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高円寺の酔っぱらいに片っ端から声をかけてみた
売上23190円/4h、声をかけた人数50人、購入者16名、2022/10/16☀
はじめに
みなさんこんにちは!フルーツボーイ中村です。
今回は高円寺!!
少し前の出来事ですが、記事に起こすの忘れておりましたのでこのタイミングで。
今回も「人間の本質」についての研究が進みましたよ!
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のん兵衛にとって最高の環境
今回ざっと声をかけた人たちを以下に挙げます。
シンガーソングライター
ガールズバー店長
ボーイさん
ケーキ屋さん店員
古着屋さん店員
20代男女(かなりの数)
60-70代おじさんたち(かなりの数)
今回声をかけたほとんどの人に当てはまったのが「酔っ払い」です。
実は高円寺は駅を出ると東口西口の両方にちょうど良い休憩スペースの公園があります。
夜遅くなると、仕事帰りのサラリーマンが団体で缶ビール片手に談笑している姿が目につきます。
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また、出口そばにはすぐに飲める居酒屋さんがあり、外飲みできるようになっています。
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商店街には古着屋さんが立ち並び、わきに入っていくと、スナックやバー、居酒屋さんがさらに続きます。
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価格帯も東京都内にしてはかなり安め。
つまるところ、
安く済ませたいのん兵衛たちにとっては絶好の環境が整っている、ということです。
「安っぽい」イメージの高円寺
私はこれまでに35万人の老若男女に声をかけてきて、とても大事なことを学びました。それは、先入観を持たずに人に声をかけることが大事だ、ということです。
高級な車に乗っていようが買わない人は買わないし、ボロボロな服を着ていようがえげつない量を買う人がいます。
だから、いつも先入観を取っ払って声をかけるのです
でも、
どうしてもイメージはこびりつきます。
「高円寺は安っぽい」
高円寺出身の人には本当に申し訳ないのですが、やはり駅前の街並みや、行き交う人の様子を見ると、そう思っちゃうのです。
少し脱線しますが、
この原因は私側にあります。
これまでの私の人生における「高円寺」のイメージが「高円寺=安っぽい」でがっちり固められているからです。これについては「環境の鎧」の記事でくわしく伝えていますの良かったらご覧ください。
お金を持ってなくても払おうとするのが高円寺
さて、今回はいい意味で高円寺のイメージが上書きされた出来事をお話しします。
それは、
お金を持ってなくても払おうとするのが高円寺
ということです。
つまり、
購入するといって、お財布を取りだしたものの、お金が入っていないケースが結構あったのですwww
今回の購入者は16名いたのですが、お金を持っていないにも関わらず、
「買う!」
と言った人がそれ以外で4名ほどいました(笑)
サービス精神がよいというか、男気があるというか。。
酔いがそうさせた、とか片付けることはできますが、私が研究している「体弱性善説」の観点からみると、学びを得ることができます。
今日の学び
「払おうとする気持ちはどこからくる?」
今回の学びは、意思決定の源泉についてです。
今回はこの源泉はもれなく「環境の鎧が発動しているパターン」だったと思います。
「環境の鎧」についてはぜひ、私の別の記事でご確認いただきたいのですが
簡単に言いますと
これまでに経験してきた価値観のかたまりであり、これから社会を生きていく上での判断軸みたいなものです。
今回のお客様の意思決定のパターンはわかりやすかったです
「集団の中でどう振舞うことがベストか」
この問いに対し、過去の学びから「こうしたほうがよい」という答えが体に身についていて、それをもとに判断を下している場合がほとんどだったように思います。
人は人からどう思われているか、を意識して動いています
これをすれば周りの人から好かれる。
これをしたら嫌われる。
その判断軸をもとに
「払わなきゃ」と思ったお客様が何人もいたと思います。
具体的に言うと
「男気を見せたい」
「この場を盛り上げたい」
「女の子前だからかっこつけたい」
「人を助けているところを見せたい(マッチ売りの少年的な人を助けたい)」
などなど
もし一人でいた場合はきっと買わなかっただろうな、と思うようなお客様がかなりの数いたかと思います。
お金がなくても「買います!」と口走ってしまい、結果、財布にはお金が入っていなかった、、という状況が起きたのはこのように環境の鎧が突発的に反応した結果だと思います。(お酒の勢いもあったっと思いますが)
今回の場合
立ち止まってみなければいけないことは、お客様は
「環境の鎧」によって判断を下した
のであり
本人の自由意思はそこには存在しなかったということ。
集団の中でこう振舞わなきゃいけない「自分」とはもはや自由ではありません。
体弱性善説を研究する私にとっては、これは非常に重要な視点です。
今回は高円寺のお客様から改めて学ぶことができました。
最後に
周りの環境に影響を受けやすい人間(→弱い生き物(体弱説))である人間にとって
「人間社会で生きなきゃ」という枠を取っ払ったその先の
「自分が本当にやりたいこと」
私はここを探究しています。
プロフィールに私の自己紹介記事が載っています。
興味がある方はぜひ、覗いてみてください!