あの時唱えていたのはニフラムでした
最近、Twitterで流れてきたつぶやきに、思わず昔の古傷が痛みだした。
近年は、私も年齢を重ねてきたこともあり、自分にあふれでてしまう怒りの感情やもやもや感に折り合いをつけることが少しずつ可能となってきた。
しかし、若い頃は若さゆえに今より許せないものは多かったのだ。
まあ、今だって同じ場面を見かけたら正直もやもやはする。
そのもやもやの話をしたいと思う。
Twitterのつぶやきの話に戻る。
どんなつぶやきだったかというと、内容は以下のとおりである。
正直
まだこんなこと言ってる!
と思った。
じょーだんはよしこさんである。
さて。
私が何にこんなにわふわふ騒いでいるのか、わからない方は多いと思う。
あらためて簡潔に説明を試みてみる。
私はかつて老健(介護老人保健施設)に勤めていた。病気になって入院したりすると、それぞれの段階に合わせたリハビリテーションが展開される。老健というのはこの中でも「維持期・生活期」の利用者さんに関わる施設である。
急性期から回復期、そして維持期・生活期という変化を経て、在宅へ帰れる方は在宅へ、難しい方は施設生活へそれぞれ突入していく。
この維持期・生活期という時期は正直、病気や怪我の回復ぶりがプラトーといって、だいぶ緩徐なものになりやすい。なので、正直なところ、機能訓練的なものよりも、もう少し環境調整に(どんな介護サービスを使うのか、福祉用具は何を利用するか)比重を置きたい時期でもある。
つまりこの時期はそこからどのような生活を過ごしたいのか、先程述べた自宅へ戻るのか、施設に留まるのかといった、生活に根ざしたリハビリテーションをその方の環境や状態に合わせて担当者はオーダーメイド的に検討するべきである。
さて、まずこの方の年齢である。
90代。
正直「もういいじゃん」って思う。
自分を追い込む身体機能的訓練をするよりも、ご自身の好きな事や穏やかに過ごせることを優先に考えてみてはどうかな…..と私だったら考える。というか私が90代だったらそのようにしたいと思う、たぶん。
もちろん元気な90代に関わらせてもらうことは過去何度かあった。
両膝の人工関節置換術を一回の入院で行って、入院前よりぴんぴんしゃんしゃんして颯爽と帰っていた強者のおばあちゃん。あのばあちゃんはすごかった……。そのような方はばりばり機能訓練でもトレーニングでもすすめたらいいとは思う。
でも下手したら昔だったらとっくにあの世に逝っていてもおかしくない年齢である。何が悲しくてそんな死ぬまで軍人みたいな人生を歩まなくちゃいけないんだ。
あと引っかかるのは「長下肢装具」という記述。
長下肢装具は、あしの付け根から足先までロボットのように包み込むような形をしている。
「かっこいい!」と思ったあなたはもれなく厨二病なので、黒龍波を強く放つために忌呪帯法でも巻いておけばいいと思う。
それはさておき、この下肢装具。
完全に普段使いの代物ではない。
高齢者しかも片側が麻痺している方が、1人では装着できないし、なおかつ下手したら1人では立つことさえできない。
もちろんリハの時間でまだ回復が望めるならやるべきだと思う。でもこいつはいくら練習しても日常生活に汎化されない。
それよりも「車椅子からベッドに1人で乗り移れるかどうか」といったことの方が100倍重要だと思う。(なぜならそれができるなら1人でトイレに行ける可能性が高いから。トイレを手伝ってもらうというのはどんな人でもかなり精神的な負担になってしまう)
残念ながら歩く練習にとらわれすぎて、普段の生活の中で必要な練習をしてこないといったケースはもの珍しくない。
私がどこにカチコンと怒り心頭になったかというと、私が勤めていた施設に回復期病院の若いスタッフが以前担当していた患者さんの状態を見に来た時。
熱心なのはいいんだ。担当だった方が退院後にどのような生活を過ごしているかを知ることはきっとセラピストのためになると思う。
けれども
「ここだとそんなに(長下肢装具で)歩く練習をしてもらえないんだ。やってほしいですよねー。病院だとできるのにねー。」
と捨て台詞をはいていったと聞いた日には
私は完全にニフラムを唱えていた。
どっか飛んでけー!もう来んな!!
と自慢のナックルベアを握り込みながら、思い出すたびにしばらく怒り心頭の毎日を過ごした。
今は
「若いんだなー」
で済ますことができるようになった。
でも、私にとってはかなりの古傷案件で、聞くとちくちく胸が痛む。
私なりにぶっ飛ばしたい案件であった。
※この記事は実はきゃらをさんの「お前ぶっとばす企画」に投稿しようと思いつつ、時期を逃してしまった代物なので、ここで記事をあげて成仏させたいと思います。
きゃらをさん間に合わずごめんなさ~い。
そして内容がやや専門的な仕事の話ですみません。私が怒るのは大体仕事の事です。