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ハッピーエンドの後が安泰とは限らないけど、それでもいい 〜2022年を振り返る〜
宝を手に入れ、帰還した英雄。
打出の小槌で大きくなり、姫と結ばれた男。
王子様と結ばれた少女。
おとぎ話はそこで終わる。だが、物語はその後もハッピーなまま続いていく安泰のものなのだろうか?
僕の場合はそうでもなかった。
「ライティングという武器を持てば、家庭の経済的制約を突破し、社会に価値を提供できることを証明します」
昨年の11月1日。Twitter、Facebookでこう宣言して、クラウドファンディングによる資金集めを開始。
最終日である11月30日。たくさんの方の協力を得ることができ、目標金額を大幅に超える達成に漕ぎ着けます。
嬉しかった。
自分を応援してくれる人の多さに、その力強さに胸が熱くなりました。地道に行動して達成したことで、自信も持てました。
応援のメッセージにこんな言葉をくれた方もいます。
リターンはいらない。必要な時は別途依頼するから。このリターン分は、いつかりょうやが、誰かの夢を応援するために、その人にパーソナルライティングを贈りたいと思った時、その人の夢のためにこの1回を使ってあげて
もったいないお言葉です。
ここからの自分は、もらってばかりだった人生から、与えていく人生に変えていくんだと心に誓いました。
物語で言えば、この地点が間違いなくハッピーエンドです。アニメで言えば、1クール終わったような感覚でした。
ところが、それは単純に2022年が順調で安泰に進むことを意味していたわけではありませんでした。
<心身共に苦しかった生活>
僕にとってクラウドファンディングの成功は、間違いなく重要なひとつの転機です。
家庭の経済的事情を乗り越えることもできる可能性があるんだと、自信を持って言えるきっかけになりました。
それから、しばらくお金の心配をしなくていい期間が訪れたのは、実家にいた頃以来のことです。
大学生活に突入してからずっと、心身を壊すような貧困状態が続いていました。そこからの脱却を意味していたのです。
クラファン以前は、半年に一度は倒れ、バランスの取れた食事もまともに取れず、だいたいいつも体調が悪い日々を過ごしていたのです。
当時のnoteを読むと、まだ鮮やかさを持って苦痛が蘇ってきます。
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この記事を投稿して数時間後、僕は住んでいたシェアハウスで気を失って病院に運ばれました。
いつ倒れて長期入院になってもおかしくない。もし俺が倒れたら、家族はどうするんだ(※実家に仕送りをしているので)。
そんな不安がいっぱいで、翌日には失神したことを有料記事にしていました。
これを記事にして少しでもお金を集めないと、という思いもあったし、誰か読んだ人に救いを求めていたという面もあったかもしれません。
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応援してくださった方、ありがとうございました。おかげさまで元気です。
それにしても、よく折れずに半年後のクラファンまでがんばったと思います。
<金額の達成は、理想の達成を意味しない>
さて、背景を知っていただければ、よりクラファンの成功の意味がわかっていただけるのではないでしょうか。
達成後、僕はなんだか自分が次のステージに、一足飛びに進化したように思いました。
ここからもっと広く誰かの役に立てるんだ。自分と同じような境遇の人や、地元の友人に希望を与えることだってできるだろう。
自分の文章で人を癒し、鼓舞し、仲間を集め、資金を集め、幸せの輪を広げていけるに違いない。
そんなふうに過信してしまったのです。
ですが、2022年の上半期は自分の無力さを痛感させられる出来事がたくさんありました。たくさんの別れ、届かない仕事上の成果。まだ体調の優れない日も多かった。
まず、クラファン成功の結果、リターンである執筆の仕事が大幅に増えました。これだけの件数の執筆を、普段の執筆もこなしながらできるものなのか。震えました。
これからクラファンをする方は成功した場合の業務量を調整することを真剣に考えておくことをお勧めします。
