Tintinなら世界中を飛び回っているのに

『タンタンの冒険』シリーズを描いたエルジェは、ボクより50年も前に生まれました。生涯で描いたタンタンの冒険旅行(Les Aventures de Tintin )作品は23作。未完に終わった「タンタンとアルファアート」を入れれば24作になります。

いつボクが、タンタンと出会ったのか記憶が定かではありませんが、飛行機嫌い(というより、苦手)のボクには成しえない世界をまたにかけた大活躍。しかも、その主人公が少年探偵というところが、かつて少年だったおじさんの胸をくすぐりますよね。多分、出会ったのは30歳前後だったかも。

キャラクターグッズにはまったく興味のなかったボクが、タンタンショップが神宮前(現在は表参道)にあると知って、毎月のように通っていたのも、その頃です。カレンダーやポストカード、手帳はもちろん、一番のお気に入りはネクタイでした。当時のボクには、まだネクタイは必需品でした。

1930年に発表された「タンタン ソビエトへ」を皮切りに(『20世紀子ども新聞』での連載スタートは1929年)、最後の作品「タンタンとピカロたち」が発表されるまで、エルジェは生涯をかけて、タンタンとスノーウィ(フランス語版ではミルゥ)の冒険を描き続けました。つまり、あの世界大戦を挟んでということになります。当時のベルギーで、それは大変なことだったと思います。

1950年、エルジェは「月世界探検」を描くために、チーム・エルジェを編成します。すべてを一人で完結させるアーティスティックなスタイルから、協働で、より精緻で完璧なタンタンの世界を完成させるために。

以来、70年の月日が経とうとしています。エルジェが亡くなってから数えても37年。その世界は、そしてデザイン性はまるで色褪せていません。一度、スピルバーグがアニメと実写を一緒くたにした、不完全な映画でぶち壊しにした時を除いて。もっと若い時にタンタンの映画を作れば良かったのにねぇ。

ちなみに、タンタンの冒険旅行シリーズの日本語版(福音館書店)が発行されたのは、エルジェが亡くなった1983年3月の翌月のこと。遅っせーよ。でもボクは、さらにその数年後にタンタンと出会っています。もっと遅っせーよ、ですね。

さて、ボクの前職時代のオフィスに、優れたセンスを持ったデザイナーが勤めていました。小さな手提げバッグを持って、高いヒールをカコカコ言わせながら通ってくる、いつもニコニコ楽しそうにしている子でした。

ある日、彼女が話があると言います。

「会社を辞めます」

「ええーっ」

ボクには寝耳に水。デザイナーは彼女の天職だと思っていたのです。でも、転職ってこともあるか。。。

「パティシエになろうと思って」

「ええーっ」

パリに行って修業すると言うではありませんか。次の目標がある以上、ボクに止める権利も理由もありません。

それから数ヶ月経って、彼女から絵葉書が届きました。タンタンの絵葉書です。

「ベルギーに来たら、タンタンショップがありました」一言、そう書いてありました。

それから数ヶ月。時々、どうしているかなと思っていたものです。そんなある日、共通の知り合いから、あるWEBサイトのURLが送られてきました。開くと、懐かしい彼女の写真が写っていました。人工呼吸器に繋がれて、それでも、ボクがよく知っている、キラキラした目が笑っていました。

下に書かれたテキストを読むと、体調不良で一時帰国したまま、帰らぬ人となっていました。ボクより15歳も歳下なのに。彼女の記憶にと、ご家族が彼女のブログに追加してアップしたものだそうです。

以来、タンタンはボクの憧れから、トレードマークになりました。

インスタで知り合った方が、ボクのFBまでご覧くださり、タンタンをプロフィール・アイコンにしていることを発見して、メールをくれました。

「タンタンがお好きなんですね?」

それに答えようとしたのですが、インスタではとても書ききれないほど長くなるので、こちらに書くことにしました。といっても、インスタだってボクのインスタは、いつも長すぎるほど長いのですが。

今はまだインスタ繋がりだけとはいえ、彼女も九条Tokyoを通じて知り合った、奇跡のような一人です。こうして、ボクがタンタンと彼女の思い出を書き残す機会を作ってくれたのですから。

たまたまこの歳まで生き延びたボクは、タンタンのような冒険旅行はできないけど、毎日、九条Tokyoという旅をしているような気がしています。

次回9/15の「誤配だらけの読書会」では、大好きな海外のミステリーを紹介するつもりです。最近、海外の小説が翻訳出版されることが少なくなっているように思うからです。この国は、ますます島国化しているのではないかと心配です。

パティシエになるはずだった彼女に、個人的に作ってもらった「海外冒険&推理小説探偵団」というサイトの更新をするのがボクの日課だった頃があります。90年代半ばのこと。まだ、インターネットやホームページが始まったばかりでした。

小説を読むのが趣味なのか、それを更新するのが趣味だったのか。遠い昔のことすぎて思い出せませんが、我ながら素晴らしいアイデアで、すてきなデザインだったんですよ。残っていないのが残念。

彼女の分も生きているか、時々、自分に問いかける瞬間があります。だって、彼女は15歳も歳下で、憧れのパティシエになるはずだったんですよ。自分の夢に向かってチャレンジしていたのに。

彼女が作ってくれたサイトには、もちろんタンタンシリーズも入っていました。彼女からもらった、あの絵葉書はどこに行ってしまったんだろう。いや、今どこを旅しているのだろう。

「タンタン チベットへ行く」は、中国では、「タンタン 中国のチベットへ行く」というタイトルにされて、一時販売差し止めになったそうです。今はどうなっているのでしょうか。。。余計な話ですね。でも、タンタンの自立した自由な精神を汚すな〜っつうの。タンタンを読んだことがあるんだろうか。

いや、ボクももう一度読み直すべきですね。タンタンなら、コロナ騒動をものともせず、世界の悪を暴くために駆け回っていることでしょう。



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