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最初で最後の「金剛バス」

「白い倍音の魔法使いの年」も「月の月21日」で365日暦は7週目が完了した。同時に、260日暦はKIN222(1・風)に入って18番目の「風のウェイブスペル」が始まった。ある意味、3次元的な周期の完了と4次元的な周期の始まりが重なり合っていたこの日の朝、インパクトのあるニュースを目にした。

新年始まってすぐに金剛山を訪れた折、初めてお世話になった「金剛バス」が年末までに路線バス事業を廃止するという記事が目に飛び込んで来たのだ。金剛山登山をしていなければ、否、下山時に予定外のトラブルが無ければ、その存在すら知る事が無かったであろうバス会社だけに、このタイミングでその記事を目にした事自体が驚きであった。

この決定が発表された9月11日が『13の月の暦』だとKIN221(13・竜)になり、廃止となる12月20日がKIN61(9・竜)になるのも象徴的だ。「赤い竜」には「誕生を育む」というキーワードがあり、古代マヤの世界観において「13」は「天界」を、「9」は「冥界」を示すからだ。

それに、金剛山登山と関連して気づく事になった【ツォルキン神秘の倍数ラインの法則】について、遅ればせながらブログにUPできたのは、このニュースを目にする3日前の事で、そのライン自体も「赤い竜」から始まっていたので、自分には何かと響く要素があったのだ。

金剛山の一言主大神】に記した通り、大阪チャクラでのワークショップの翌日、私はシンクロに導かれて金剛山に登ってみる事にした。南海なんば駅から河内長野駅までの往復きっぷと、河内長野駅から金剛山までの往復バスに幾つかの特典が加わった「金剛山ハイキングきっぷ」なるものがあるのを知った私は、それをゲットして金剛山へと向かった。

河内長野駅でバスの時刻表を見ると、金剛山行きのバスが出るまで40分以上時間があったので、駅前のビルを巡ったりしつつ、スマホで登山道マップと帰りの南海バスの時刻表を調べ、画像に保存しておいた。あくまで雄略天皇がきっかけだったので、金剛山が役行者や楠木正成とも縁の深い所だと知ったのも、この時になってからだった。

冷房無しでは耐えられないほどの暑さのなか出発したバスは、徐々に高度を上げて「金剛登山口バス停」に到着。流石に河内長野に比べたら大分涼しい。しかし、千早城に向かう最初の急な階段を登り始めただけで汗が吹き出して来る。そのひと月ほど前に発見した「階段を劇的に軽く登る方法」の有効性を試すのにもってこいの状況だったので、もちろんそれは思い切り活用した。

実際、他の登山者よりも随分と早いペースで私は登り続け、有効性は十分確認できたが、中腹まではまだ気温も高めだったので、Tシャツがびっしょりになる位に汗をかいていた。千早城跡の先にある千早神社が標高634mにあることと、役行者の生年が634年とされている事、そして同じ頃、パレンケではパカル王が活躍していた事などを思いつつ、ひたすら登り続けた。

千早神社

出発時間が遅くなったのと、河内長野駅からのバスへの乗り継ぎ時間が思っていた以上に影響して、スピードを上げておかないと帰りのバスを逃してしまう可能性があったのだ。中腹より上のエリアでは、時折とても涼しい風が吹いて快適な感じになって来た。元はと言えば、この「涼」を求めてここに来たのだ。興味深かったのは、尾根道の向きが僅かに変わったり、木の生え方が少し変化するだけで、風が良く通ったり淀んだりするのが明瞭に実感出来た事だ。

風水はもともとこういうリアルな感覚から生じたものなのだろう。金剛山山頂の気温は22度で下界より10度以上も涼しく爽快であった。役行者が開いたとされる転法輪寺、一言主大神が祭られている葛木神社を参拝し、雄略天皇御狩の跡の祠がある少し開けた場所で天真五相を奉納。そこから少し下った所にある展望台からの眺望をしばし楽しんだ後は、綺麗な鳥の声や沢のせせらぎなども堪能しつつ下りに入り、早歩きで山を降り続けた。

