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鬼八についての最終考察 その①
以前からまとめて来た、高千穂神社縁起や興梠文書、そして、様々な文献等、また諸先輩方からのご指導により、自分なりの『鬼八』像というものをまとめていきたいと思う。
まず、結論から言うと、鬼八というものは、その時代時代で違うので、鬼八①、鬼八②など、分けて考えた方がいいということである。
誰が、鬼八伝説を作り、伝承していったのかを考えることが、真実を追求するよりも大切な事ではないだろうか?
さて、1番初めの鬼八①として考えるに
ズバリ
渡来系の修験者である。
鬼八が初登場するのは文治5年(1185)。
十社大明神と申し奉るは、天竺まかつ大国、むろえ郡、小野の里、興呂木の大里、神武天皇の王子正一位様。丹部の大じんむね重、若丹部の大じん定重。御剣の固め、御供仕、天降らせ給う。
『日向の国戸鷹』より高知尾に御登りなさる。七日七夜の御神楽、それより谷は八つ嶺は九つ、しちぶつ七夜の岩屋のほとり、あららぎの里と申すところに大里をたて、御移り有。その後は高知尾山奥二上山のほとり乳ヶ岩屋有。きはちふし(鬼八法師)という者、まえ(位の高い女性)盗む。それを退治いらせ給う。
高千穂神社1番古い文書の『旭大神文書』の中で登場する。
これは、田部氏が大神氏と共に先に入郷していた漆間氏と地元民である興梠氏が、制圧された事で生まれた鬼八と考える。
それは、豊後大神氏が初代高千穂太郎として入ってきた頃なので、950年頃。
その頃から田部氏は高千穂神社の宮司を務め、鬼八伝説をつくることで、流布しようとしたのではないだろうか?
上野にある田部氏が鬼八を切った「鬼切丸」
高千穂神社の宝物として、残されているが、田部氏にもその刀が残されてある。
どちらが本物であるかは分からないが、なぜ田部家にあるかは、どの文献にも田部氏が最後に切ったことが書いてあり、その点がキーかなと思っている。
それでは、その鬼八とされたものは一体??
これは、700年代から仏教と共に渡来して来た人たちであろう。
役小角という人物の物語と鬼八伝説が似ていると感じるのは私だけだろうか?
http://www.st.rim.or.jp/~success/ennoozuno_ye.html
※ こちらを参考にした。
役小角を祖とする密教が入ってきたのではないか?
加持祈祷を行い、人々に救いを説いた。
荒立神社の別当寺である多福庵。現在の神漏岐堂は天台寺である。
そのことからも密教としてのつながりを考えさせられる。
考古学的に見ても、神代川周辺には縄文式土器が発見されている。
縄文時代ころからは山を信仰していた、興梠氏。
荒立神社の背後には名前の由来の説もある神呂岐山。祝詞にもでてくる男の神様ということになっている。
その周辺の山も同じく高山、低山、七福神山、天香久山、四皇子峰、くしふる峰が聳え、『山氏興梠』がそれを統治していたのではないかと思う。
古くから住んでいるこの一族、所謂、縄文人である興梠氏は祭りごと、呪術にも長け、山崇拝として存在していたであろう。
※ これは、考古学的な観点からの私の考えである。
そこへ、渡来系であり、修験、山伏として、古神道を司る【鬼八法師】一族が入ってくる。
渡来系といっても、昔はいくつかの国が存在しており、ある意味今で言う【県またぎ】みたいな感覚ではないだろうか?
もし仮に、中国、朝鮮大陸からの侵略としたら、言葉や文化はそのまま向こうの文化となっているだろうから、原住民である、純粋な日本人と共に共存していったのが流れであると思う。
つまり、そこに大きな争いはなかったのではないだろうか?
山伏として、薬草などの採取などから医学にも長けていたと思われるので、祈りだけで体を治そうと思っていた原住民には神に見えたことだろう。
そこで、自然と共に生きていくことを決めた。
高千穂庄神蹟明細記 (樋口 種實著)によると、鬼八は別名「走建(はせたける)」といわれ、山々を素早くかけまわることができ、正市位様側に切られても何度も何度も蘇るのは、修験者がたくさんいたからではないだろうか?
そして、うの目姫はおそらく、興梠一族である。
なぜなら、興梠家と関係する伝説も残っているからだ。
うの目姫はシャーマン的な巫女であった。
本組にある王の宮。
これは、天孫降臨の際、共についてきた神様の二十柱をお祀りしているといわれている。
しかしながら、実はここが鬼八の宮ではないだろうか?
荒立神社の宮司さんが、以前「王(おう)ではなくて、王(ワン)さんかもしれない」と言ったことがある。
実は鬼八の本名は『王(ワン)』さん、だったら面白いのではないだろうか?
次号へつづく
参考文献
小手川善次郎遺稿集 高千穂の民家 他歴史資料
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