久我飛空

物書き、ランナー

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マガジン

  • Mybrary——思念の生態系

    「Mybraryー思いを浮かべよう。」の創作者が、Mybraryについて書いた文章です。

  • 遊びのエチカ

最近の記事

Intelude––見られるということ

Mybrary公開の目途が立った。この文章群も衆目に晒すことになる。少し緊張感が出る。ほどよい外圧となる。 これまでの数日間は中から出てくる言葉を気ままに書いてきた。いわば内圧のみによる文章。しかし、魚は水の圧力が、鳥は大気の圧力が存在する場で自然に、本来持っている力を生かせるように、書き手は読む人の目という圧力がかかることでその本領が発揮される。舞台の上に立つ者には客の目線が必要なのだ。 そして、快い圧力を味わいたければ、まず水に飛び込んでしまえばいい。客を、読む者を誘い、

    • 居るだけで育まれる

      玉は生きている。一つ一つが星のように、あるいはアメーバのように。生きた思念の生態系Mybrary。毎日の水やり。少しずつ分かっていく自分。思いつかれるアイディア。感情や情景も言葉にする習慣。 ただ居るだけで、思いが浮かんでくる場所。 仰々しいことに使わないでいい。小説の創案や仕事のプロジェクトの発案。どうしたら社会問題を解決に導けるか。やってみても面白いかもしれない。セルを一つつくり、スペースに置いておいて、あとは日々この生態系に触れにくれば、必要なら、思いは浮かんでくるかも

      • 思念の生態系

        グレン・グールドの弾くバッハのように気持ちよく各々が分離していること。思念と思念が串に刺さる団子のように同じ場にあり、共通項は含まれているが、それぞれはバラバラに存在していること。Mybraryの特徴はこれである。 しっかりつなげなくていい自由。 場所だってテキトーでいい。まとまった文章に新たな文を挿し込むには適した場所を考えなければたらない。それが面倒になって、まだ新しいページから始めたりする。だが、Mybraryはつなげなくてよい。ゆえに思い浮かんだ言葉=セルは、大体の場

        • 川のような時間、池のような空間

          何を書いてもいい。それがMybrary的執筆である。フリーライティングは思い浮かんだことを置くように書いていく場所のことである。そこには流れがある。どんどん先に行く。Mybraryはそのまま漂っている。この言語感覚はむしろデバイスでないと実現できない。そうか、おれは新しい文章の形式をつくったのかもしれない。小説、詩、メモ、ノート、アウトライナー。どちらかと言えば前二者より後三者の方だ。内容の形式でなく、物としての言葉の形式。何が書かれるかでなく、どのように書かれるかの形。Wh

        Intelude––見られるということ

        マガジン

        • Mybrary——思念の生態系
          5本
        • 遊びのエチカ
          22本

        記事

          思いが浮かぶ場所

          Mybraryについて書く。私がつくったアプリケーションである。これについて何かしらを書こうと考えている。問題はどのようなことを書くかだ。まずMybraryそのものについて書けばいいだろう。 根幹についての理解から深めていく。派生はそこからつながっていく。 Mybraryの根幹、それは物体ということであろう。これは生成のためのツールというわけではない。目的でなく結果として生成に向いているのだ。セルは生命を模している。もはや定義上の生命と言ってもよい。 言葉が命になる。 それだ

          思いが浮かぶ場所

          吐息

          久々に走った。しかも朝に。こんな気持ちいいことがあったのか。これも知っていたはずなのに忘れていた。いや、朝に走ったのはほんの数回だった。 これをよく覚えておこう。 書くのは原稿用紙に鉛筆および万年筆、手書きが気持ちいい、楽しい。タイピングは業務だ。なるべく早く書き、癖を消せもする。 しかし、自分の文章は、書く行為それ自体を楽しむのだから肉筆が好ましい。 走ると手書き。この2つで僕は僕らしくいられる。むしろこれを朝にしていればどうにでもなるのではないか。一番大切な時間だ。 これ

          アイディアを後退させる、というアイディア

          新しいことを思いついた。 それは、思いついたことを思いつかなかったことにする、という技法である。 自分はたくさんアイディアが浮かんでしまう。物事の改善方法や新しい創作のネタが生きて、ある程度考えているだけで自然と浮かぶ。 これはもちろん良い面もある。色々思いつくのは良いことだ。しかし、それに現実が追いつかず、むしろ現実を混乱させる場合においては悪癖となる。 だったら、アイディアを後退させる。プログラムでいうところをロールバックだ。以前の段階にまで状況を戻す。つまり、ア

          アイディアを後退させる、というアイディア

          生成変化としての文章を愛す

          目を瞑ると、知覚がさらさらっとなる。だから、別のアイディアが浮かんでくる。これを言語化するのは至難の業で、この至難の業を丁寧に実現しようと思えば、これを人に伝えたいという強い欲望が必要となる。 Flutterの技術習得は「至難の業」で、これをわざわざしたのは、Mybraryをつくりたい作品があり、かつ人に頼むお金がなく、なんなら自分の手でつくりたいという強い欲望があったからである。 つまり、ベルクソンから私が得た知見の感覚を丁寧に言語化するには、伝いたいという強い欲望が必

