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文章の臭いが気になって、書きたいと思えなくなった

書きたいと思えない。書くことが、できない。一時期は「書かないとしんどい」くらい書きたかったのに。

どうして書けなくなったのか。ずばり、文章の臭いに気づいてしまったからである。臭いが気になって、書きたいと思えなくなってしまったのだ。

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最近よくYouTubeを見ている。授乳しながら、家事をしながら。特に気に入って見ているのが、ジェーン・スーさんと誰かの対談動画。

パンチのある言葉選びをしながら、人を傷つけるような極端さが抑えられている。頭にほどよい刺激と癒しをくれるジェーン・スーさんが好きだ。

そんな彼女が「作者のエゴが臭ってこない文章は、いい文章。読める」的なことを伊藤亜和さんとの対談で言っていた。(雑な引用ですみません)

自分の書く文章が嫌になってきていたタイミングで、この「文章が臭う/臭わない」論にハッとした。


そうそう!私の文章クセェんや。

何の臭いか確かめたくなって、自分の書いた文章を読み返すと……

おおぅ、臭い。やっぱり臭い。

私の文章からは「正当化」の臭いがする。


〜な行動を取った私。なぜなら〜。だから、間違ってませんよね!!!!!的な。何か大きな選択をした後に書いた文章は、なおさら。

私生活がぐちゃぐちゃだったのに、キャリアチェンジを押し進めたこと。夫に不満があったけれど、ひとりで抱え込んだこと。夫の裏切りにブチギレて離婚を切り出したけれど、結局踏みとどまったこと。そんな夫との子どもを産むと決めたこと。

すべて「後悔していない」と、かっこよく締めたくて、noteがちゃんと臭い。やっちゃってる。

臭いに気づくと、恥ずかしくなってきた。「正当化」の臭いがするnote、自分だったら読まないし。恥ずかしい。書けない。

で!!!!

もう、やめる

総括みたいにnoteを書く習慣を。もうちょっと、そのままの気持ちをnoteに書いてみよう。結論の出ていないこと、論理的じゃないことも、自分のnoteなんだから書いちゃおう。

ほんとうに会社辞めてよかったのか。人生の見通しの堅実さは。夫が嫌いで、好きで、嫌い。やりたいことはあるけれど、何もせずに穏やかに茶をすすりたい怠惰。平気なフリして傷ついていて、傷つきたくなくて強がる、私の弱さそれ自体。

ほんとうのほんとうは、いっぱい揺れている。毎日、褒められない自分がいる。しょうもないけれど、素直に書いたら「正当化」の臭いは漂ってこないだろう。久保みのりの、そのままの臭いだけ。

これからは、揺れている自分、褒められない自分を積極的に書こう

卑下したいわけじゃない。「間違ってないよね?(ドーーーーーン)」みたいな、かっこつけをやめたい。「正当化」臭を消したい。

人間臭さはnoteの醍醐味なはずなので、よしとしたい。もし、久保みのり臭がキツすぎたらごめんなさい。

「この臭い平気」だと思ったら、仲良くしてください。

noteをリニューアルしていく。


こんなnoteもいいね、と思えたら
11月12日はnote記念日

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