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”出会って2回目”で1万3千キロ離れた妻にプロポーズした話-第3話「コロナ禍での試練編」
南アフリカ共和国に赴任中の私が、日本で1度しか会ったことがなかった妻とビデオ通話で2週間やり取りした結果、結婚に至った話です。
第2話では、一時帰国した私が妻と”2回目の”対面を果たし結婚に突き進んでいったことや、その中で彼女について知った新たな一面についてお伝えした。
私が南アフリカへ発ったあとの2022年1月11日、妻が近所の市役所に結婚届を提出し、我々は晴れて夫婦となった。
しかし、順風満帆と思われた我々の夫婦生活は、この時すでに最初の試練に遭遇していた。今回はこの時のトラブルの記録を綴った。
コロナ禍ならではの第一の試練
話は、前年の11月末に遡る。それまで日本と、南アフリカとの間でやり取りを重ねていたLINEのビデオ通話から飛び出して、日本で”2回目の”対面を果たした時だ。
この時、現地の下見を兼ねて、妻のケープタウン渡航を計画していた。フライトの出発日は年末だ。
ところが、このフライトを予約してすぐに、新型コロナの変異種であったオミクロン株が、世界で初めて南アフリカで発見されたというニュースが世界中を駆け巡った。各国が渡航制限を設けるなど、思いもしない形で、南アフリカが世界中の注目を浴びたのはみなさんの記憶にも新しいに違いない。
結婚に向けて前進し始めた、と思った矢先の出来事だった。
もちろん、手数料を払えば予約したフライトを変更できた。しかし、この変異株がいつ収束するか見通しがつかない。それであれば、いっそのこと年末に渡航しまった方がいいのではないか。我々は迷った。
インターネットやSNSは、オミクロン株の脅威を伝える記事で溢れている。この機会を逃せば、またしばらく妻と顔を合わせられなくなるような気がした。
当時妻はまだ在職中。南アからの帰国となると隔離になってしまうこともあり、彼女の勤務先の判断を仰ぐことにした。案の定、マネージャーからはやんわりと咎められ、彼女は渡航を断念することになった。
想定はしていたものの、実際に、これから家族になる人間と会えないという現実を突きつけられるとつらい。南アフリカに来て初めて、コロナ禍で海外赴任となった自分のタイミングの悪さを後悔した。
南アフリカでは、日本と同様、新型コロナの感染者数が急増していたものの、オミクロン株の重症度は低いとの報道が多かったことから、日本に比べると警戒感がやや薄かったように思えた。
現に南アフリカでは出入国への制限はもちろん、入国時の隔離も課されていなかった(※)。それだけに、日本と南アフリカとの対応の違いがよりもどかしく感じられた。
(※この記事は、日本及び南アフリカの両国のコロナ対応を評価するものではありません。)
「この先、ずっと一緒に暮らせるようになるのだから、今は我慢しよう。きっと大丈夫」
iPadの画面の向こう側にいるお互いにそう言い聞かせ続け、年が明けた。
南アフリカで初めての対面
オミクロン株による猛威が当初ほどではなくなってきた2月、妻が南アフリカに渡航した。
妻が南アフリカに到着する朝、私は空港にいた。
彼女を迎えるために、事前に1週間の休暇を取得した。また、普段は資料が散乱している部屋もきれいに片づけておいた。
妻のフライトを待ちわびる間、私はココロココニアラズという状態だった。
一度渡航が延期されたという事実が、私を疑心暗鬼にさせていた。このような場合、移動中であるこちらに来る側の人間には時間が早く進むように感じられる。一方、ただ待つしかない側にとっては大変長く、もどかしく感じられる。
到着口の電光掲示板は、妻が登場するSQ478便に「Landed(到着)」が表示された。10分ほどすると、表示が「Disembarking(降機)」に変わった。
私は思わずベンチから立って、目の前にある鉄柵に身体を預けながら、前のめりになって自動ドアの奥を覗き込んだ。しばらくして乗客が次々に出てくた。
20代前半であろう女友達同士。小学生くらいの孫をしゃがんで迎える祖父母。コチラが恥ずかしくなってくるほど熱いハグを交わす男女。
いろいろな再会があって、見ている側もほっこりする。
そして、その時が来た。大きなスーツケース押しながら、妻が到着口から出てきたのだ。
目の前にいたのは正真正銘、妻本人だった。この瞬間を待っていたはずなのに、いざ妻が現れると、どう話しかけていいのか分からない。
「本当によく来たね。道中大丈夫だった?」
私は沈黙を埋めるべく口を開いた。
妻は、うん、と言って頷いた。相変わらず声はかすれていて、私が知っていた彼女そのままだった。お互いの顔を見合わせると、思わず顔がほころんだ。
ケープタウンを気に入ってもらおうと、妻が滞在する間にできるだけ多くの予定を詰め込み、観光スポットに連れて行った。
中でも、アフリカ大陸最西南端のケープポイント(1488年にポルトガル人航海士のディアスが発見した喜望峰から車で約5分の場所にある)は、彼女のお気に入りになった。ここには、急峻な崖にそびえつ展望台があり、強い風を受けながら、眼下に広がるインド洋と大西洋の両方を望むことができる絶景ポイントだ。
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心配していた治安面も何事もなく、妻も「またここに来たい」と言ってくれた。
そして、帰国日当日。空港で帰国便のチェックインを済ませた妻は、手荷物検査場の列に並びながら、涙を浮かべた。それまで「次会えるのが楽しみだね」と言い合いつつ、目の前の別れから目を背けていた私も、当然ながら、胸が詰まる思いだった。
妻のすぐ後ろに欧米系の老夫婦が並んでいた。我々のただならぬ様子を察したのか、夫が冗談交じりに私に訊ねてきた。
「君はこんなに可愛い女性を泣かせるのかい?なぜ一緒について行かないんだ?」
「すみません、まだここでやらなければならないことがあって……」
顔を見られたくなかった私は、彼らに少し背を向け、こう答えるのが精いっぱいだった。
彼らは何も言わず、我々に笑みを向けた。かくして、我々夫婦はまた離れ離れになった。
渡航前の妻を襲った南アフリカの洗礼
妻は日本に帰国後、南アフリカでの私との同居生活をスタートさせるべく、同居の準備を始めた。当日の勤め先を退職し、個人事業主として働くための職探しや、しばしお別れとなる友人たちへの挨拶も行った。さすがは私が選んだ妻。準備に抜かりがない。
ところが、そんな妻に予期せぬ問題が降りかかってきた。この時、日本にいた彼女が早々に南アフリカの洗礼を受けることになるとは、我々は知る由もなかったのだった。
(最終話へ続く)