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治らないからいいんです
「治らないからいいんです」
まだ私が30代の頃、地域のリハ職と医者との交流の機会があった。
と、このように書いてしまうと、なんだかかたい印象になってしまう。
端的に言ってしまえば、数人で飲み会をしただけ。そのメンバーが医療職である。ただ、それだけ。
話を先にすすめたい。
私の目の前には、隣の市の病院に勤めている医師が座っていた。彼の専門は精神科と認知症だった。年は私たちより彼の方が10歳以上は上だった記憶がある。物腰はやわらかいが、彼の講義は芯が一本通っており、彼が話すことと、実際の治療や行動が、それほど矛盾しているところがない、めずらしいタイプの医師だった。具体的には精神科の患者さんに、なんでもかんでも求められるがままに多量の薬剤を投与することはせず、適切な量やタイミングを見定め、まずは生活を見ていきたいというタイプだ。
少しお酒も入って、頬が上気し、楽しそうでおだやかな雰囲気である彼と、はじめて一対一で話すことになった私は、やはりこんな時でも仕事の話をしていた。
私は彼を尊敬していた。
自分が生きてて尊敬する医師なんて、はっきり言ってこの時でも5人にも満たなかった。
お互いの話の流れで「なぜ先生は精神科の医師の道を選んだのですか?」と私は質問を投げかけていた。
すると「前はがんも興味があって、関わっていたんですよ」と話した後に、冒頭のセリフになった。
「認知症も精神科もがんも、治らない可能性が大きいものばかりでしょ」
「治らないからいいんですよね」
「僕はそういうものと向き合いたい」
「あまり好まれる分野じゃないよね。かっこよくないし」
「でもわからなさがいいなと思ったんです」
私はそこで急に当時自分が勤めていた病院のある風景を思い出していた。
私が担当することになった、脊髄損傷を受傷した男性。
彼のベッドの周りには、数名の医師がいて、みんな暗い面持ちで、どこかいてもたってもいられない表情をしていた。それはとても頼りなくて、居心地が悪くて、いつも自信に満ち溢れていた医師たちの表情は影も形もなく消え去ってしまっていた。
腰から下の神経に損傷が残り、彼の足は動かず、感覚も感じることができない。
おそらくこの先も回復する見込みはない。
私ですらわかっていたことである。当然ながら、医師たちもそれを充分理解していた。
作業員として職場で働いていた渦中の事故であった。しかし、その事故自体もなんだか会社ともめているようでもあると、耳に入ってきている中で、目の前の医師たちの姿に、私は違和感を覚えた。
回診で回ってきて、先ほどここににたどり着いたのだ。
隣の病室では、膝の手術をした高齢の女性に「回復してますねー」とか「もうすぐ退院ですね」と、声をかけていたはずの彼らの楽しそうな雰囲気は、たった今お通夜のようになってしまった。
短い沈黙のあと。
1人の医師がやっとのことで彼に近づいた。そのあと
「まあ、うん、そうだね」
などと、ことばになっていないような小さな声を、患者さんである彼の目も合わせずにこそっとかけてから、次の患者さんにさっとうつっていった。
それはとても私の胸の内をざわざわとさせる光景だった。大きなかなしみのようなものがじわじわと足元をつかんで離さなかった。
彼は「へ?」みたいな顔をして、戸惑っていた。
あぁ、彼らは治らないものに、どうしていいのかわからないのだ。
彼らにとっては「治らないもの」なのだろうが
私にとっては彼は1人の「人間」だ。
その回診の一瞬さえやり過ごしてしまえば。
そのような狡さを医師たちに感じてしまった。
詳しい病状の説明もない。彼の心が今どのようにあって、それをただ「きく」ということさえ、できないのかと。
私はこのような時。医療に大きくがっかりする。
このような場面はめずらしくもなんともない。
私は自分が医療に携わりながら、医療のできないこと。できないことを誤魔化して、無かったことにすること。医療者が逆に、人の心を踏みにじること。権威だけにすがって、大事な本質を見失ってしまうこと。
またそういった組織に、自分が属していること。いけないとわかりながら、改善できないこと、自分が改善しうる力も持たないこと。
そんなことを思って打ちひしがれていた時に、この飲み会の医師と、医師のこのことばに出会った。
私はなんだか嬉しくなった。
「私もわからないから、関心があります。治らないからこそ、自分たちが何もできないからこそ、そこに人がいることが、たぶん大事だと信じたいんです」
興奮しながら医師に伝えた。
彼はにこりとおだやかに笑顔を見せ、ビールをぐいと飲み干した。
わからないことをおそれない。
よくならないものと、一緒にいること。
そこから私は気づかされたこと。
学んだこと。
得たことが
体験としてここに残っている。
医療が関わるものは、ひとつの価値観だけでは、務まらないものが多いのだ。
それを教えてくれたのは患者さんであり、多様な目を持つスタッフたちであり、またここにはもういない、私の前を流れて通り過ぎたものたちの、残像のような、けれども、しっかりと手のひらの感触は残されているような、息づかいを感じられる、確かなものなのだと私は思っている。
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