くじらのうたたね
朝ごはんの時間。 私の一日の中で、一番大切な朝ごはんの時間。 家を出る2-3時間前に起きてお布団に別れを告げた後、歯磨きをしながら今朝とお弁当の献立を考える。 料理の下処理を済ませ、お米を炊く準備をしたらシャワーを浴びる。社会人になって夜疲れて帰るようになってから、めっきり朝風呂派になってしまった。 お風呂から上がり、季節の変わり目でご機嫌斜めな肌を甘やかしたら、料理に取り掛かる。 今日のお味噌汁は若布と玉ねぎ。 薄く切った玉ねぎをお出汁に入れて、沸騰したら若布とお味噌を
忙しいと、心がホコリをかぶってくもってしまったガラスみたいになって 本当に大切なものが見えなくなる。 大切なものを大切にして生きたいから、 本当にやりたい事を紙に書いて、いつも見えるところに置いている。 手紙を毎週末1人には贈る。 そうやって、自分を見失わないように。
”やりたい事が見つからなくても 自分のことが分からなくなっても あなたの「好き」が、きっとあなたのカタチを教えてくれるわ。 あなたの好きな場所、好きな人、好きな時間を思い出してみて。” そんな風に問いかけてくれた人がいた。 大事なことを教えてくれてありがとう。
「ご飯は一回でよそっちゃダメよ」 夕飯時、小学生だった私は台所で家族の分のご飯をよそっていた。 「なんで?」 一回で適量のご飯をよそってしまった方が手間が少ないのに。 母は答えた。 「これはママがお母さんから教えてもらったことなんだけどね、 何でかはママも覚えてないけど、一口分だけでいいから2回以上でよそうんだって。」 私はしぶしぶ既に8分目まで入っているお茶碗に、もう一口分だけよそった。 「じゃあ一回よそったのからとって0.9回にするのはいいの?」 母は笑って 「それ
「あなたに多くの祝福がありますように」 私は折に触れ、大切な人に手紙を書くようにしている。 誕生日に、コンサートの日に、卒業式に、また、なんでもない日に。 手紙を書いているうちに、その人への感謝と愛情が溢れて ラブレターのようになっていることが多い。 ICUに入って、また、Gleeに入って、 キリスト教の文化や思想に触れることが多くなっていった頃、 「祝福」というキリスト教独自の概念が、自分の言葉の一部として馴染んでゆくようになった。 気付けば、手紙の結びによく 「あな
雨の日は、お気に入りの真っ赤なスニーカーを履く。 雨の日だから、足元から元気にするのだ。 ちょっと落ち込んでも足元を見たら、真っ赤なスニーカーが「がんばれ、どこにでも行けるよ」って言ってくれる気がするのだ。
「花を持って、会いにゆく」 長田 弘 春の日、あなたに会いにゆく。 あなたは、なくなった人である。 どこにもいない人である。 どこにもいない人に会いにゆく。 きれいな水と、 きれいな花を、手に持って。 どこにもいない? 違うと、なくなった人は言う。 どこにもいないのではない。 どこにもゆかないのだ。 いつも、ここにいる。 歩くことは、しなくなった。 歩くことをやめて、 はじめて知ったことがある。 歩くことは、ここではないどこかへ、 遠いどこかへ、遠くへ、遠
私の家には小人が住んでいる。 彼は時には壁を登ったり、おやつを食べたり、 風に揺れる洗濯物でかくれんぼをしたりしている。 お気に入りは時計の上と 花の絵はがきの隣。 きのこのオルゴールとは仲良しだけど、 鏡は少し苦手みたい。 彼は時々私にいたずらをする。 私のイヤリングを隠したり、とっておきのクッキーを食べたりする。 でも隠れるのが上手いから、私は彼を叱れない。 彼は私に本を勧めてくれる。 お気に入りの詩集の、お気に入りの詩を教えてくれる。 彼は雨が降ることを知らせ
誕生日ケーキみたいに、とびきり特別じゃなくていい。 ただ、今日みたいに、風に揺れる洗濯物をぼうっと眺めているようななんでもない日に、隣にあったら少し嬉しい。そんなお菓子。
ビスコッティとか、ショートブレッドとか、木の実のタルトとか そんな素朴な洋菓子みたいな人になりたい。 素朴で、でもなんだか懐かしくて、ほっとして、なんでもない日の午後のおやつみたいな。
目覚ましをかけないで目を覚ましたにちようび。 いつもより良く寝たせいか、寝癖が少し手ごわい。 適当にくしを通して、歯磨きをして、キッチンに立つ。 オムレツをつくる。 にちようびだから、すこしバターは多めに。 トマトに玉ねぎ、ツナやチーズなんかもいいかもしれない。 でもやっぱりトマトのオムレツにしよう。 卵を二個割って、牛乳とお塩、すこしお砂糖も。 サイコロ状に切ったトマトを入れて、まぜる。 コショウも入れよう。 バターを楽しみたいから、今日はチーズを入れな
素朴で、すこしフシギで、すこしマジメな、そんなおはなしができたらいい。
オンライン:オフライン=おべんとう:外食 の式が成り立つ気がする。 今日仕事帰りに、気になっている小料理屋の前を通ったら、お弁当が売られていた。 このご時世、飲食店は苦境に立たされ、デリバリーやおべんとうの販売に舵を切っているお店は少なくない。 そのお店は普段だったら予約でいっぱいで、少しお高めのお店だった。 いつか先輩に連れて行ってもらおうと思っていたのだが、売られていたおべんとうは500円だったので、つい買ってしまった。 お高いお店の料理がおべんとうでお手軽に
vol.1~こうして私は”シュウカツ”を諦めた~ リクルートスーツってダサい。 こんなこと言ったらスーツ会社の人に失礼だってわかってる。 でも言いたい。 リクルートスーツはダサい。 リクルートスーツを着ないと成り立たない日本の就活ってほんとにイケてない。 この記事では、2020年3月にICU(国際基督教大学)を卒業した私が、どうやってリクルートスーツを着ないで就活したかを語ろうと思う。 第一弾となる今回は「vol.1~こうして私は”シュウカツ”を諦めた~」。
結論から言うと、この記事で言いたいことは 「呪いを解いてくれる白馬の王子さまなんていないから、呪いは自分で解け」 ということです。 筆者は先日「そんな依存は嫌だ」と元恋人にフラれ、 (相手の二股を咎めることを彼の中では「依存」と言うそうです。) 相手の不誠実と逆ギレであることが明らかであっても、相手にそういう風に言わせてしまったからには、自分にも多少なりとも顧みるべき点があると思い、それ以来「依存」とは何なのか考えていました。 そこで最近ふと思いついたのは 「依
「きっといいお嫁さんになるね」 そんな風に言ってもらうことが多い。 確かに私は料理が上手だし家事もてきぱきこなす気が利くしっかり者だ(或いはそう認識されていることが多い)。 でもそんなことは、良妻賢母が服着て歩いているような母のお腹に私が宿った時から決まっていたことで、別に大したことではない。 それよりも私にとっての一番のほめことばは 「あなたの文章が好き」とか「言葉遣いが好き」とかだ。 理由のないその「好き」が、無条件に私の内的世界を肯定してくれているような気がして、こ