道端でうんこに遭遇して「自己肯定感」を考えた日
娘ふたりを小さな車につめこみ、奈良の実家に帰った。珍しいおもちゃがたくさん置いてあって、祖父母がアイスクリームをくれる場所。上の子は、ジージとバーバの家が大好きだ。
自分でつくる生活に憧れていた私からすれば、少し過干渉で。置き去りにした町、どこか古びた町。娘にとっては、非日常の町。
片道1時間、阪神高速の渋滞の中、縫うように走る。
大阪と奈良を結ぶ阪奈トンネルは、5 km以上ある。入口も出口も見えない時間は、アクセルを踏んでも景色が変わらない。先行車のテールランプがにじんで見える。
まっすぐで景色の変わらない人生。そんなん、退屈やろうな。眠いやろうな。後部座席の娘たちの寝顔を確認して、予測不能な毎日に感謝……いやでも、穏やかにも生きたい。
トンネルを抜け下りのカーブにさしかかり、市内を見渡す。私の生まれ育った町は、平らだ。そのままチェーン店が並ぶ国道を過ぎ、住宅地に入っていく。
ヤンキーが多く、犯罪防止のために青い街灯が設置された道。そこかしこで高齢者の家に泥棒が入っているらしい。まあそれなりに治安が悪いということだ。
そして、いつものコインパーキングに車をとめる。
荷物を下ろそうと車の後方に回ると、うんこが落ちていた。駐車場を散歩ルートにしてる飼い主でもいるんか。胃腸の調子が良さそうな、立派なうんこだ。
さらに、家までの側道にもうんこが落ちていた。私の祖父は、犬のうんこを持ち帰り下水に流すタイプだから、このうんこは、知らないうんこ。
町がどことなく臭うのは道端うんこのせいかもしれないと考えながら実家のインターホンを押すと、すぐに父が出てきた。心配性の父は、まだかまだかと待ちわびていたようだ。
下の子を寝かし上の子を父に任せ、消耗品を買いにスーパーへ向かう。その道中で、2回うんこを見た。1日に計4回うんこを見た。4個のうんこを一度に見たのではない。「うんこに遭遇」が4セット。
その夜家族に「今日うんこを4回見た」と言うと「踏まんかった?大丈夫?ツイてないな〜」と返された。うんこで運占い。
道端うんこと運勢を結びつける一連の流れは、何気ないやりとりだけど普通に意味不明だ。なんやこれ。
ふと、自己肯定感界隈にうんこエピソードを突っ込みたくなった。「自己肯定感って何なん」とつねづね思っているから。自己肯定の材料を集めるのは難しいのに、どうやって自己肯定感を高めるんや。
頑張って自己肯定すること自体、何か間違っているのではないか。自己否定の材料を減らした方が、小さなきっかけで自己肯定感を高められるのではないか。
たとえば道端うんこのような、自分にはコントロールできないものを自己否定の材料にしないとか。「うんこを4回見た」事実のまま受け取る習慣が、必要なのではないか。
「うんこを4回見るなんて、自分はツイていない」これは、妄言に違いない。
なんてアレコレ考えていると、下の子がブリリとうんこをして泣き出した。早速、買ってきたおむつに手を伸ばす。
あれ?新生児用?Sサイズが必要なのに。間違えて2パックも新生児用を買ってしまった。まだギリギリ使えるけど、キツそう。Sサイズを買わないと。
渋々、再度スーパーへ。夕方になり多くの人がレジに並んでいる。キャッシュレス専用レジもものすごい混雑具合。あぁ面倒くさい。
店を出ると、空はしっかり暗くなっていて雨が降ってきた。おむつを買うためだけに外出して身体を濡らすなんて。情けない気持ちで帰り、お風呂で気分転換しようと試みる。
着替え着替え。
カバンの横に置いた買ってきたおむつのパッケージに印刷されたキュートな赤ちゃんと目が合った。ん?なんやこの違和感は。
……この赤ちゃん、首が座ってる!!!!!!!!???
新たに買ってきたおむつは、Sサイズのパンツタイプだった。うちの子はまだ首が座ってない。テープタイプが必要なのに、何やってんねん私は。
「うんこを4回見るなんて、自分はツイてない」
ふーん、そうですか。使わないおむつを買ってしまうなんて、ツイてないですね?それとも何?うんこは警鐘ですか?
自己否定の材料は減らすに越したことはない!とか言いながら、夢中で考えるあまり目の前のことを疎かにしてしまうダメな自分を暴き出してしまった。
遅れて実家にやってきた夫に「何やってんの」と笑われながら、少しキツめのおむつを娘に装着しながら、気を確かにと自分を奮い立たせる。
明日はケアレスミスをしない。ちゃんとうんこに誓って眠る。
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道端でうんこに遭遇して「自己肯定感」を考えた日。