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ボーダーの無い現代美術

「しかし何でこれが業務なんだ。いくら社長と村田本部長の大学の同期の方がバンコク来るからって、支店挙げての接待。そして俺が通訳兼ねた役なんだよ。よりによって現代アート鑑賞って」

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 金正貿易のバンコク支社に勤務する現地駐在員黒田は、今から接待する人物のためホテル向かう車を運転していた。
 その人には本当は専属の担当者がいて、昨日までは接待をしていた。ところが今日の朝。その人が急に体調を壊して家で寝込んでおり、接待が出来なくなってしまったという。そこで急遽黒田がこの日の午後に接待をするように支社長に命じられてしまったのだ。

「黒田君悪いな、接待役の竹中主任がこういうことになってしまった。ということで今日の午後からの接待役を頼む。君は村田本部長からも目をかけられているしな。万事任せたぞ」
 と支店長には、朝いちばんにいきなり言われてしまった。断りたくても社命だから仕方がない。この日の午前中は、準備をしながら気持ちがブルーになったことは言うまでもなかった。

「それに、大阪の人というじゃないか。関西弁がすごく強烈な人なのだろうか」などと言っているうちに、ホテルに到着。
 車をホテルの駐車場に置いてロビーに入ると、白髪交じりの男性が待っている。身体的な特徴、そして今日は黄色いポロシャツを着ていると聞いていた。だからロビーに入るとすぐにその人と認識できる。

「あ、中島さんでいらっしゃいますか あの、金正物産の黒田です」「おう、今日はあんたか。そしたらよろしく頼んますわ」と関西弁で挨拶をした。
「よろしくお願いします」と頭を下げる黒田。それにしても、先ほど車の中で考えていたことが見事に的中してしまう。
 この後はバンコク市内にあるバンコク芸術文化センターに案内する。それは街の中心部にあるのでそれほど遠くない。

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 現代美術館はこのほかにも市の北部のカセサート大学の隣にある。そこに中島は昨日行ったという。そして今日は芸術文化センターを見学したらこの日の夜に日本に戻るとのこと。
 今夜の会食は支社長が担当していて、そのまま空港まで送ることになっていた。だから黒田の担当は、このアートセンターの通訳として付き合うだけである。移動中は特に会話もなく静かに過ぎていった。15分ほどで目的地に到着。

 「あ、ここです。降りましょう」と言って、黒田は道路から敷地内の駐車場に向かった。

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「現代アートセンターらしいわ。この上半身だけのオブジェ」と言ってスマホを構える中島。「は、はあ。確かに外にいきなりこんなのは不思議ですね」

「ほんで君はアートにはくわしいんか」「いえ、アートには疎くて」とつぶやく黒田。実は少し嘘をついていた。実は大学こそ美術系の大学ではなかったが、よく絵を描いていた。さらに絵画展に出展して、佳作をとったことが数回ある。しかし上はいくらでもいた。
 そんなこともあってか、途中で「自分には美術の才能がない」と挫折したという苦い思い出がある。それまでは美術館で気軽に絵画鑑賞を楽しんだものだが、いつしかそういうところには一切足を運ばなくなっていたのだ。

「なんかトラウマだなあ」黒田は中島にわからないように、タイ語でつぶやいた。今から受付ではタイ語で話すからその練習も兼ねて。
「おい、面白いもの見せてやるわ」入口に入るろうとすると、中島が声をかける。「これ見てみ。なんやと思う」
と、かばんの中から取り出したタブレットの画像を見せた。

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「これは?何かのオブジェなんでしょうか」
「まあオブジェと言ったらそうやけど、ある建物の入り口なんやで」
「それは、僕は見当がつきません」
「実はな、ワシの住んでおる大阪にある、日本の国際美術館の入り口や。すごいやろ」
「は、はあ。でもこういうの、よくわからないですね」
 これはウソではなかった。黒田は伝統的な技法で絵を描いたのであって、そもそも現代アートではない。だから本当に意味が分からないのだ。

 ところがそれまでにこやかな表情で語っていた中島の表情が硬くなる。そして声の語気が強くなった。「君、若いのに頭が固いんちゃうか!」
「ええ?」黒田は中島の一言を威圧的に感じて焦った。掌に汗がにじみ出る。
「わからないという発想がが間違っとんな」「それはどういうことですか?」
 中島は黒田の目に視線を送り、「わかるとかわからんじゃなくてやな。見てそれに対してどう感じるのかが、大事やとおもうんや」「は、はあ」

「例えば、有名な画家の作品があるやろう。誰でもええわ、みんな知っている人」「あ、ピカソとかゴッホとかそういう人ですか?」
「例えば、その名前の作品を見たらどう思う」
「それはやっぱりすごいと思います。有名な方ですから」
「だから、そういう考えがあかんのや!」またして語気を強める中島。「え?どういうことですか」