ここからは時系列に列挙します。
1月末。富山のある企業に記事の連載サービスを提案し、敗れました。次なる一手として重要な意味のある提案だったので、悔しかった。
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2月。苦しい中で僕を支えてくれた恋人の、ずっと抱えていた悩みをどうすることもできず、完全に別れることになりました。僕自身ずっと不安定で、よくない付き合い方をしていたんだと思います。
3月末。ライターとして育成していた仲間に、適切な成長段階を踏ませることができなかったのか、3人のうち2人が辞めて行ってしまうことになりました(付き合いは今でもあります)。育成の形は、今も模索しているところです。
この頃は、体調の優れない日と万全の日が数週間ごとに入れ替わっていたように思います。体調の悪い日は1日が潰れるので、それが将来への不安を育みました。ちゃんと働けるんだろうか、と。
<住処が変わり、頼られることが増えた4月>
上半期の中でも、4月は順調な日々を過ごしていました。
4月から「泊まれる図書館 寄処(よすが)」に住み始めることになりました。いろんな学生が集まるフリースペースが1階にある、2階建のゲストハウスです。
本がたくさんあり、対話できるゆったりしたスペースがあるここに、売上面などでのサポートという意味も兼ね、個室を借りて住むことにしました。
どんなサポートをしているかというと。
テレビ取材を受けるとき寄処を使うようにしたり、知り合いを富山に呼んで、その時は泊まってもらったり。パーソナルトレーナーの方を紹介して、今や名物の週1筋トレDAYを根付かせたり。ご飯会や読書会を定期開催して、新たな学生の出入りを促したり…etc。
スタッフとしてではないですが、微力ながらあれこれ協力させていただいています。
ありがたいことに、ここで暮らすようになってから、たくさんの学生が僕を頼ってやってくるようになりました。
今もですが、悩みごと、相談事があると「くだかさーん」と言って訪ねてくれる後輩(先輩も)がいてとても幸せです。
自分はたしかに、誰かに頼られ、力になれる存在になってきている。
そんな実感を再び感じていました。
<絶望の淵から救ってくれた人>
しかし、そんな矢先。
受け止め難い出来事がありました。
かつて僕を深い孤独と絶望から救ってくれた地元の友人が、自らの命を投げ捨てたのです。僕は富山にいて、何もできなかったし、何も知らなかった。
悲しみは、理屈ではありません。
何か考えるより先に胸が痛くなり、何をしていても急に涙が溢れてくることがたびたびありました。
5年ほど前、その人と会わなくなってからずっと、たくさん心や脳の勉強をしたんです。
自分で自分の精神を保つことも上手くなりました。人の相談にもたくさん乗るようになりました。自分の書いた文章を読んで自殺を思い止まったという人も現れたんです。
なのに。他ならぬその人に、私はずっと連絡を取らずにいたのです。取れなかった。
自分が、何も大きく成長したわけじゃないこと。まだまだ未熟で、ほとんど無力みたいな状態であることを痛感しました。
<無力さの中でした決意>
5、6月の不安定な心境のなか、たくさんの人がやってくる「寄処(よすが)」に住んでいたことは、今思えば幸いでした。
少し無理をしてでも、通常の自分を押し出して、平静を装って会話することがどれだけ大事なことだったか、今はわかります。
また、何人もの友人が、親身になって話を聞いてくれ、支えとなってくれました。
時には、泊まりに来たゲストの方と胸の内を打ち明け合うこともありました。自分のことを話すだけでなく、相手の深い苦しみを知ることが、自分の心に整理をつけるのに意味があった気がします。
ここにいなければ、回復はもっと遅かったでしょうし、もっとタチの悪い形で回復していたかもしれません。
恵まれた状況にある中で、こんなふうに誰かの悩みに寄り添う人がもっと社会の隅々にまで行き渡ればいいのに、とも思いました。
ライターを育てることを中心にしつつ、様々な方法で、人の心に耳を傾けられる人を増やすことに努めよう。どうやって進めたらいいかわからないけど、何度でも試行錯誤しようと思いました。
ここから、明るい下半期が始まります。
