さいごのきわにさいごの笑顔をあなたと
「まずは座る事なんです」
「しっかり座らないと、しっかり立つ事はできません」
「だからこうやって座る練習をしましょうね」
私は、介護ベッドに座っていて、同じく隣に座っている男性に声をかける。
2人は視線は合わさず窓から見える庭をみつめていた。
庭は小さいながらも、木工の白いテーブルと4つの椅子がおいてある。芝生が敷かれていて、つやつやした緑の垣根が見える。
私は想像する。この人は昔はこの庭で奥さんとお茶をしたり、道路をはさんで向かい側に見える桜の木をゆったりと眺めている時間を過ごしていた事を。そよそよと風を受けて、大切な人とかけがえのない時間を共有していた事を。
男性は、静かに座っていた。
いつも行っていた端坐位保持練習。
普段はベッドの右側に起きて座る練習をしていた。
なぜならいつもはそこに奥さんがいたからだ。
「あら、今日はいい顔してるじゃない」
「やだ、寝ぼけてるの?」
「いい男だよ」
奥さんはいつでも彼にとびきりの笑顔で、とびきりのジョークを交えて朗らかに話しかけていた。時には奥さんの妹さんが見えて、花が咲いたように、一緒に彼の楽しい過去を思い出して談笑されることもあった。
私が訪問した時に、奥さんと妹さんで彼の髪の毛を楽しそうにカットされていたこともあった。もう、てんやわんやの大騒ぎ。「なにこれ~すごいへたくそになっちゃった!!」「バランスが悪すぎ!!」「まあ、いいのよ。涼しくなったでしょ。」私は2人の間で「私が体を支えているからお2人で切ってください」と彼の身体を支える。
私の仕事着は彼の髪の毛だらけになった。私は2人のかけあいと自分の置かれている状況がただおもしろくて、笑っていた。そして2人も私を見て笑っていた。(そのあと、ついでに言うと私の服を衣服用のコロコロで奥さんが必死にコロコロしてきたこともおもしろかった)
今日の訪問は奥さんがいない。
彼女は用事があってお出かけをされていた。訪問前に自身が不在であるというお知らせのお電話を頂き、丁寧に玄関にもメモ書きでそのことを伝えて下さっていた。
ベッドの右側には居間があり、その奥にはカウンター式のキッチン。
いつものその景色を見ていても良かったのだけれども。
ベッドの左側。
そこにはすぐ窓があり、自宅の庭が広がっていた。
『今日はこの景色を見てもいいかもしれない』と私はご本人に同意を得て左側に起き上がらせ座る練習をしていた。
彼はもともとの持病があり、徐々に体が衰えて、肺炎をきっかけに病院に入院した。
口からご飯を食べることができなくなってしまったので、入院中に胃瘻を増設した。そして栄養状態が安定せず、臀部への圧迫も重なり大きな褥瘡を抱えて退院された。退院後に訪問リハの依頼をうけた。
初回介入時から数回は意識障害を強く感じた。
起きているのかいないのか。
心ここにあらず。
起こす練習をしても、最初は血圧の変動、呼吸の上昇があり、目は閉じられたままだった。
私の頼みの綱は奥さん。
奥さんは彼のことを愛していた。
彼の事を慈しむようなまなざしを傾けていた。
私は彼が元気で在った時の話を積極的に奥さんに伺った。
その中で
「加山雄三さん」
がすごく好きだったこと。
今は吐息のようなかすかな発声しかできない彼が、昔はそれこそホンモノじゃないかというくらいの美声を、奥さんに向けてカラオケで響かせていたことを教えて下さった。
私は次の週から、関節を動かす時間に加山雄三さんの音楽をタブレットで流し続けた。
すると徐々に閉じていた目が
少しずつ開くようになり
目に光が戻り
しまいには加山雄三さんの歌を歌い始めるようになった。
「最近、よく歌っているのよ」
奥さんが嬉しそうに報告して下さった。
「よく歌うしね~声がはっきりしてる時が増えてきて、しゃべっている内容がわかるようになってきたのよ。」
場面は冒頭に戻る。
私は時に小さなうそをつく。
そのうそはいいのか悪いのかはいつもわからない。
けれども毎回罪悪感を抱いている。
でも、目の前の人が、どんな状況でも少しでも、生きる力を取り戻せたら。
ほんのわずかな灯りのような、小さな光を見出せたなら。
私はうそをついていた。
彼が立位を取ることは
客観的に考えてもきびしかった。
長年の蓄積により足関節は固くなってしまい、足先が垂れた状態で動かなくなってしまっていた。
筋力は衰え、ほとんど骨と皮の状態であった。
臀部には褥瘡がまだ広範囲に残っていた。
だから
「座る」の先に
「立つ」があることは
私はできないと知りつつ
私は座る練習の先に
立つ練習があることを
ほのめかしていたのだ。
私と彼の間に沈黙が訪れる。
庭は静かにそこにあった。
風が吹いていて、木の葉っぱがゆれていた。
彼はゆっくりと笑顔をつくった。
昔この庭で奥さんと過ごした事。
テーブルなどは手作りしたこと。
あと、今無性にするめが食べたい事。
(お酒もあったらいいですねと尋ねると、うんうんと頷かれていた。)
そしてこう言った。
「立つだけじゃなくて」
「もっとその先にいきたいよね」
私は彼の声が小さいので聞き返した。
「歩けるようになりたいよね」
彼はくしゃっとしわを増やしながら
私に笑顔を向けた。
その翌日、彼は眠るように亡くなった。
私は、思う。
いつも自分の仕事は何をしているのか。
これで良かったのか。
振り返って「あの時こうしていればこうだったかもしれない」といういくつものパラレルワールドを想像する。
奥さんとお電話で数日後に話した。
「本当によくして下さって、夫は楽しそうでした。いい顔も見られました。感謝しています。ありがとう。」
私は、車内で電話越しに聞こえる奥さんの声を聞いて、複雑な心を抱いたまま、次の訪問先へ向かった。必死に普段の表情を作る。
先日、私の大切な友人と話している時に
こんな話を聞いた。
彼女の職業は看護師である。
彼女は看護の専門性について語っていた。
「わたしたちがわかることは、今この人が、あとどれくらいで逝ってしまうのかということはだいたいわかる。もちろん、それは大事なことなのだけれども。
けれども、それだけではない。そこからどのようにその方が人生を終えていくのか。大事な人を呼んで過ごしてもらったり、その手助けができるのが、私たちにしかできない専門性なのではないか」
専門性。
これからAIが進歩していく時代で、私たちが行っていた仕事をある程度、機械が肩代わりしてくるようになる。
その時に、機械ではできないこと。
人と人とを結ぶこと
解決できないもやもやを抱えること。
考え続けること。
問いを立てていくこと。
私はたくさんのもやもやを心に置き続けている。
今回の件も、「最期にいい顔が見られて良かったな」という単純なものとしては、私の心に残ってはいない。
彼が私に残したもの。
彼の笑顔と
そして問い。
さいごのきわに置いていってくれたことを
私は忘れたくないと願っている。