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遊びのエチカ

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#自由

ポリフォニー

 僕たちは音楽だ。リズムでありメロディーでありハーモニーだ。一人一人に固有の音楽が流れている。

 それぐらい複雑なものだ、我々は。つまり単音がピーとなり続けているわけじゃない。

 だから人はそれぞれですでに十分完結し、すでに面白い存在であると思う。みんなが自分の音楽に耳を傾けられれば、世界はすでに自由だ。

 実に面白い。音楽と音楽がぶつかれば雑音になることもしばしばだが、上手い具合に聴いてみ

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ノマド=不良的「雑さ」という生存戦略(11/4)

ノマド=不良的「雑さ」という生存戦略(11/4)

千葉雅也『現代思想入門』のドゥルーズの章で出てきた「ノマド」という存在があまりにも自分でびっくりした。

そう、まさにこんな感じだ。なんか全体的なものが自分を覆おうとしていると感じ取ったとき、自分の内部は激烈に抵抗し、それを攻撃する。菌を駆逐しようと白血球が働き、発熱する。

「新たな「内」」というのはすごいわかる。クリエイティブなものも「断片的でつくり替え可能」でなくなっていく「全体化」が起こり

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「なんか退屈だ」という君へ

「なんか退屈だ」という君へ

退屈という悩みは、深刻そうじゃないから相談しづらい。大変そうな問題を抱えている人はたくさんいるし、そういう人の前で「退屈で困ってるんです」なんて言ったらむしろ嫌がられそうだ。退屈という悩みは特定の解決すべき課題が存在しない。努力をしようにも、努力する方法も方向もわからず、エネルギーを向ける先がわからない。

しかし、幸いなことに君は退屈になることができている。大きな病気や怪我もなく、お金を稼ぐこと

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自由主義社会

自由主義社会

自由に生きられたら良いと誰もが思う。みんなが「これが自分か!」と発見をし続け、「これが自分だ」と自信を持って言える社会。それが理想の社会だと私は思っている。

しかし、現実にはそうなっていない。今は<資本主義社会>であり、世界の終わりより資本主義の終わりを想像する方が難しいと言われる。

消費社会が悪いとは思わない。新しいものを作って、ある程度の人が買って貨幣が回る。貨幣が人々の時間を楽しいものに

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〈遊びのエチカ〉好きなルールを見つける

〈遊びのエチカ〉好きなルールを見つける

遊びとはなんだろう。それは「楽しいゲームをすること」ではないだろうか。ゲームには必ずルールがある。自分が好きなルールが楽しいゲーム、すなわち遊びを生み出す。

一方、楽しくないゲームもある。楽しくないものは遊びじゃない。労働だ。金銭の有無は関係ない。自分が好きじゃない。ルールで動くゲームへの参加は、労働と言える。

遊びは自分らしさを感じられ、労働は他の人らしさしか感じられない。生きている間、でき

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