高千穂郷八十八社、史跡巡り日之影編
今回は高千穂郷、日之影町を巡る。
日之影町には大きく分けて4つの地域がある。
七折、岩井川、分城、見立。
以前、見立地区は回ったので、今回は分城、七折を中心にまわってみた。
先ずは、八戸(やと、と読む)の清流園上部にある【三王子大権現】
祭神ははっきり分かっていないが、日之影町史より、「阿下熊野権現社」と関係が深いとある。
「三王子」とは、三柱の王子神の事で、王子神とは神が少年あるいは少女の姿であるとされている。
詳しくはフェイスブックページ「日之影の神社」をご覧いただきたい。
https://www.facebook.com/1386670598298115/posts/1600778033554036/
次は舟の尾地区にある【舟の尾神社】
慶安元年(1648年)『津隈越前守正宣』が筑前筑蒲天満宮を勧請したのが創祀と伝えられているが、当初は現社殿の場所より北西1キロほどの『中の尾』に勧請され、明治4年付近の小社七社を合祀し『舟の尾神社』と改称され、現在地に移築されたのではないかと思われる。
社殿の裏にはとても大きくて立派なオガタマの木があった。
祭神は菅原道真公、熊野権現、外とある。
舟の尾は延岡と熊本を繋ぐ往還道で追分けとは左右に分かれる道である。
地蔵さんが交通安全を願い、たくさんの人を見守ってきたのであろう。
これを右に行くと藤江監物の獄死牢跡がある。
また、舟の尾神社の更に先に行くと藤江監物と息子の図書のお墓がある。
藤江監物という人物は延岡城主牧野越中守貞通に出北という地区に用水を引こうと命ぜられた。
監物は郡奉行の江尻喜多右衛門に工事を担当させ、貝の畑町の岩熊井堰を築いて五ヶ瀬川の水を出北まで通そうと水路工事を始めたが、難工事で経費がかさみ、藩の財政も厳しく重役から「監物は資金を流用している」とざん言され、藩主の命令で息子3人も含めて捕らえられてしまう。
長男が先に亡くなってしまい、その25日経った後に監物も亡くなってしまった。
それを郡奉行の江尻喜多右衛門は遺志を継ぎ、3年後に完成させる。
そして、やっと監物は無罪であると分かり、次男、三男と釈放された。
出北住民は水利を得ることによって水田地帯となり、藤江監物の徳を讃え、監物を祀る出北観音を建立した。
お墓は左が藤江監物、右が図書(づしょ)のお墓。
お守りとして削ることによって文字はなくなったそうだ。
大正13年には用水開削の功により従五位を追贈された。
今あるのはこうした開拓者がいたからだと改めて感謝するところである。
次に、分城の糸平地区へ。
日之影小学校を越え、更に奥へ。
車で15分くらいだろうか。
看板もないため、近くの住民に聞いたが、なんと90は超える御老人。
この方が親切に教えてくれた。
が、道に迷い目的地を越えてしまった。
すると、糸平の庚申塔を発見
安永8年(1779年)に建てられた塔は邪鬼の表情が変わっており、心に残る表情をした「仏邪鬼」と言えるそうだ。
さて、間違えてるかもしれないと気づき道を戻る。
ここかもしれないと道を下ると先ほどの御老人が電動カートに乗って現れた。
僕らが無事に辿りついたのかと心配で見に来てくれたとのこと。
とても親切な方で、権現様とはこのことだ!と思ったのだった。
さて、【小川平神社】
日本武命、大宮姫命、大山祇命、菅原道真公が祭神。
大宮姫命を五穀の守護神として崇める。
『今宮大明神天満宮』で大山祇命、菅原道真公を合祀。明治4年に小社を合祀し、【小川平神社】と改称した。
次に行ったのは日之影の町へ戻り中崎地区へ。
ここには三田井氏の重臣、甲斐宗摂の築いた中崎城がある。
ここから山道を登っていくと城跡がある。
井戸跡
分かりづらいが少し広い丘になっており、ここに城があったらしいが、今では草木が生い茂り、見晴らしも良くない。
甲斐宗摂についてはまた改めて書きたいと思う。
さて、旅の最後は七折の宮水地区にある【宮水神社】
祭神は大山祇命、三田井越前守親武公、八幡大明神、菅原道真公、月読命、愛宕将軍、稲荷大明神、逆巻大明神。
また伝説として、『雨社八幡宮』と言われ、『雨社』とは『三毛入野命』が『鬼八』退治の途中俄雨が降った時に路傍にあった楠木の洞に休息され、雨が止んで再び出発される時記念として自然石を2個安置された。里人はこれをご神体として『三毛入野命』を尊崇し、楠木の傍に小社を建て『雨社水神』と称し、祭祀した。
また天正19年(1591年)9月『三田井親武公』が延岡藩主『高橋元種公』に滅ぼされ、その首級を供覧しようと運んだ際、この宮水にてにわかに首級が重くなり動くことができなくなりこの地にて首実検も行い、この地で埋葬されたとある。
その後、神として祭祀したいと神祇管領に願い出『親武大明神』と神號を許され、安政3年(1856年)11月15日社殿を創建した。
袴谷にある『北山大明神』もここに移し合祀し『宮水神社』と改称した。
まだまだ日之影は回りきれていないが、今回の旅で、改めて日之影町の奥深さを感じた。
そして、車を回すことが出来ず、何度バック走をしたことか!!
恐るべし、日之影!
また今回も地元の方に助けていただきながら、目的を果たすことができ、本当に感謝している。
参考文献
高千穂郷八十八社名録 佐藤光俊発行
郷土の自然と文化財 日之影町長 藤寺盛夫発行