推す
かなわない
焦がれるごとに
たりないの
スロースタート
それでも走る
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表舞台に立つ人・キャラクターや物語に対して、応援すること・ファンであることを「推し」と表現するようになって久しいですね。
どうですか、みなさん。
「推し」はいますか。
推す行為はいい。
何かを好きでいるのは確実に生活の潤いになる。
没頭することは現実の余計なことをシャットアウトできる。
推しの頑張る姿は自分の励みになる。
なのにそれなのに。
時折、謎の敗北感や劣等感に襲われることがあるんです。
推しの素晴らしさに驚嘆し焦がれるほど、全然肩を並べられるような存在じゃない自分、というのに気づいてしまう。
表現に共感し、なかば託すような気持ちでいたのを「いやめっちゃスペシャルじゃんこの人」と思い知った瞬間、梯子を外されたような気持ちになってしまう。
実に勝手な話。
そもそも敵うものだと1ミリでも思うなんて、おこがましいにもほどがあるのだけど。
と、そう思っちゃう自分のこともまた嫌になったりして。
ああもう、すっと応援できんのかい。
けど、私も私で頑張らないとなあ。
まずはこれを。
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という逡巡のやつです。
メタファーにウサギを使うと、なんとなく鳥獣戯画感が出ますね。