ソールフード~亡き義父、そして祖母との思い出
お盆に投稿されたmimicoさんの記事。
とても、温かくて優しくて
涙がこぼれました。
この記事に
mimicoさんのソールフードである
おにぎりが登場します。
(mimicoさんはおむすびと
表現されていました)
記事を読んでいるうちに、
義父、そして
祖母との思い出が
鮮やかに甦りました。
義父が元気だった頃は
休みの度に
義父母、兄弟家族みんなで
釣りや海水浴、キャンプ、観光地など
あちこちに出掛けていました。
私の実家は農家で、
ゴールデンウイーク、
夏休みなど
世間のお休みムードとは
全く無縁の家庭で育ちました。
親戚みんなが
我が家に集まる
ということはあっても、
みんなで出掛けるということは
滅多にありませんでした。
ですから、
休みの度に
あれこれ計画を立てて
みんなでワイワイ過ごすという
この嫁ぎ先の当たり前が
私にとっては
まるでドラマや映画の
世界の出来事のようで
最初のうちは
正直戸惑いました。
それでも、
心のどこかで
ついに私も
こういう家庭の
仲間入りをしたのだと
嬉しさのようなものも
感じていました。
出掛ける先は
県内、あるいは近県が多く
交通手段は専ら車でした。
道中長いこともあり
車内、あるいは
出掛けた先で、
いつおなかが空いても
安心なように
私は、いつも
おにぎりを山ほど握って
持って行きました。
息子の好物の
梅干しは必須で、
その他に、
味噌、ひじき、ワカメ、
おかか、しらすチーズなど
いつも2、3種類
握っていきました。
(海水浴にしらすチーズは失敗でした。
食べる頃に腐ってしまいました)
最初のうちは
気が付かなかったのですが、
義父の大好物が
味噌おにぎりであることを
知りました。
「なおちゃん、
味噌おにぎり一つもらうよ」
そう言って、
義父はいつも
私の作った味噌おにぎりを
おいしそうに食べてくれました。
ある日、
朝、少し時間がなくて、
作る予定だった
味噌おにぎりはやめにして、
ひじきだったかワカメだったか
簡単に作れるおにぎりに
変えたことがありました。
その日、
おにぎりを覗きに来た義父は
味噌おにぎりがないと分かると
「今日は味噌おにぎりはないのか…」
と寂しそうな顔をしたのです。
そんな義父の顔を見て、
こんなことなら
少し時間がかかっても
味噌おにぎりを握ってくれば
良かったと後悔しました。
また、いつだったか
義父が、私の父に、
「なおちゃんがさ、いつも
味噌おにぎりを作ってくれるんだよ。
それがおいしんだよ」
と自慢していたことが
ありました。
こんな風に書くと
さぞかしおいしい
味噌おにぎりのように
聞こえるかもしれませんが、
私の作る味噌おにぎりは、
みりんで溶いた味噌を
塗って焼くだけの
至って普通の
味噌おにぎりなのです。
でも、
そのごくごく普通の
味噌おにぎりを
義父はいつも
おいしいおいしいと喜んで
食べてくれました。
いつしか
私は、
息子のための梅干しと
義父のために味噌は
欠かさずに
握るようになりました。
こうして おにぎり持参の
賑やかな旅は
息子が大きくなるまで
10年近く続きました。
3年前のある夜のこと。
義母から
突然電話がありました。
「○○さん(義父)が倒れたの。
今、救急車、呼んだ…」
私たちは
すぐに主人の実家へ
向かいました。
義父は
トイレの前の廊下に
うつ伏せになって倒れたまま
ピクリとも動きませんでした。
間もなく救急隊が到着し、
心臓マッサージを始めました。
その後
様々な処置をしましたが、
父の容態は変わらず
救急車で病院へ搬送されました。
病院へ到着して間もなく
死亡が確認されました。
義父はその夜遅くに
主人の車で実家へ
帰りました。
あまりにも
突然のことで
何が何だか
分からないまま
夜は明けていきました。
翌朝。
私は、突然思いました。
「味噌おにぎりを握ろう」
最後に
義父と出かけたのは、
どこだったろう…。
釣り?
ドライブ?
