【依存について】呪いと白馬の王子さま
結論から言うと、この記事で言いたいことは
「呪いを解いてくれる白馬の王子さまなんていないから、呪いは自分で解け」
ということです。
筆者は先日「そんな依存は嫌だ」と元恋人にフラれ、
(相手の二股を咎めることを彼の中では「依存」と言うそうです。)
相手の不誠実と逆ギレであることが明らかであっても、相手にそういう風に言わせてしまったからには、自分にも多少なりとも顧みるべき点があると思い、それ以来「依存」とは何なのか考えていました。
そこで最近ふと思いついたのは
「依存とは相手に”呪い”を解いてもらおうと頼りきること」
なのではないか、ということです。
筆者は自身の危機管理能力の低さと不運ゆえに、数々の性暴力(ストーカー、痴漢、盗撮は序の口で、口に出したくないようなことも多々)を男性から受けてきました。
その性的なトラウマが”呪い”となって、私は自らの女性性を否定し性自認を歪め、激しい性嫌悪に苛まれていました。
そんな中、自分の存在を肯定してくれる恋人が現れると、私は性的なトラウマによる”呪い”を恋人に解消してもらおうと期待し、「依存」してしまっていたのです。
もちろんカウンセリングを受けたり、新規コミュニティを開拓したり、旅に出たりと、自分なりに”呪い”を解消しようと試み、そこから多くのことを学びました。
それでも心の一番弱い部分の傷はなかなか癒えず、私はその部分を恋人に「依存」してしまっていたのです。
しかし、人間とは弱い生き物です。自分の人生を生きることで精いっぱいなのです。
泣いている夜に駆けつけてくれる恋人も、いつでも話を聴いてくれる友人も、どんな時も味方でいてくれる家族も、まして”呪い”を解いてくれる白馬の王子さまなんていないのです。
自分にかけられた”呪い”は自分で解くしかないのです。
この記事を読んでくれているあなたにも、知らず知らずのうちにかかっている”呪い”あることでしょう。
「いい子でいなきゃいけない」「自分は醜い」「男性は怖いものだ」「家族に愛されたい」「認められたい」「違う場所に行きたいけど、自分はここにいなきゃいけない」「どうせ人は離れていく」・・・
恋人や家族の言葉、環境、過去のトラウマ、思い込み、、、そんなものが”呪い”となってあなたを苦しめているかもしれません。
しかし、その”呪い”から自分を解放できるのはあなたしかいないのです。
他者はあなたに”呪い”を解くヒントを与えてくれても、あなたの”呪い”を解くことはできません。
他者に”呪い”を解いてもらおうとするとそれは「依存」になります。
協同で”呪い”から解放される方法を模索することはできます。ですが相手に全てを委ねないことです。
自分を縛る”呪い”の正体を見極め、そこから解放されるには時間と根気が必要です。
しかしそれは価値ある時間だと筆者は思うのです。
他者に”呪い”を解いてもらおうと「依存」することは、手軽で即効性がありますが、それでは根本的な”呪い”は解消されないままです。
他者と関係を築く中で自分の”呪い”を解く鍵を見つけ、少しずつ自分を育ててゆくのです。
それが真の「自立」なのだと筆者は思います。