          生成変化としての文章を愛す

          5千円札を妻が入れたら入った

          今日、折りたたんだ5千円札が自動レジのお札入れに通らなくて、妻に代わってもらったらすぐに入った。なぜだろう?と思い、コツを聞いたら、「ただ人が変わったから」という答えだった。 中々入らないお札を入れようとしている人より、全くそれまで触っていなかった人が入れる方が入りやすい。 なぜなら、それだけ代理人は冷静であり、かつ自分とは違う人物であるので、身体の部位の形状も、力の入れ方も、精神のあり方も異なるからだ。 人が変わるだけで、同じ対象に同じ動作をしても何か変わる。そしてこれが問

          5千円札を妻が入れたら入った

          <定理16-18>なぜ喫煙はいけないことなのか

          なぜ喫煙はいけないことなのか。そもそもいけないことなのだろうか。いや、喫煙はしていいはずだ。日本では成人が周囲に受動喫煙をマナー外に強要していない限りしてよいこととなっている。 だが、禁煙ブーム、否、嫌煙ブームが訪れたように「煙草を吸うことはいけないことだからそろそろやめるか」というような声が大きくなった感じがした。自発的な判断というよりは、喫煙という「いけないこと」を続けるために世間の空気に抵抗するのが疲れた、とでも言うかのように。 しかし、確認しよう。もちろん、先ほど

          <定理16-18>なぜ喫煙はいけないことなのか

          <定理13-15>自分オリジナルの幸福を見つけていくゲーム

          人生で面白いところか、腐るほどあるな。しかし、基本かつ究極はこれであろう。自分が何をどのようにしている時が幸せなのか、という認識が深まっていくことだ。 自分の好きなことを考えていく。何か発展があったり、残していきたいものに関して、情報を加えたり除いたりする。それが為されないものは自然と消えていく。つまり、認識について進展がある「好きなこと」のみが残っていく。 こんなことをしなくても好きなこと、したいことなどわかっていると言うかもしれない。金が欲しい、名誉が欲しい、愛された

          <定理13-15>自分オリジナルの幸福を見つけていくゲーム

          <定理10-12>自分のしたい呼吸に意識を向ける重要性について

          呼吸の重要性は大きい。自分がどうしたいかを知りたい、あるいは少しでも幸せな方に向かいたいと思うとき、呼吸は大きな指標となってくれる。 呼吸が自分の望むような感じであるならば、その時自分は幸せを感じていることになる。呼吸が乱れるというのは大抵、自分以外の何か(人物、状況、時間のなさ、焦り、病など)によって、自分の存在力が乱されていることを意味する。 自分が自分でいられているとき、呼吸も心地よいものになっている。それが深いか浅いか、早いか遅いか、激しいか穏やかであるか、に関し

          <定理10-12>自分のしたい呼吸に意識を向ける重要性について

          <定理7-9>悲しみ、憎しみ、後悔を消失に向かわせるには

          スピノザは何か後悔や悲しいことがあったとして、それを必然であったと認識した時、憎しみは消えるとした。それはそもそも憎しみを抱く対象がないからである、と。 そもそもなぜ憎しみを抱くのか、といえば、それが自由な主体によって行われたと感じるからである。そうでないこともできたにも関わらず、そうしたところに悪意を見出し、その悲しい出来事の原因として一義的に決定することから憎しみは生じるとスピノザは言う。 しかし、実際は違う。誰かがあなたを傷つけた時、その人はそれ以外選択肢がなかった

          <定理7-9>悲しみ、憎しみ、後悔を消失に向かわせるには

          <定理4-6>集中力、意志の強さを向上させる

          集中力とか意志の強さといったものについて。それらはいずれも「余計なものを排除する力」である。何か1つのことに意識を向けるためには、別の何かが入ってこないようにしなければならない。むしろこちらの方が難しい。生死がかかっているわけでもない状況では、本来注意力は分散させておいた方が生存戦略上有利だったからだ。大昔は。 しかし、今は読書や映画や目の前の人との会話や食事や仕事などに集中したい、という時がある。そう、「集中したい」という欲望が生まれたのは、人類史的には最近の出来事なのか

          <定理4-6>集中力、意志の強さを向上させる

          <定理1-3>遊びと労働について

          ここに書くのは、僕なりの魔法である。しかも、少なくとも自分には確かに効果のあった魔法だ。それは「考え方」という魔法である。認識を変えるのである。イメージを得るのだ。知識というより頭の動かし方を覚える。筋トレではなく武術で今までとは異質な身体の動かし方を覚えることでより軽やかに自由に力強く、ある時は優しく動かせるようになるように。 さて、これは幾何学的体系でありながら、1つの物語でもある。ここを通過した時、腑に落ちていなくても景色が変わる。そんな認識体系を書きたい。スピノザの

          <定理1-3>遊びと労働について

          奥まった目の輝き

          交点の水滴に吸い込まれ、吸い込ませることで、美しい幾何を描きたい。操り、操られる。そこに水滴があるから身体が伸びる。 呼吸や目の輝きによって、活動能力が上がる。すなわち認識能力が上がっている。つまり、ご機嫌な方が強い。ご機嫌さとは、自分のコナトゥスがしっかり働いている状態=活動能力が高まっている喜びの状態である。 そして、この状態で為すあらゆる活動は〈遊び〉となる。反対に、活動能力が下がっている場合、あらゆる活動は〈労働〉となる。 「目の輝きを内奥に秘める」という意識の

          奥まった目の輝き