見出し画像

日本の「般若心経」と玄昉

「般若心経」をそらで唱えられるようにしようと決意したのが何時ごろだったかはちょっと忘れてしまったが、2019年5月よりも前であるのは確かである。何故なら、ちょうどその年のシャンバラ教室(現シャンバラ書道会)発表会の準備で、般若心経に取り組んだ生徒の作品を見ていてある発見をしたことが、5/16のツイートとして、以下のような形で残っているからだ。

”般若心経の最初から2/3くらいまで進んだところで「遠離一切」という文言が出て来る。唐代の書家が書く般若心経にはこの部分の「一切」が無い事に昨日気づいた。調べてみると、玄奘三蔵が漢訳した時にはこの「一切」が入って居なかったのだと分かった”

この事に気づけたのは、覚えた般若心経を心の中で唱えながら作品の字の並びを見て行ったからであった。最初は生徒が書き忘れたのかと思ったが、実はこの時、2人の生徒が顔真卿、欧陽詢という唐代の異なる書家による般若心経を臨書してくれていたお陰で、それが単なる見逃しとか書き忘れではない事に気づけたのだ。

私はこの時の気づきにかなり興奮していた。一つは、日本人が長年に渡って唱え続けて来た般若心経が、実は特殊なバージョンである可能性を知った事に。もう一つは、漢字で262文字と認識していた般若心経から、後付けされたと考えられる「一切」を除くと260文字という事になって、マヤのツォルキン(260日暦)と完全にシンクロするという事に。

『13の月の暦』提唱者の1人ホゼ・アグエイアス博士は、易の卦とツォルキンの関係に気づいて探究を続けた人物だが、漢字文化圏の人ではなかったから、般若心経とツォルキンの関係には気づいていなかったに違いない。実際、私が知る限り、それについて言及された資料は見た事がない。つまり私が第一発見者なんじゃあないか!と興奮していたのだ。

だが、それから10ヶ月もしない2020年2月、新型コロナによる諸制限が始まる直前の台北で、台湾の13の月の暦チームに出会って交流を深めた時に、それが思い違いだった可能性が高い事を悟らされた。何と、彼らから色々と頂いたプレゼントの中に、ツォルキンと般若心経を対応させた一覧表があったのだ!

玄奘三蔵版の般若心経がそのまま使われている台湾や中国では、ずっと昔から260文字のままなのだから、その知識がある人がマヤ暦や『13の月の暦』を知れば、結びつけたくなるのはごく自然な事。私は、この件についての企画を練っていたので、帰国直後に書いたブログ【台北で魔法使いの日に銀河家族と円卓を囲む】には、あえてその事は書かないでおいたのだが、今回のシンクロを通じて、これはやはり書いておかなければならないと思うに至った。

そのシンクロについて、以下、記して行こう。光栄なことに、今年も「世界水まつり」に出演者として呼んで頂いた私は、そのアナウンスも兼ねて【世界水まつりin阿蘇「五大にみな響きあり」】というブログを書いた。タイトルに「五大にみな響きあり」という空海の言葉を入れたかった私は、念のため手元にある空海関係の資料をひっくり返して確認していた。

その中の一冊『若き空海の実像』(飯島太千雄著/大法輪閣)を手にしてパラっと開くと、その日、電気の月19日(3/19)にぴったりシンクロするP319で、そこにはここ数年謎に思っていた般若心経の「遠離一切」の部分と隅寺心経の事が書かれていた。それで少し舞い戻って読むと、全ての謎が解けたのである。この日は金星軌道と対応するKIN248(1・星)でもあったので、まるで空海が求聞持法を成就した時の「明星来影」を彷彿させるような出来事だと感じられた。

本書は、かつて蘭禅が天真書法塾の発表会で天真大賞に輝いた時に、お祝いとして本書を編集した安元氏から贈られた本で、私は当時(2009年か2010年ころ)一通り読んだはずなのだが、この本の中に「玄昉が弘めた日本の『般若心経』」という章があり、「遠離一切」の「一切」が加えられた経緯が詳しく検討されている部分があったのを、完全に忘却していたのである。

「五大にみな響きあり」の根拠を確認しておこうと思って開いた本の中に、長年謎に思っていた般若心経や隅寺心経の事が、これ以上ないくらい詳しく書かれていたのだから、驚かずにはいられない。しかし、私の驚きにはまだ先があった。本書の中で著者は、日本独自のスタイルを取る事になった般若心経の起源を、奈良時代の僧・玄昉に求める結論を導いている。

それで、あとがきにある玄昉墳墓の写真が気になって、どこなのだろう?と文を読むと、何と太宰府の観世音寺であった!この瞬間の驚きは、日々シンクロに新鮮な驚きを感じている私でも、久々に鳥肌が立つような出来事だった。なぜなら、私たちはその時点で11日後には観世音寺(トップ画像)を訪れる事が決まっていたからである。

全く違う目的で手にした本の中で、思いがけず般若心経の謎が解け、しかも、玄奘三蔵版と鳩摩羅什版を合成することで、日本独自の般若心経を生み出したと考えられる人物・玄昉の墓が、これから訪れようとしている太宰府観世音寺の境内にあるというのだから、この時空シンクロ率の高さは並では無い。流石にこれは、空海経由で玄昉に呼ばれたかもしれないという気持ちになった。

何しろ、今回の九州行きは、ある面、私の閃きと希望で唐突に決めた所があったからだ。パレンケから来日中の「赤の女王(パカル王妃と考えられている)」が「赤」であるのは石棺内「辰砂」で赤く染まっていた事に由来する呼称だが、何と、この女王が来日する直前に、吉野ヶ里の謎のエリアで1800年ぶりに発見された石棺にも「辰砂」が使われていた事が明らかになったのである。