<間話:決して暗いばかりではなかった上半期>
構成上、上半期の暗い出来事ばかりを取り上げていますが、4月以外もずっと嫌なことばかりあったわけではありません。
2022年の元日は、大好きな地元の友人たちと夜通し語り明かして迎えました。大晦日から男7人で、沖縄のペンションに泊まっていたのです。
正月は沖縄にいて、他の友人たちとも近況報告をしたり、未来を語り合ったりして幸せでした。
2月は、新たなメンターとなる方と出会いました。この方がとても対話を重視される方で、深く内省を促される時期になりました。
裏門で「ライターが教える質問講座」を開いたり、テレビ取材を受けたりしたのも2月です。
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3月は知り合いの経営者の方に招待していただき、人生初のフラメンコ鑑賞。
「今年は感性を磨きたい」とこれをきっかけに思い、ジャズ演奏会を見に行ったり、美術館に足を運んだりすることも増えました。
<新たな出会いの7月>
ライターを育てることを中心にしつつ、様々な方法で、人の心に耳を傾けられる人を増やすことに努めようと、6月に誓った翌月。
手始めに、ご飯会を開くことにしました。
いざってときに頼りあえる、普段から気軽に、自分の夢や痛みを共有できる仲間、メンターと出会える場所を作ろう。
そう思って、まだ「寄処(よすが)」に来たことのない学生との出会いを積極的に増やし、みんなで炬燵を囲んで語らう小さなご飯会を開くことにしたのです。
なぜこの形か。
一番は、僕の強みが活かせるからです。
僕が5、6人の語り合いの場を主催するときは、参加者それぞれの特有の面白さを引き出して、他の人にその人を好きになってもらうよう会話を進めるのが割と得意です(まだまだ力不足なので、その腕を磨くことも兼ね、ご飯会を重ねました)。
そもそも、一人暮らしの学生だと食事を疎かにしがちだし、会話に乏しい子も多いだろうと思い、栄養ある料理をみんなでワイワイ作って食べるところから始めようと考えたというのもあります。
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休学中の僕がどうやって学生との出会いを増やしたかというと。
富山には「裏門」というBarがあるのです。
裏門は、2021年4月にオープンした、経営者と大学生をつなぐ会員制バーです。
ここの学生チームのリーダーが、以前僕がライターとして育てていた子で、彼が裏門にガンガン人を集めていたのです。
彼をきっかけに裏門に来た学生は、だいたいリピーターになっていて、裏門のカウンターは、富山の熱量が高い若者が集まる空間のひとつになっています。
そんな裏門に毎週のように通い、新たに出会う学生と仲良くなって、ご飯会の趣旨を説明し、誘う。そういうことを地道にやっていました。
ちなみに、10月からお付き合いさせていただいている彼女は、裏門での出会いを機に、ご飯会などで親交を深めました。人生で初めて告白をしたんですよね。
9月くらいまでは、月3回くらいのペースでご飯会をやってました。
僕が個人的に誘ったメンバーで開くご飯会でしたが、友人を連れてくる方もいて、10名以上になることもしばしばでした。
このご飯会には、次なる段階へ向かう狙いがありました。これを皮切りに、何らかの勉強会を始めようと思っていたのです。
人を巻き込んだり、新しい行動を始めなければ達成できない目標を持ったメンバーで集まり、それぞれの学びや行動をシェアする勉強会をしたいなとずっと思っていたのです。
高校時代にやった生物同好会の結成にも同じ動機がありました。
プライベート面はさておき。
事業面でも、主に就活生向けに「企業研究×ライティング」の企画を実験的に進め、4名の学生に協力していただきました。
クラファンの返礼品も順調にこなしていました。
<CROOZ諸戸さんとの連載が決定>
そして、8月。
いろいろな出会いがあり、あれもこれも詳しく書きたいところですが、大きな出来事2つに絞ります。2つ目は次章で。
1つは、1月には提案してダメだった連載企画のサービスです。
ブラッシュアップし、東京の大手ベンチャーであるCROOZの執行役員である諸戸さんと共にスタートすることができました!