思い出せませんでした。
義父は、
1年前に
体調を崩してから
みんなで出掛けることが
なくなっていました。
だから、
私の作る味噌おにぎりも
しばらく食べていませんでした。
私が最後に出来ること…
それは、
義父の大好きな
味噌おにぎりを握ること…
私は、心を込めて握りました。
義父のために。
そして、
静かに眠る義父の枕元に
そっと
その味噌おにぎりを
置きました。
「なおちゃん、ありがとう。
○○さん、
なおちゃんの味噌おにぎり
大好きだったから…」
「○○さん、良かったね…」
義母が
義父に向かって
そう言いました。
実家の台所のコンロの上に
昨晩、義父が晩ご飯に作った
チャーハンが
手付かずのままフライパンに
残っていました。
義父を囲み
朝ご飯にみんなで、
最後に義父が作ったチャーハンを
食べました。
義兄が言いました。
「あー、
お父さんの味だね…」
本当に
その通りでした。
これは
間違いなく義父の作る
チャーハンの味。
私たちは、
義父が作った
最後のチャーハンを、
二度と口にすることのない
義父の味を、
一口一口、
噛みしめながら
食べました。
思い返せば、
私も小さい頃から
味噌おにぎりが好きでした。
私が小さい頃、
味噌おにぎりを
握ってくれたのは
祖母でした。
小さな丸いおにぎりを
いくつも握って、
当時我が家で大活躍していた
ホットプレートで
大量に焼いてくれました。
食事ではなく、
おやつに食べる
その味噌おにぎりの味は格別で
その程よい大きさもあって
ついつい手が伸び
おやつだというのに
いくつも食べてしまいました。
祖母は、
そのホットプレートで、
よく小さなホットケーキも
焼いてくれました。
中に手作りのあんこを挟んだ
どら焼き風のホットケーキ。
それもまた私の大好きな
おやつでした。
蒸かしたさつまいもや
カボチャの煮物、
思えば
祖母と私をつなぐものは
食べ物ばかり。
よその子が
チキンナゲットや
ハンバーガーを
食べているのに
憧れた時期もありました。
でも、
今でも大好きなのは
やっぱり
さつまいもやかぼちゃ、
あんこ、
そしておにぎりです。
そして、
不思議と
これらの食べ物は
息子の大好物でもあります。
義父も
もしかしたら
小さな頃
誰かに味噌おにぎりを
握ってもらっていたのだろうか…
ふと、そんなことを
思いました。
先日
お墓参りを終え
帰宅した後に
先程のmimicoさんの記事を
読みました。
そしたら、無性に
義父のために
味噌おにぎりを
握りたくなりました。
翌日、ちょうど
実家へ行く用事があったので
味噌おにぎりを握って
持って行くことにしました。
出掛ける前に、
おにぎりを握っていたら…
後から後から
涙がこぼれてきました。
なぜ泣いているのか
自分でも分かりませんでした。
拭いても拭いても
涙は後から後からこぼれつきました。
そんなことをしているうちに
味噌おにぎりが焦げてしまいました。
もう一度作り直している所へ
主人が来て、
「何で泣いてるの?」
と、からかってきました。
私は、こうして
よく泣くので、
また、いつものこと
と思ったのでしょう。
その後に
味噌おにぎりに気付き
「なんで今、
味噌おにぎり作ってるの?」
「じーじに…」
それだけで、
主人は分かったようで、
それ以上は
何も言いませんでした。
それからも、
涙は後から後からこぼれ落ち、
たった一つのお握りを作るのに
ずいぶん時間がかかって
しまいました。
その後、実家へ行き
仏壇にそっとお供えしてきました。
翌日、義母から、
ラインがきました。
「今、仏壇を見たら、
味噌おにぎりが
お供えしてありました。
○○さんの大好きな
なおちゃんの味噌おにぎり。
一番のお供え物です。
ありがとう」
味噌おにぎりを見て
義母はすぐに
私だと分かったようでした。
味噌おにぎり。
それは、
私と義父を結ぶもの。
それは、
亡き祖母から
私への贈り物でもあります。
その祖母からの贈り物を、愛を、
私は、知らず知らずのうちに
義父や息子、周りの人たちへ
渡していたのだと
気が付きました。
そして、もう一つ
気が付いたこと。
私は、実の父のために
味噌おにぎりを握ったことが
ありませんでした。
義父が父に自慢していた
味噌おにぎり。
今度は、
父のために握ってあげよう
そう思いました。
台所に立つ時、
たとえ、それが
ささやかな料理であっても、
そこに思いを、
愛を込めて
作っていきたいと
mimicoさんの記事を読んで
改めて思いました。
mimicoさん
ステキな記事を
ありがとうございました。
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