しかも、そのタイミングは【石棺の蓋が開くKIN123という時空回路】に書いた通り、パレンケのパカル王の石棺開封キンと完全にシンクロしていて、パカルの石棺が開封された1952.11.27(KIN123)から吉野ヶ里での石棺開封日である2023.6.5(KIN123)までは、260日暦が99回巡った関係になっているのだ(1日一文字で般若心経99回分とも言える)。

吉野ヶ里遺跡と太宰府がそれほど離れていない事を知った私は、東京で既に2回対面を果たしている「赤の女王」に、太宰府の九州国立博物館でも再会しつつ、吉野ヶ里も訪れられたらいいなと漠然と考えていた。パレンケと吉野ヶ里の繋がりに唯ならぬものを感じた私は、この「辰砂」共鳴場に実際に身を置く必要があると感じたからだ(それは阿蘇に繋がる回路にもなりうる)。すると、まるでそれを狙ったかのような出来事が生じたのである。

太宰府在住のMさんは、ここ数年オンラインで天真体道瞑想クラスに参加して下さっている方だが、実は当初から書にも関心を持たれていた。オンラインメンバーでも一度は対面クラスに参加してもらうという方針があって、未だ実現はしていなかったが、新たにシャンバラ書道会が発足した事や、最近WEBで注文した書道関係の本がピンポイントで太宰府から届いたというシンクロもあって、私たちが太宰府を訪れれば、ついでに対面指導の機会も設けられるという事になったのである。

一方、太宰府での「赤の女王」展示期間は10月初旬から2ヶ月ちょっとしか無いので、当初は阿蘇での世界水まつり前後のタイミングも考えていたが、移動は主催者任せになっているし、直後にNPOの活動でカトマンズに飛ぶ予定もあるので、吉野ヶ里にも行くつもりなら別日程を組む必要があった。結果、9月中旬頃に「自己存在の月」初日からと日程を確定し、Mさんとも連絡を取って、太宰府近郊については案内して頂く事にもなったのであった。

観世音寺は、玄昉の墓があるだけでなく、唐から戻った空海が2、3年過ごした地でもある。結局、「五大にみな響きあり」をきっかけに玄昉の墓についても知る事になったのだから、玄昉だけでなく空海も過ごした太宰府という地に導かれたのかもしれない。思えば「令和」という元号につながる大伴旅人も、太宰府にいた人物である。

ところで、玄昉という人物は、里中満智子さんの作品『女帝の手記〜孝謙・称徳天皇物語』にも登場していたはずと思って調べると、やはり聖武天皇の母・宮子を法力で回復させた僧として登場していた。そして、太宰府で旅立った事も描かれていた。

この経緯をどこかで文章化しておかなければと思いつつ日が過ぎて行き、惑星ホロンが日本のエリアと対応する「白い世界の橋渡しの日」の今日、何とかまとめる時間が取れた。せっかくなので、この日付に関する情報も、最後に書き添えておこう。

「白い世界の橋渡し」の紋章コード番号は6なのでKIN6は「6・6」とも書ける。「13」同様「666」もキリスト教圏では嫌われる数だが、地球公転面に対する地軸の角度は66.6度だという事に気づいたのも、KIN6の未明であった。

また、安倍元首相は1954年9月21日生まれのKIN6(6・世界の橋渡し)で、『マヤのリズム』にも書いた通り、G9/21から260日暦が2回巡るとG2/23天皇誕生日となる。今上天皇はKIN166(10・世界の橋渡し)で、日本保守党代表の百田氏は1956年2月23日生まれのKIN6(6・世界の橋渡し)である。令和6年を目前に控えて政界に登場した百田氏は、13暦的に見ても時に適っている所がある。

ちょうど、玄昉を辿って読み直していた『女帝の手記〜孝謙・称徳天皇物語』全四巻も本日読了。最後に49代光仁天皇(今上天皇から77代前)が登場したので、私が3歳まで住んでいた茨城県日立市の「光仁アパート」を思い出して地図で確認してみると、何と国道6号の近くであった。思えば、孝謙・称徳天皇とは阿倍(あべ)内親王のことであり、その物語を安倍(あべ)元首相の誕生キンであるKIN6に読み終えられたのも美しい共鳴と言えよう。

そして、これらのシンクロは、単に興味深いとか面白いというだけでなく、今というタイミングで発見される事に意味があるのだ。空海誕生1250年にも当たる令和6年は、良い意味で日本が大きく動く年となるだろう。(D)

自己存在の月9日 6・世界の橋渡し(KIN6)

追記:『シンクロニック・ジャーニー』第7章に記しているが、私達は天真書法塾西安碑林展に出品した関係で西安(長安)を訪れ、玄奘三蔵が天竺から持ち帰った経典を収めるために建てられた大雁塔や空海が学んだ青龍寺などを訪れている。玄昉も遣唐使として長安を訪れ、時の皇帝・玄宗に才能を認められ紫の袈裟を下賜されている。

🌈11/11(KIN22)世界水まつり2023in阿蘇
🌈11/23(祝)横浜ナディア 13の月の暦レクチャー


サポートに感謝いたします! 提唱者のホゼ&ロイディーン・アグエイアス夫妻が伝えた「平和の暦」としての本来の『13の月の暦』の普及活動と、NPOクリカとして行っているチベット・サポート活動に活用させていただきます。