生きるのにつらくなったときに効く唯一のこと
自分をゆるす。
いつも意識しているし、
自分を責めるつもりもないのに、
無意識が自分を責めているらしい。
私が判断したこと
選択したことが
悪い結果になったと感じたら、
あのときなんでこうしなかったんだろう
あのときこう選択していたらよかった
などと後悔の念が渦巻く。
そして、生きていくのがつらくなる。
それは、自分を責めている。
後悔の念とは、自分を責めること。
それがつらくて生きていられないほど
生きていく自信をなくしてしまうほど
自分が自分を責め続ける。
今日は節分。
朝から晴れ。
イワシと巻き寿司と小豆お菓子を買いに
近所のお店に出かけた。
イワシのくさみと
小豆の赤いろが、
邪気を払ってくれる。
節分という、季節と季節の節目の隙間に
邪気が入らないように
昔の人は魔を払うことをした。
人が意識していれば、魔は入りにくい。
お寿司屋さんをめざしたけれど、
節分の日なのに、閉まっていた。
スーパーに行くと、
私の大好きな穴子の太巻きがあった。
賑わうお店と街。
強い早春の陽射し。
晴れた空の音。
むかし春の小川だった緑の道を
てくてく歩く。
ごめんね-
私にあやまる。
つらい思いをさせて-
大丈夫。
ゆるしてあげるよ!
口から出たことばに
思わず涙した。
あ、そっか。
ゆるしてくれるんだ。
責め続けなくても
自分が自分をゆるせばいいんだ。
老子の先生が仰った。
「ゆるす」というのは、
ゆるす相手とこれからもともに生きていこうとする意思だと。
ゆるさなければ、もうともにいないということだから。
私はずっとわたしと死ぬまで一緒に生きていく。
私は私がなにをしてもゆるしてあげる。
だから、大丈夫。
胸に安心感がしみわたった。
早春のきらきら輝く太陽の光を浴びながら、
生きていることに感謝した。
節分は季節の節目。
明日から新しい春を迎えるために、
昨日までの私を脱ぎ捨ててゆく。