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のぼる人と山のむこうがわ

10月の中頃に

ある一冊の写真集が

私の家に届いた。

それは私の好きなアーティスト「ビョーク」の写真集だった。

ビョーク・グズムンズドッティル (Björk Guðmundsdóttir [ˈpjœr̥k ˈkvʏðmʏntsˌtoʊhtɪr] 1965年11月21日 - )は、アイスランドの歌手、シンガーソングライター、音楽プロデューサー、作詞家、作曲家、編曲家、女優。
wikipediaより

送り主は、私にその大切な写真集を送りたいと思いついたようで

写真集を譲るかわりに、あるお願いを交換条件とした。

写真集を見て
イメージを膨らませてほしい
それを元にnoteの記事を書いて欲しい


私はこの写真集としばらくにらめっこしながら、自分の中から、ゆっくりじっくり浮かび上がってくる思いをつかみとろうと過ごしていた。

一ヶ月経過した。

私はかなり、物事を理解するまで時間がかかる。もしかして神経伝達速度が人より遅いのかもしれない。(手術前の麻酔が効くまでかなりの時間がかかり看護師さんが驚いた顔をしていた事がある)
期日のあるものは、もちろん瞬発的に応答をしなければならないが
それ以外は、意識的にでもゆっくりにしたいんだと思う。

なので、この写真集の持ち主さんには随分と遅いお返事となってしまったことを、まず最初にお詫びしたい。

私がビョークとはじめて出会ったのは
あるミュージックビデオだった。
若かりし10代後半の頃である。

曲名は「All is full of love」


気持ち悪い

ひとことであらわすなら、そう感じた。

ぞわぞわした。
冷たいけど
生々しい。
ふれてほしくない箇所を
ざらざらとふれている。
入れちゃいけないところに
入り込まれている。
北欧神話にインスピレーションを受けたという
この曲と
クリス・カニンガムによる
侵襲的に感じるこのMVは
いつまで経っても
私の頭から離れることはなかった。

歌詞が頭に響く。

あなたには愛が与えられるでしょう
あなたには加護があるでしょう
あなたには愛が与えられるでしょう
信じて
あなたが力を注いだ場所からでは
ないかもしれないけれど
あなたが見つめている方向からでは
ないかもしれないけれど
見回してみて
あなたの周りに答えがあるから
全ては愛で満たされている
あなたの周りは全て

なにか違和感があるものを覚えておくことは
大切なのだと、今この年になってあらためて感じる。

違和感はきっと私に何かを教えてくれようとしている。
違和感は何かのサインである。

それは虫の知らせだったり
危機だったり
吉兆だったり
誰かの念や願いだったりする。

だから私のどこかに残っている何かの違和感たちは
たとえどんなに居心地が悪くてもおさまりが悪くとも
必ず来るべき時に正体が訪れると思っている。

私は今この「All is full of love」の歌詞がとても心に響いている。

特に
「あなたが力を注いだ場所からでは
ないかもしれないけれど
あなたが見つめている方向からでは
ないかもしれないけれど」
というのが、核心にせまっている箇所だ。

今の私だからこそ、受け取れるものがある。
これは10代の私では受け取れないものであったと思う。

まずこの事について、写真集の主にお礼を伝えたい。

ありがとう。


次に映画の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」についてふれたい。

この映画は……超超超賛否両論ある事を私は知っている。
「もう二度と見たくない」と言う人が多いのも知っている。
完成するまでもかなりの問題作だったという事も風の噂で知っている。
何よりビョークは自分が演じた主人公に対して、かなり批判的な意見を持っていることも私は知っている。

でも、どうしても
この映画は私にとっては外せなくて
自分をカタチ作っているお話の1つなのである。

公開後にわざわざDVDを購入して、繰り返し繰り返し観ていたことは隠しようのない事実である。

あらすじなどは割愛するが、この映画は途中で大事な人の大きな裏切りがある。

そしてどんどん主人公は現実的に追い詰められていく。

主人公は大事な息子を守るために、犯罪を犯してしまうのだ。

物語には絶望しかない。

理不尽。

怒り。

悲しみ。

その中で、主人公は現実から逃避するように

歌を歌いだす。

踊る。

これも全て妄想の産物である。

このお話に救いは全くないのだ。


でも彼女には歌がある。

力強く美しい歌声。

そして見えないけれども彼女にだけ見える世界がある。

私は時々この歌を聞いている。

どんな時に聴くかというと

たぶん、自分を励ましたい時なのだと思う。

私はこの映画に限らず
けっこうバッドエンドや救いのない映画を
自ら好んで1人で観ている。

なんでそうしているのか
いまだに明確に理由がわかっていないのだが
鑑賞すると自分が「一人ではない」気持ちになる。
あるいは「世界に一人ぼっち」のような気分にもなる。

それはたぶん…….私にとっては不思議と安らぐ瞬間でもある。

天国と地獄が本当にあるのかはわからないが
現実は天国のようでもあり、地獄のような顔つきを見せる時もある。

そして、私たちの曖昧な世界は
彼岸と此岸がはっきりと分かれているようで
実ははっきりと分かれていないような気もする。

向こう側(彼岸)に渡ることについて

私は写真集の主と出会って、同じ企画へ記事を投稿した。

一緒に出そうよと励ました。

森の中を一緒に歩いてくれた。
森の中で、実は私も恐怖を感じていた。

「真面目に考えてもしょうがないじゃん」
「そんな理想ばっかり言っててもできる訳ないじゃん」
「てきとうにやっておけばいいんだよ」

私はずっと自分に疑問を抱いていた。

私はずっと一緒に歩いてくれる人が欲しかった。

彼女は同じ山ではないが、一緒に道なき道を歩んでくれる人だった。
励まされていたのは私の方だった。

たとえ、はっきりとわかりやすく見えなくとも

想像する事。

どこかで私と同じように歩んでいる人がいること。

私のまわりには答えが用意されている。

全ては愛で満たされている!

おかしくも偶然に

彼女は本当に最近山に登り始めた。

私はこの記事を読んでにやりとした。

まだまだ登るつもりなんだね。

私も自分の山を登るよ、と小さく小さく念じた。

いつだって彼女が登っていくのであれば

私も登れる自信はあるのだから。

だから今日も一歩を踏み出すよ。

ありがとね、おだんごさん。

写真集大事にします。

この写真が1番心に残りました





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