雄略天皇御狩の跡

車も通れる下り坂の道はかなり急で、ブレーキをかけながら駆け降りるような感じが長く続いた。お陰で、それから1週間ほど脛と腿に筋肉痛が残る事となった。スマホに保存していた南海バスの「金剛山ロープウェイ前」の時刻表を確認しつつ、上手くいけば16:44に、仮にそれに間に合わなくても最終の17:19には十分間に合う感じで舗装された道路に出られた。

バス停を見つけるのに少し手間取ったが、16:50過ぎに無事「金剛山ロープウェイ前」バス停に辿り着いた。だが、南海バスの時刻表を確認すると、私がWEBで見ていたものと違う。というか、基本同じなのだが、最終の17:19だけが記入されていないのだ!つまり、最終バスは数分前に出てしまったのである。

その状況を飲み込めないでいる所に、南海バスとは違う「富田林駅行き」のバスが停車していた。富田林駅と河内長野駅の位置関係が把握できていなかった私は、そのバスに乗って良いものかどうかの判断が直ぐにはつかなかった。「金剛山ハイキングきっぷ」は帰りのバスと電車のチケットも含まれていて、南海バス以外には適用されないし、全然違う方角に運ばれてしまうのも面倒である。

そんな事をツラツラ考えているうちに、その緑色のバス(金剛バス)も出てしまった。慌ててそちらの時刻表も見ると、何と今のが最終バスだった。つまり、もうそのバス停にはバスが来ない事が明らかになったのだ。まだ明るかったが、山は日が暮れるのも早い。タクシーは呼べるだろうが、時間も料金も馬鹿らしいくらいかかるであろう事は容易に想像できる。かと言って、バスでも結構な時間が掛かった道を、この暑さの中歩きで帰るというのも気が滅入る。

バス停近くの駐車場にはまだ車が何台か止まっていたので、いざとなったら誰かに頼んで街に出る辺りまで乗せてもらおうかとも考えたが、駐車場で待ち構えているのも妙なので、まずは早歩きで山道を下る事にした。途中、何台かの車が追い抜いて行ったが、結構スピードを出していて、ヒッチハイクをするにも覚悟が必要だと感じる。

スマホで河内長野駅までの距離を調べると14キロ弱、徒歩だと3時間半と出た。基本下りだし、ジョギングなら3時間以内で行けるとは思うが、少なくとも河内長野駅に20時頃には辿り着けていないと、この日の内に東京の自宅に戻るのは不可能になる。結構なハイスピードで登山し、急な下り坂の影響で脚にかなり負荷が掛かった状態で、あと3時間のジョギング。その上、おそらく途中からは道も真っ暗になる(往路に街灯は見かけなかった)。

無事、駅に到着できても、電車の乗り継ぎが悪ければ新大阪辺りで足止めとなり、企画旅行の形で購入してある新幹線チケットも無駄になる。そんな悲観的イメージが浮かんだりもしたが、間に合う可能性があるのなら覚悟を決めるしかない。とはいえ、適切なペースでないと、この時の体力と気温ではジョギングが続けられなくなると思い、焦る気持ちを抑えてゆっくりなペースで走り始めた。

走りながら「南海バスめ〜出鱈目な時刻表をWEBに出しやがって〜」とか「金剛バスも、何でこれ最終だよ、とひと声かけてくれないんだよ」とか、愚痴のような想いが湧いて来る。冷静になれば、現地で時刻表を再確認しなかったのは自分であり、運転手の立場になれば、バスに乗ろうとする様子もないハイカーに声をかけるのも余計なお世話だ、という想像も出来るのだが、心に余裕がないと何かと人のせいにしたくなるもの。

しばらく走ると、マス釣り場の辺りで車が何台か停まっていたので、頼んで途中まででも乗せてもらおうかと思ったが、再び滝汗状態になっている自分を乗せるのは嫌だろうな、という冷静さも取り戻していて、そのまま走り続ける事にした。既にバス停2つ分くらいを走ったが、先はまだ長い。標識から、自分が走っている道は府道(県道)705号らしい事が分かった。

