だめだ、なんて足の速い奴だ」「あの人、そんなにビール飲んでないのに、こんなことするなんて。でもこれ100ドルみたい」
「100ドル!」「けど、明らかに違う気がする」 
 ニコールは信二にお金を見せた。
「うーん、100ドルとあるけど確かに違う気がする。おもちゃのお金かなぁ。とりあえず警察に届けるのか」「まあ、あの人飲んだのが2000円ほどだから、そこまで大げさにしなくていいわ。その代わりにもっと飲んでくれる?」

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 ちなみに後日ニコールは男が置いた謎の100ドル紙幣を念のために調べた。するとこの紙幣は1928年発行の100ドル札であることが判明。「まさか。タイムトリップ! そんなわけないわね」と笑うニコールは、そのお札を大切にすることを決める。

 ちなみに男が店で飲んだ料金2000円相当は、そのお札と交換するということで、ニコールが立て替えたのだった。


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