「それでは、作品を見てんのんと違う。ピカソとかゴッホいう、ネームをみとるだけや」「あ、はあ。名前をですか」少し狼狽しつつも。そこは駐在ビジネスマン。黒田は内心とは裏腹に相手に威圧されていないように、ふるまう。

「だから、今回バンコクで現代アート見るのが楽しみやったんや。昨日もやったけど、そもそも知らん文字やし、若い作家の子とか絶対名前がわからんやろ。そういう作家の作品見て、直感で良しあしを見たいんや。もっと言うたら好き嫌いのほうが正しいかな」
「直感、好き嫌い。じゃあ、もしピカソの作品が斬新すぎて苦手なら」「苦手でええと思うで」と中島。黒田はなんとなく意味を理解しつつある。

「そしたらこれ見てみ」と、中島の語りは止まらない。再びタブレットからある画像を見せてくれる。

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「これですか、なにか不思議ですね。左側のもですが、特に右側です。なんか真ん中が光っていて、割れ目から何か出てくるみたいになっているから、面白いですね」と黒田が答えるると、ようやく中島がさっきまでの穏やかな表情に戻った。

「そうや、この前やっていた展覧会で見たやつやけど、これはピカソやゴッホほど有名な人やない。けど作品にインパクトあるやろう」
「確かにそうですね」「だから、作者の名前を知らずに見るほうが、ワシは好きなんや。感性で見るアートという奴やな」

 黒田はこのとき、なぜ目の前の中島が、タイのバンコクに来てまでわざわざ現代アートを見ようとしていたのか理解する。
「言葉のわからない国で見るアートだから、余計に感性だけで作品を見られるのか... ...」


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 ここでようやく黒田は受付の前に来た。
タイ人の受付に対してタイ語での会話。これが今回の黒田の使命と言っても過言ではない。問題なく展覧会のチケットを購入。
 ここから中央にある長いエスカレーターで上がり、らせん状に回りながら展示物を見るスタイルになっているという。

「おう、これ見てみ」とエスカレーターで上がる最中に、中島は今度写真を黒田に手渡した。「美術館内にタブレットなんかだしたら怒られるやろう。だからこうやって印刷したものも持っているんやで」

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「これは、創作活動をされている」「そう、みんなの前で公開でやっておられたんや。で、この人何歳くらいやと思う」
 手の部分しか見えないので年齢はわからない。でもそんなに若いように見えない。「4・50歳くらいの人ですか」「いや違う、もっと上や」
「え、還暦すぎたくらいの人」「違う80歳近くや」

「この人80歳近くなんですか!」思わず黒田の声が裏返る。
「らしいで。この人の経歴で生年月日から逆算したらそうなるんや。でも、しっかり創作しているからびっくりや。アートの制作に年齢は関係ないんやろうな」

 これに黒田は衝撃を受ける。こういうアートは若いときに、頑張るものだと思い込んでいたし、年齢を重ねるともう無縁のものとばかり思っていたからだ。
「そうか、今度久しぶりに何か書いてみても良いかな。でも何年ぶりになるだろう」中島が展示物を真剣に眺めている間、黒田は沸々と創作というものへの気持ちが沸き起こった。


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「で、どうやった。わしは昨日とおんなじやった。やっぱり来てよかったわ。全く知らん作家の作品を、感性だけで楽しく見れるいう奴や、ほんで、現代アートには国境がないわ。当然やろうな、今は世界中の情報が瞬時に入る時代やからな」

「そうですね。僕も判らないなりに直感で見れて、いろいろ面白かったです」「そうか、それがわかっただけでも、今日一緒に見学出来て良かったんちゃうか」「はい、ありがとうございます」黒田はお世辞抜きで中島に礼を言う。

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「それにしてもこういう現代アートを扱う美術館は、レイアウトも面白いですね」とは黒田のつぶやき「そうやな。やっぱり建築物もアートを意識しているんやろうな」とご機嫌の中島。ここで出口に出ると、待ってたとばかりにタブレットを取りだした。

「最後にこれ魅せたるわ。比較になるかどうかわからんけど」と言って黒田に見せたのはある美術館の内部であった」

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「これはどこですか」「ああ、さっきみたやろ。日本の国際美術館や。ここの地下に展示室があって、この撮影した場所も実は地下1階なんやで」という、しかし黒田は首を横に振り「でもとてもそう見えません。これ見たらてっきり2階かと思ってました。ひょっとしたらそういう錯覚もアートかもしれませんね」
「どうやろうな、ハハッハハ!」と中島は笑う。行きと違い、ホテルへの見送りは、ずいぶん気分が楽に晴れやかな気持ちになるのだった。

 


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シリーズ 日々掌編短編小説 270

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