思い込みの先に広がる世界
「ごまがいい!」
息子が言った。
「えっ、あんこじゃないの?!」
「うん。最近はごまなんだ…」
息子は、甘い物が大好きだ。
特に和菓子には目がない。
和菓子と言えば、
あんこ、ごま、しょうゆ、
くるみ、ずんだ…と
色んな味があるが、
息子が選ぶのは、間違いなく、
あんこ。
それが、
これまでの息子の好きな味
NO1
だった。
それなのに、
突然、
「ごまがいい!」
と言い出したのだから驚きだ。
ど、どうした、どうした!
これは、
我が家における一大事件だ。
聞けば、
ある日、ごまを食べてみたら、
「あれっ、おいしい!」
と思ったのだそうだ。
しかし、話はここで終わらない。
おいしいと一瞬思ったが
「いや、そんなはずはない」
と思い直したのだと言う。
自分が好きなのはあんこだ。
ごまなはずはないと。
しかし、その後、
何度かごまを食べるうちに、
自分は、あんこより
ごまが好きだと認めざるを
得なくなったのだと言う。
「ごまが、1番なはずがないって
ずっと思い込んでたんだよね」
息子は言った。
同じことが、アイスにもあって、
息子はずっと、バニラ味が好きだった。
「やっぱりバニラでしょ」
そう言いながら
定番の味を頬張る息子は
いつも幸せそうだった。
だが、ここでも、
最近、大革命が起きた。
長年、自分は
バニラが好きだと
思い込んでいたが、
どうやら、
抹茶の方がおいしいと感じる自分に
気付いてしまったらしい。
「“バイアス“だね」
2人で顔を見合わせて笑った。
それにしても、おもしろい。
食べ物なんて、
おいしい!
好き!
で簡単に決まりそうなものだが、
思い込みで、
1番じゃないものを
1番だと思い込んでいたなんて。
味の好みが変わるということも
もちろんあると思うが、
息子の言う、
「ごまがおいしいと思ったんだけど、
自分はあんこ好きなはずだって、
しばらく自分に言い聞かせて
たんだよね」
という所が、正に思い込みだ。
でも、こういうことって
あるのかもと思った。
私は自分の思い込みについて
こんなことを思い出した。
私は長年、小学校で
ボランティア活動をしてきた。
絵本の読み聞かせをしたり、
ピアノを演奏したり
ミシンの授業のサポートをしたり
子どもと直接触れ合うことが
何より楽しかった。
2年前に、
コーディネーターの仕事
(学校とボランティアの橋渡し役)
を薦められた時、
コーディネーターって
一体どんな仕事だろうと
ワクワクした。
一方で、
ボランティア活動が
続けられなくなったら
嫌だなとも思った。
色々と話を聞く中で
コーディネーターになっても、
これまで通り
ボランティア活動は
続けられると分かり
それならばと喜んで
引き受けた。
しかし、実際、
コーディネーターの仕事を
始めてからは、
それまでのように
シンプルに
ボランティア活動を楽しむ
ということが
難しくなった。
なぜなら、
他にやらなければならないことが
山ほどあったからだ。
ボランティア募集
日程調整
打ち合わせ
ボランティアへの連絡
ボランティアの人たちが
不安を感じることなく
楽しく参加できるように
するためには…
やりがいを感じられるように
するためには…
先生の負担が軽くなるように
するためには……
頭の中は、
常にあちこち忙しく
動いていた。
子どもたちと
直接触れ合うことが
何よりの楽しみだったが
コーディネーターの仕事を
しながら、
これまで通り、
ボランティア活動を
続けていくことは
どんどん難しくなっていった。
寂しい気持ちもあったが
子どもとの触れ合いの時間を
ボランティア活動を
少しずつ
手放していくことにした。
大好きな読み聞かせも
ピアノ演奏も
喜んでやってくれる人に
手渡していった。
正直、とても寂しかった。
寂しさを抱えながら
私は、橋渡しの役目に
どっぷりと
つかっていった。
そんな中
私の気持ちに、
ある変化が起こった。
ボランティアの人たちが
嬉しそうに笑っている顔を
陰から見ているだけで、
あぁ、幸せだなと、
感じるようになったのだ。
あれっ、
私、活動に参加することに、
あんなにこだわっていたのに…。
もちろん、
活動に参加するのは
今でも楽しい。
けれど、
参加しても、しなくても
喜びを感じられることに
気付いたのだ。
ボランティア活動自体、
一人で出来ることは限られている。
でも、
喜んでやってくれる人に、
どんどん手渡していったら、
出来る活動がどんどん増えていく。
そして、
ボランティア活動に参加した
たくさんの人たちが
喜びを感じられるようになる。
そして、それは、
学校の先生、
そして、何より
子どもの喜びにつながる。
そういう循環を作っていくこと
幸せの輪を広げていくことは、
この上ない喜びでもあった。
コーディネーターの仕事で
得られる喜びよりも、
ボランティア活動で
得られる喜びの方が
はるかに大きい。
それは、わたしの思い込みだった。
息子のあんこの一件から
私のボランティア活動にまで
話は飛躍してしまったが、
思い込みは、
自分の世界を
狭めてしまうものだなと
つくづく思う。
あんこを食べる幸せ
ボランティア活動をする幸せが
自分にとって1番の幸せだと
思っていたら、
ごまを心から堪能することも、
皆の喜ぶ顔を見て幸せを感じることも
なかっただろう。
今の幸せを手放す時、
その先に、
すばらしい世界が
待っているとは
なかなか思えないものだ。
でも、
本当は
幸せはどこにでも
あるものなのかもしれない。
もちろん、その人が
1番輝ける場所というものは
あるのかもしれない。
けれど、
どこにいても、
何をしていても、
そこで幸せを感じることは
出来るのではないだろうか。
今ある幸せの中に
すっと留まり続けることも
出来るだろうし、
まだ、見ぬ幸せを
求めていくことだって
出来る。
これを手放したら
2度と幸せになれない。
そんなことは
きっと、なくて…
握りしめている幸せや
大切なものを
思い切って手放したり
誰かに手渡した先に
また別の幸せがある。
ただ、それだけのこと
なのかもしれない。
まだ見ぬ世界
その先に広がる可能性に
自由でありたい
今はそんな風に思う。