傘を差し続ける 第869話・6.11
「あ、雨が降ってきた」町を歩きながらの帰り道。誰にも聞こえない声で小さくつぶやく。今日の雨は大粒のようだだ。こういう日は特にうれしい。傘が差せるから?いや実はそうではなかった。傘を差すことが堂々とできることがうれしいのだ。すでに傘は差している。
いつの日だからだろうか?天気とは無関係に外出すれば、必ず傘を差すようになったのは。
だから外出するときには、いつも傘を持っている。なぜそんなことをしているのか理由は全くわからない。ただ傘を差さないとどうも気持ちが落ち着かないのだ。それって病気?一般人からはそう思われているのだろう。あと変人と思われているか。
かつては雨でもないのに傘を持っていると不思議そうに思われたが、最近は、天気が良すぎると、太陽からの日差しも強いからみんな日傘を差すので、そこまで気にならない。問題は曇りのとき。曇りのときは最も傘を差しづらい。雨も日差しも遮る必要がないのに、傘を差しているから少し目立つ。
「別に傘を差して外出しても人に迷惑かけてないのに」いつも心の中でつぶやく言葉。曇りのときはそう言い聞かせて、やっぱり傘を差す。ただ曇りから雨が降ろうかというくらいになると、傘を差し続けると余計なことに煩われることがない。
なぜならば小雨がパラついたとき、どのタイミングで傘を差すのか、あるいは雨が止む直前。どの程度まで降らない段階になってから傘を閉じるのか、そんな意識をする必要がない。常に傘を差しているから、いつ雨が降り出そうが、いつ止もうが関係ないのだ。
こんな不思議なことをやっているが、さすがに建物内や地下街などでで傘を差すことはない。だから建物に一歩入れば傘は閉じる。建物内や地下街から出るときは、外の天気がどうであれ傘を差す。常に傘を持っているから、天気予報を意識する必要はなかった。みんな天気が外れて急な雨になって戸惑っている姿を見ることがあるけど、このときはいつも以上に楽しいもの。
普段いつでも傘を差しているから全然関係ないし、曇りで傘を差しているときに感じる、微妙な視線をぶつける人たちに「ざまあみろ」という感情が走る。
「あ、雨が強くなってきた」今日の天気予報いちいち調べていないけれど、今日の雨は激しそうだ。最初に傘にぶつかった大粒の雨という時点で、その予感はした。大粒の時は小雨と違いすぐにわかる。傘の上に落ちる水の音。それが傘にぶつかったときの衝撃の音で、雨が降り出したことと同時に、これは強い雨になることがすぐわかる。
そんなことを思っていると、周囲の人たちはあわただしく町を駆け巡っている。傘を持っていない人が走りながら、雨が濡れないところを探している。いろいろなことをして濡れないように努力しているが、傘には勝てない。
しかし、そんな余裕が持てない雰囲気に。今度は風が吹いてきた。上から落ちる雨であれば何の問題もないが、風が吹けば雨は斜めに降り出す。そうなると、一般の人同様に少し厄介なもので、傘の角度をあれこれコントロールしなければならない。面倒だけど、この部分についてはやむを得ないのだ。
「キャー」見知らぬ女性の声が聞こえた。突風が吹き、傘が裏返ってしまったようだ。もちろん過去にこの女性同様に、何本かの傘を犠牲にしたことがある。だが、もうそのあたりの操作は手慣れたもの。なぜならば雨が降らない日でも風が強い時がある。傘を差さない一般人は気にならないことがいつも身に襲って来ていた。風が吹けば傘をコントロールしながら裏返らないように工夫。その工夫の繰り返しが功を奏したのか、おかげで多少の突風程度で戸惑うことはない。
それは今の状況でも同じだ。豪雨と突風もはや恐れることなく対応する。多少は濡れるが、それでもほかの人と比べて雨に濡れていない。傘のコントロールに関しては、もはや右に出るものはいないのではと胸を張る。
この雨は雷雨のようだ。一瞬目の前が光ったかと思えば雷鳴がとどろいた。「近い。いったんどこかに」こう見えても無謀なことはしない。雷が近く落雷のリスクを冒してまで町歩きを強行しない。目の前にカフェがあった。雨宿りを兼ねて入る。中に入ればもちろん傘を閉じた。
雨宿りする人たちで混雑はしていたが、幸いにも席が空いている。ゆっくりとカフェで雨が止むのを待った。少し体が冷えた気がしたので、ホットのドリンクを味わうことができたのは幸いだ。
気が付けば雨が小雨になっている。雷鳴も光もなくなったようだ。ここであわただしく立ち上がった。「雨が完全に止むまでに外に出なければ」
天は小雨になっているが、傘は必要な状態。カフェを出ると何の気兼ねもなく傘を差した。雨が完全に止んでしまってから傘を差すと不思議そうに思われるが、今ならだれも不思議に思わない。
こうしてまた傘を差しながら歩いていく。雨はまもなく止むだろう。だが傘を閉じることはない。そのまま次の建物。それはおそらく自宅の玄関までは傘を差し続けるから。
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