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福島の山奥で過ごした3日間の記録

雨に濡れながら、やさしく抱きしめてくれた。だから私も、彼女の胸の中で深く息を吸った。

二度と同じ形にはならない自然のあり方、それと同様に人々は交わり「ありがとう」を伝え合う。異様な光景だった。奇跡だと思った。

自分も、その一部になってた。



君の在処祭 in 獏原人村

劇団地球がプロデュースする祭りへ。全国各地から、色んな人が集まってた。表現の楽しさ、そして美しさに気づき、自分たちへの希望を感じ、明日からも生きていけると思った。


命を燃やしてる人ってどうしてこんなに惹かれるんだろうな ほんとにほんとに はあ


「魂を解放する」ということがいかに難しく、恐れを伴う行為なのか。そしてそれを体験できた時に感じるエネルギーは、この社会で感じ得ないものだということは言うまでもない。それを実現するために有効な手段が、お祭りであるということを、強く感じている。


自給自足だとか田舎暮らしとかとも少し違く思えるヒッピーカルチャーはきっとその中にあると思った。


森と川、海、水道水、このコンクリートだらけの街、美味しい野菜や、種、身動き取れないまま生かされ殺される家畜動物、可愛いあの子、ここにある緑、さっき捨てたペットボトル。分かってるようで感じ取れていないことが沢山ある。



自然の循環から、
大きな輪から
どうしてか人間は
一歩外れている


安全な場所から、何かを搾取し続けている。

そこには豊かさは存在しているのか、わたしには分からない。




Traduttore, traditore

きっとこの声に言葉はいらない
この声は言葉にならない


溢れ出る涙がその全てで この緑を恐れ 震えている足が 鳥肌が  全てだ



他者を安心させるための笑顔に嘘はないのだけど、それをしなくてもいい相手に出会うと、ホッとする。手を握った彼に「ナチュラルだと思うよ」と言われた。


無理に笑うことも、悲観的になることも、ひねくれた自分でいようとすることも、しなくていい。正解はないらしい。

今ここに在る、ということだけ
そして過去は全て最善であるということ



手を繋ぐことすら怖かったのだ
愛するということをいつの間にか恐れていた

でもなんか、この3日間はね、それを自然とできていて。そんな自分のことをとても愛せていて、嬉しかったなあ。


愛せるってこんなに尊い
愛してるってこんなに嬉しい


嬉しいな

たくさん笑った

泣いた泣いた



ほんと最高だったな、ありがとう。

このほしに生まれてよかったよ




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