この連載提案は、以下の仮説に基づいてスタートしています。
特定の読者にドンピシャで役立つ1つのテーマに絞り、一記事ずつがボリュームのある、中身のクオリティーも高い連載をした方が価値ある発信になり、信頼を築けるのではないか?
要するに、短くて、来週には読んだことも忘れるような単発記事ではなく、繰り返し参考にしたくなるような連載をしませんか?
と提案したのです。
読者にとっても、そこに行けばそのジャンルで知りたいことの全てがある、みたいな場所があった方が便利だと思ったので使命感を感じてやれています。
現在3話まで公開しているのですが、この時点で以下の成果が出ています。
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あれこれ試行錯誤した結果、ある程度再現性のある方法を確立できたと思っています。
よかったら、ぜひ諸戸さんのnoteのフォローよろしくお願いします。
<地元の友人やお客様が遠路はるばる>
8月の出来事2つ目。
8月の終わりと9月の頭に、地元沖縄の高校時代の友人が数日にわたって富山に遊びに来てくれました。計3人です。
遠路はるばるありがとう。
もちろん宿泊場所は「寄処(よすが)」。
富山で出会った大好きな仲間たちや居場所(よすが)を存分に味わってもらおうと、事前にご飯会を企画しておもてなししました。
地元の旧知の友人と、新たな地での友人が仲良く交流しているのってこんなに喜ばしいことなんだなと、その感情が胸に残っています。
楽しんでもらえたんじゃないかなあ。
おいしい食べ物も紹介できて大満足でした。
一番覚えているのは、富山県氷見市の道の駅にあるこちらの寿司屋。めちゃくちゃ美味しい。ネタが大きくて、食べ応えが抜群でした。
それから、今年から新たにお客さんとなった方が京都からお越しくださり、3泊していただきました。
僕がライターとして抱えているクライアントの方は全員富山県外の方で、富山の学生にもぜひ会っていただきたい方ばかりなので、今後も足を運んでいただけるよう、がんばろうと思います。
<順調の中、再び逆風>
下半期に入り、さまざまなプロジェクトが始動し、頼られることも増えたところで、再び足踏みすることになる出来事がありました。
9月半ば。90歳の祖父が亡くなったのです。
ちょうどこのタイミングで実家の母と弟がコロナにかかっており、家族の中では僕しか出席できないということで緊急で帰省しました。
父ちゃん子だった母は、自分の父親の出棺に居合わせることができず子どものようにわんわん泣いていました。
そんな祖父の葬儀ですが、おかげで、しばらく会っていなかった親族一同に会うことができました。
沖縄は貧困率がワースト1位の県で、デジタル化の進み具合も全国最下位レベルに留まっている地域です。僕の親族はまさに貧困世帯が多く、老若男女問わずデジタルに疎い人が多い。
通夜や葬儀など、待ち時間も多い中、親族一人一人と話すことで、経済面での苦労を抱える家庭の多さを改めて痛感しました。
特に辛かったのは、同世代のいとこたちが将来に希望を見出しておらず、働き始めた子が疲弊しているようだったことです。
必ず、地元に貢献する活動もやろうと密かに誓いました。
地道にではあっても、今後堅い方法で貢献するつもりです。
<読書会のスタート>
10月、かねてより構想していた読書会を始めました。
「人を巻き込んだり、新しい行動を始めなければ達成できないような目標を掲げ共有したメンバーで勉強会をやりたい」というあれが目的です。
とはいえ、「人を巻き込んだり、新しい行動を始めなければ達成できないような目標」を持っている学生はそういないので、その発掘・創造からやってみるつもりでした。
そのため、まずは入口として読書会は良いなと思い、組み合わせてスタートしてみることにしたのです。
僕には昔から、いろんな思考ツールを集団で実践してみてどんな結果が出るのか試してみたい欲求があります。
役立つ情報を本で拾っては自分で試し、次に他の人にも試しみてと提案する。今回の読書会で試したかったツールは、特に以下の2つでした。
