かわいそう…って何だろう?〜ドラマから考える(3)
私は物心つく前から祖父母がいません。
小学生の時それを
「え、かわいそうに…」
「ご、ごめん。変なこと聞いて…」
と言われることに疑問を抱いていました。
別に私は祖父母いなくても普通に幸せだし、なんでそんな勝手に不憫に思われなきゃいけないのか。
祖父母がいないことなんかより「そんなこと言われる私、かわいそう」でした。
皆さんにもそういった経験ありませんか?
耳の聞こえない人はかわいそうか
奈星さんの記事から考える、第3弾です。
毎度通知の行ってしまう奈星さん💦
次で終わりにしようと思っていますので、もう少しお付き合いください。
今回は聴力を失った主人公の、お母さんが流した涙の意味に関する部分について考えたいと思っています。
手話のこと、ろうや聴覚障害者のことを真剣に考えてくださってありがとうございます。
私が何の立場でお礼を言うことでもないのですが、きっかけの一部なれたことを嬉しく思っています。
皆さんよくご承知か思いますが、念のため先にお伝えします。
自分だったら…を考えることは自由で尊いことですよね。
早まって誰かの意見を無理に変えよう、ねじ伏せようと考えず、色々を受け入れるインクルージョンでいきましょう。
奈星さんのこの気持ち、すごく素敵ですよね。
だって「想くん(主人公)かわいそう」って思うことは、
結果、「ろう者かわいそう」に結びつきかねない
ということですから。
そもそもろう者はかわいそうか
手話で学べる学校『明晴学園』での一幕をご紹介します。
元TBSで筑紫哲也NEWS23のプロデューサーをされていた斉藤道雄さん著『手話を生きる』の本の中に、小学生が先生から中途失聴者について教わった場面が書かれています。
先生から聞いた、子どもたちが小さい声(手話)で「やった!」と言ったその内容を、子ども視点で書かれています。
※実際の全会話は手話です。
冒頭の私の話しかり幸せに生きています。
それは誰かに強制されるものではなく、自然に思っているものです。
でも周りが「あなたはかわいそうなのよ」と言い続ければ、私も彼らも「自分はかわいそうな人間なんだ」と思い始めてしまうかもしれません。
その「かわいそう」は一体誰のためになるのでしょう。
ただ、皆さんの中に一つ疑問が浮かんでいる人もいるかもしれません。
「いやでもドラマの彼は生まれながらのろう者じゃないし」
ろう者と中途失聴者の違い
話を進める前に中途失聴者はろう者と何が違うのか、簡単にカテゴライズしたいと思います。
どのように捉えるか、手話の世界ではしばしば議論されるところです。
私は基本、聞こえの程度ではなく文化的視点で捉えています。
その方が課題を明確にできるからです。
ろう者……母語、第一言語が手話である人。
(基本は日本語獲得前に失聴している)
中途失聴者……母語、第一言語が日本語の人。
物理的に声での会話が難しくなったため
書記日本語、
手指日本語(手話単語を日本語の文法で表すもの、
日本語対応手話とも呼ばれる) で生活する。
難聴者……母語、第一言語が日本語の人。
聞こえづらいため、補聴器等で声を聞いたり、
書記日本語で生活する。
文化的には、ろう者/中途失聴・難聴者で分けられます。
これを一緒くたにすると、課題が見えづらくなります。
中途失聴者はかわいそうか
ろう者と違い、中途失聴者は今まで聞こえていました。
音楽が楽しめないとか、YouTubeの楽しさが半減するとかもあるとは思いますが、音楽家でもなければ何より「自分の言語でもう会話ができない」ことが1番の不便でしょう。
中途失聴者は自分の言語を扱えなくなるのです。昨日まで話していた母や父、大好きな彼女が何を言っているか分からないし、分からないを伝える自分の言葉(声)も自分では確認できなくなります。他の有用な言語も知りませんから、絶望を感じるかもしれません。そういう意味では、最初は “かわいそう” なのかもしれません。
ろう者でも、「中途失聴はちょっとかわいそうね」と言っているのを聞いたことがあります。それは聞こえないことそのものを嘆いているのではなく、今まであったものが無くなったこと、自分の扱える言葉を失ったことを言っているのだと解釈しています。
母の涙
私はドラマを見ていません。なので母がどのように泣いているのかどんな風に描かれているのか知りません。
最初のうちはただただ、何でも不幸に感じるのかもしれません。
今まで全くろう者と関わったことがない人に、起った時に理性的に考えさせるのは無理な気もします。
奈星さんのように前からろう者のことをきちんと捉えようと努めていらっしゃる方なら、ろう者が不幸だという考えにはならないのかもとも思います。
ただ今まであったものが無くなったということ、そして息子と自分たちの言葉が通じなくなったことを悲しむことにはなるかもしれません。
私もおじいちゃんおばあちゃんを物心ついてから亡くした人は、かわいそうだと思います。それは祖父母がいないという状態を思いやっているわけではなく、今までいた人と別れてもう話せないことを思っているのです。
ただ、彼が手話で生きると決めたのならば、母はもう嘆かないでほしいと思います。周りがかわいそうと言い続けることが、1番のかわいそうだと思うからです。
かわいそうなのは耳が聞こえないからではない
あの明晴学園の子どもが大人になり「やっぱり聞こえたかった、聞こえない方がいいなんて嘘だ」って思う日が来るかもしれません。
私の周りにも自分の不幸を全て聞こえないせいにして暴れ回ったろう者がいます。
それは、前述の
周りがかわいそうを言いまくった結果
それと
社会がろう者として生きることに適応していないから
だと思います。
耳が聞こえないからかわいそうなのではなく、
マイノリティで社会が受け入れ態勢を先送りにしたことがかわいそうだと思います。
今やっているドラマも現実世界ではありませんが、
実際に彼のような子が、そして明晴学園の子どもたちが
社会に出るときにかわいそうでなくなるかどうかは、
既に社会出ている私たちの対応次第だと思います。
皆さんも差別に結びつく思考と思いやりと、
ドラマから少しずつ考えてみませんか?
話題のドラマから考えてみませんか?シリーズです↓
オススメ! 斉藤道雄著 『手話を生きる』
本に出てくる手話で学べる学校
暴れ回ったろう者のこと含め、ろう者、手話のことをまとめています↓
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