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anti serotonin

この希死念慮すら実績解除の過程の途中だと知って、底だと思って踏み締めた地にもさらにまた底があって、死にたくなってからやっと始まるエンドコンテンツ。拭えない、僕が僕自身の代理人であるかのような感覚。それ死ぬまで治らない病気らしいよってあなたが言った夏まだ生きていたいと、もう終わりにしたいを半々で希釈したみたいな灰色の空。幼い頃の話を同世代の人とするのは苦手だ。なぜなら全く話が合わないから。やれあれが懐かしいだの、やれあれが流行っていただの、そんな話題になってしまったらただ頷くだけになってしまう。二桁にも満たない頃の記憶は、まず今日を生きることに必死だった。あれからおよそ15年。あの頃の先輩は今年のパリオリンピックで日本代表入りした。あの頃の恩師の子供はもう中学生になる。僕が躁の時にぶち壊した人生を修復している隙に、もう周りではそんなに時が経っていた訳だ。末恐ろしいなと思う、時の流れは。だけどこの道を歩んでいなきゃ出会っていなかったであろう人たちに恵まれて、ふと掴みかけた満たされなさの正体。理想と現実の乖離。身動きが取れなくなるほどの劣等感。見渡せば隣の芝は青い。そりゃそうだよ、僕は僕しか生きられないんだから。別に経験しなくてもいいようなことばかり経験して身に付けた武器だけ拵えた。そう、誰も取っていない単位ばかり履修して肝心な必修の授業はことごとく落単するみたいな、そんなつまんない人生だよこれは。でも、昔から笑うのが苦手だったから変てこな笑い方になってしまった僕の笑い声を聞きたいって言ってくれる友達がいて、いつまでも週間少年ジャンプで盛り上がれる友達がいて、酔っ払った時はすぐ通話してくる友達がいて、そうして僕の人生は成り立っているし、僕も友達に対してそうでありたいと思う。僕はずっと大丈夫を体現し続けるから、お前らも大丈夫だよって言いたい。大丈夫だよ、死ぬまで一緒に酒でも飲もう。

読後感が釈然としない小説のような命で、季節を見送っては迎える朝。名刺が破り捨てられている雑居ビルの階段の踊り場。生活保護受給者OKと書かれている怪しい貼り紙。獲物を見定めるかのような目線を掻い潜る東通り。社用車のプリウスで走る首都高からの景色は地平線を赤く染める。徐々に彩度を失っていく記憶はいずれ僕の影絵になる。アンチセロトニン主義。夜の方が呼吸がしやすいのは生まれつきだし、相変わらず言いたいことはちっとも言葉にならない。そのもどかしさごと抱えて生きることを許せるようになろうぜって話。僕もお前も。自分の叶えられなかった世界線がふと目に入って羨ましく思ったっていい、だってそれは全然変なことじゃないから。越えられない壁の向こうに思いを馳せては絶望したっていい、だってそれは可笑しいことじゃないから。そんなむしゃくしゃした苛立ちとか虚しさとか、誰に見せられるようなものでもないどす黒い胸の内だって、キャッチボール相手くらいさせてくれ、僕に。いつでもど真ん中に構えて待っているんだからこっちは。

とか、そんな恥ずかしいことを考えていたら迎えていた25歳。変わっていく風景の中で変わらないものを大事にしていれば、街も、人も、変わっていくことばかりだよ。それでも風化させたくないものがあるから、僕は僕で、お前はお前だ。ごく単純なこと。「馬鹿にすんじゃねえよ」が僕の原点。どれだけ振り回されてもそこだけはブレないでいたいって自戒を込めて、25歳も大丈夫、をやっていこうと思います。一年の抱負でした。

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