暦を通じて7:5にはずっと注目して来ているので妙に納得する所があったが、とにかく時間との勝負なので一定のペースで走り続けた。すると、ちょっと視界が開けた所に出た。往路に下車した「金剛登山口バス停」の辺りまで降りて来たのだ。集落のように何軒か家やお店もあるのだが、何より目に止まったのは広いバス降車場だった(バスがぐるりと回れるようになっている)。

最初に時刻表をここで確認しなかった事を後悔しつつ、そこにある往復分の時刻表を見ると、何と!金剛バスの富田林行きはまだ数本あるではないか!「金剛山ロープウェイ前」まで行くバスは終わっていても、この「金剛登山口バス停」まで来て折り返すバスはあったのだ!これで少なくとも市街地までバスを使える事がはっきりした。

明かりひとつ無い山道をジョギングで切り抜けるつもりでいた私は、「金剛バス」に救われた気持ちになった。そのバスが来るまでには、まだ20分以上時間があったので、まず自販機で清涼飲料水を手に入れ、それで乾きを癒しながら富田林と河内長野の位置関係や、バスの路線図なども調べる事にした。

往路、同じ所で手に入れた500mlのミネラルウォーターだけで山を巡って来た私の体に、電解質を含む飲み物は染み渡って行った。そして、調べた結果、金剛バスに乗って終点の富田林駅まで行き、そこから近鉄で河内長野駅に行くのがベストであろうと判断した。しばらくすると、「金剛山ロープウェイ前」で見かけたのと同じ緑色のバスがやって来て降車場に停まった。

定刻に発車したバスは、ひたすら曲がりくねった山道を下って行く。日頃それなりにトレーニングをしている人ならまだしも、ここ1年以上も「Do more with Less.」の研究を加速させるために意図的に運動量を減らしていた私が、ここをジョギングで走り続けるのは相当ハードな事だったに違いない。

そんな事を思いながら、私は2年前の四国剣山での体験を想起していた。あの時も、下山時に予想外の事があって死ぬ思いで動き続け、何とかバスに間に合ったのだった。しかも、その時だけ特別にモニター運行していた【Mt.Tsurugi 開運アクセスバス YAHHO!】は、結局、定期運用には至らなかったようで、昨年も今年も走った形跡は見られない。つまり、1度限りの幻のバスだったのだ。あのバスのお陰で剣山に行けた私達としては、ただ感謝しかない。

そう思うと、今回の「金剛バス」の展開にも何か似たものを感じる。縁あって、今回、金剛山に登ろうという事になったものの、出発時間の遅れや調べの甘さなど色々な条件が重なって「金剛バス」の存在を知る事になり、そのお世話になって無事山を降りられた訳だ。

もし、往復チケットのあった「南海バス」だけで事が済んでいたら、私は「金剛自動車」というバス会社の存在も知らずにいたのだ。だからこそ、2日前に「金剛バス」の事業廃止に関するニュースを目にした時に、大きな衝撃を受けたのだ。知り合ったばかりなのにもうサヨナラする、みたいな気分になったからだ。一期一会の縁に感謝したい。

できれば、そのニュースを目にした日の内に書くつもりでいたが、思いのほか長くなってしまい、結局、今日になった。しかし、今日の古代マヤ暦のツォルキンの日付が10カワック(KIN179相当)である事に気づいた私は、それで良かったのだと納得した。

何故なら、私が金剛山登山をし「金剛バス」にお世話になったのは、『13の月の暦』のツォルキンでKIN179(10・嵐)であったからだ。そして、KIN179は河口慧海の誕生キンだ。今年は4年ぶりに慧海の記念碑があるカトマンズのボダナートにも行く予定である(NPOクリカの活動で)。そう思うと、今回の件は、慧海の導きだったのかもしれないとも思うのである。(D)

月の月23日  3・種(KIN224)

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《13の月の暦ワークショップ》
★10/15(日)五反田アネモネ「13の月の暦」で銀河意識の扉を開く
★アーカイブ【サイ時間単位(倫理プロジェクト)と5:7】

★アーカイブ【「白い世界の橋渡し」日本の銀河的ミッション】

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