ミルクマン/ウォーターダンサー 2月の読書。
冬の夜長は翻訳本を読みたくなるもの。
身体はふとんの中でぬくぬくしながら、頭は時間枠や国境を越え物語の世界をふわりと浮遊するのがなんとも気持ちいいのだ。
敵対勢力の英雄「ミルクマン」に狙われる「名無しの私」 ★★★★☆
こんな小説ははじめてだ。
一人称で、ずずずずだだだっ、と語られる独り言。
最初は、Somebody-Mc-somebody :誰かさんの”子孫”の誰かさん。「ミルクマン」は私を監視している牛乳配達員。「メイビーBF」は知り合ってもうすぐ1年のひょっとしてBF(かもね)。「毒盛りガール」に「爆弾坊や」。
一番上の姉と義兄その1、海の向こう側へ行っちゃった二番目の姉と義兄その2、など、家族を含めて登場人物はすべて、その職業か役割か記号のようなニックネームがつけられている。
主人公ですら名前が無い。歩きながら古典小説を読むのが好きな「私」は、周辺住人からは「奇人変人さん」と呼ばれ、メイビーBFからは「メイビーGF」と呼ばれ、「反体制派の手に落ちた女」と名指しする輩もいるのだ。
いったい全体どないなっっってるねん⁈
作者プロフィールから読み解く
Anna Burns:イギリス連合王国北アイルランドの首都ベルファスト生まれ。ひとつの島が「こっち側」と「あっち側」で小競り合いを繰り返し、盗聴や密告やプラスチック爆弾がごろごろしている現実社会の話だったのだ。
1ページに段落は全然なかったり、ページの半分がひとつの文だったり。
文体はだらだら続くように見えるが、読み進むと、ジョギングのように不思議と気分が軽くなっていく。主人公の日常生活と事実の上に、ふと思い出したこと、ちょっと横道それたアイデア、メイビーBFは今どうしてるかしら、等がどんどん畳みかけてくる。長文なのに疾走感は加速してき、癖になる。(翻訳者はどんなに大変だったろう)
寛容な社会、真実はひとつではない
さて、私がもっとも気に入ったエピソードはフランス語講師が”空は青くない“を朗読させる箇所だ。とても比喩に満ちている。
空は青一色に決まっている、と頑固に言い張る生徒たち
「では、今すぐ夕焼けを見てください」と講師は窓際から外を眺めさせる。
空は何色に見えてますか?カラーではなくカラーズ(複数形)ですよ。
一眼だけでなく複眼で物事を眺めること、もうひとつの視点を許容できれば、こちら側とあちら側も歩みよれるのでは、という作者の想いが込められている気がするのだ。
現代の日本に住む私たちはどうだろう。不寛容になっていないだろうか。
水の踊り手の記憶をもとに僕は水をあやつる自由人になった。 ★★★★☆
代表作「世界と僕のあいだに」はいつか読みたい一冊、と頭の片隅に棲みついていた。著者のタナハシ・コーツという名前も気になるし。昔OL時代の頃の後輩に「棚橋幸次」という後輩が居たっけ…日本人みたいな名前だな、と図書館本の予約を入れたところ、予約多数で順番待ちが長く初長編の本作が先に貸出に回ってきたのだ。
Ta-Nehisi Coates:ただの米国人作家ではなかった。
暗黒時代の小説でありながらファンタジー要素もあり、辛い労働ばかりでなく、地下活動の工作員たちの手に汗握る暗躍や、主人公の能力により、水面のきらめきのように希望がさざめくようすも描かれ、素晴らしかった。
これから先はネタバレ含みますので、結末を知りたくない方は読まないでください。
19世紀南部ヴァージニア州
小説は史実をからめながら、19世紀のアメリカ・ヴァージニア州の奴隷制度時代が描かれる。
主人公の名はハイラム。母は黒人だが、父は屋敷の主・雇い主の白人である。名門旧家の父はタバコ農場が立ちゆかなくなり、奴隷を売りに出すことで収入を得、陰りゆく上流社交界にしがみつく。記憶力が良く手先が器用なハイラムは異母兄弟の兄の世話係として配され、共に家庭教師から文字を教わることで教養を積んでいく。
ハイラムには売られていった母との思い出がなく、ただ水カメを頭上に乗せ歌い踊りながら橋を渡った、美しいウォーターダンサーだったという話を聞かされて育つ。
自分らしく生きるためには逃げるしかない
馬車の事故で兄は亡くなり、御者だったハイラムは冷たい河から生き残った。しかし、死にゆく土地に残っても、一人息子だった兄の代わりに屋敷を継ぐことは不可能と分かる。そうして自由を手にするために「地下鉄道」が彼の心のほとんどを占め、母代わりに深い愛情で自分を育てたシーナに対し、若さゆえに冷たい態度で置き去りにするのだった。
このあと、ある裏切りにはめられたハイラムは以前よりもっと過酷な境遇におちいる。後に、救われたハイラムは、シーナにとった態度を深く後悔し、数年たってもシーナへの贖罪の気持ちは消えなかった。
地下鉄道と仲間たち
南部のある地域では、女はガチョウで、金の卵を産む間は大事に扱われるが、中年になると見向きもされない。夫を売られ、子供たちを売られ、それでも働きいずれ自ら自由を買い取る日を祈るしかできない。
地下の活動家のひとり、レイモンドは語る。僕には穴がたくさん開いているんだよ。いろんな部分が抜き取られてしまった。この失われた年月、父親と母親、兄弟たち、妻と子供…。
白人の活動家コリーンはハイラムの故・兄の婚約者だった女性だ。
私たちは不自由と闘うことこそ私たちの自由だという、福音を受け入れたのよ、と語る。「あなたは奴隷じゃない、ハイラム・ウォーカー。あなたは奉仕することになります」。
こうして、ハイラムは地下工作員の訓練を受けることになり、思いもよらない再会を果たし、やがて奇跡の力に導かれるのだった…。
モーゼと”導引”
読後、私がもっとも印象的だったのは、中年女性モーゼが繰り出す”導引”とコーラスの場面。モーゼが水に足を踏み入れたとたん、光がたたえられ奇跡が起こるのだ。モーゼが歌い、コーラスが合の手を入れる描写が数ページ続くところ、画像と音楽がずずぅーんと広がり、脳内IMAX状態で非常に気持ちよかった。
ブラッド・ピットとオプラ・ウィンフリーによる映画化の話もあるとか。どんな映像化になるのか待ち遠しい。
すべて覚えておくんだ。忘れることは本当の奴隷になることだから。
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