①OKRと10x目標
こちらが、目標設定のツールです。他にもいろいろ参考にしたのですが、ベースはこれです。僕以外の7名のメンバーと1対1で話す時間を設けて、それぞれの10x目標を暫定的に定めてみました。
②タイニーハビット
こちらはまだ導入しきれていませんが、不可欠な要素だと思っています。変化を起こせない時に自分を責めるのではなく、行動のデザインを見直す。努力のいらない極小の習慣から始める。
先ほどの10x目標は、タイニーハビットがセットでなければ劇的な変化を創出できないというのが僕の仮説なので、早く導入せねば。
とまあ、この2つのツールを使った上で、2週間に1度読書会をするというのが僕の主催する10x読書会です。だいぶざっくりですが。
現在も、僕が誘った富山大学の1年生を中心としたメンバーで進めています。
すでに、参加者の中にこの会がなければ取らなかったであろう動きが見られて効果を実感し始めているところ。同時に、問題も見えてきました。
初めての試みなので、最初から上手くいくとは思っていませんが、全力でやるつもりです。
ちなみに、読書会の後にご飯会もセットでしていて、毎回それがけっこう楽しいです。
<腰痛襲う12月>
小学生の頃、病気で車椅子生活をしていました。
中学生の頃、別室登校をしていました。
おかげで、とんでもなく体の硬い運動不足青年となってしまった僕です。同じ境遇でもそうじゃない人もいるので言い訳にすぎませんね。
そんなわけで、僕がお付き合いしている15年来の問題が、体です。
普通、がどうか知りませんが、僕は体のどこかしらが痛いか痺れてるかがデフォルト。まったくどこにも不調がない日は滅多になく、そういう日は気分的にも絶好調になります。
毎年、この15年来の体の問題を克服しようと運動や柔軟にチャレンジするのですが、腰か膝を痛めて撤退を余儀なくされてきました。
痛みが引いてから、また少しずつ運動習慣を取り戻そうとする。その繰り返しなのです。
今年は、割と散歩と筋トレの習慣が長く続いたのですが、ついにやってまいりました。軽いぎっくり腰。
顔を洗ったり、20分程度座り続けたり、立ち続けたりするのがしんどいので、先日ついに人生で初めて整骨院に行ってきました。
「よく仕事続けてたね。痛かったでしょ」と小太りの爽やかな先生に言われました。「ですよね!」って思いました。
足の長さが左右違う。骨盤が歪んでいる。筋肉がカチカチに固まってる。
などということが判明し、5、6回通うことが確定しました。病院より一回の金額が安くて助かっています。
今のところ2回通って、3週間くらい経ったのかな。かなり楽になりました。普通に生活できてます。
22歳。
今年度で腰痛の問題を解消したいと願っています。
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<みなさんのおかげでした>
2022年上半期は、かなり精神的に苦しむ日々を送り、無力感に打ちひしがれることも多々ありました。
しかし、様々な方々の支えがあり、またビジネス面で順調に発展し、お客様の信頼を得て、心身ともに少しずつ回復。
みなさま、誠にお世話になりました。
また一つ成長させていただいたなと思います。
現在は、素晴らしい縁に恵まれ、経済的にも安定した日々を送れています。腰がちょーっと痛みますが。それだけ。
周りにいたみなさまが、僕のこれまでの努力に価値を与えてくださったこと、これからの姿に賭けてくださっていること、誠に感謝しております。感無量です。愛してます。
さて、2023年の久高は、さらなる飛躍を目指す所存です。
何をするかまだわかりませんが、きっと年末に楽しい物語をご馳走できるような1年を送るつもりです。
自分の名前を裏切らない生き方を貫こうと思うので、どうぞ応援よろしくお願いいたします。
来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。
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