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モラハラを自覚した時に読んだページ
こんばんは。モラハラ夫の久保だいすけです。
ぼくは結婚20年の節目を迎えています。
そしてその20年間、ずっと妻にモラハラ加害を繰り返してきました。
前の記事にも書きましたが、今では妻は子供のために同居し続けていると明言し、基本的に子供と共同生活を送る上での必要最低限の接点しか持ってくれなくなりました。
その生活の中で、絶対に変わらなければならない。
自分が変わって、大切な妻を今度こそ大切にしたい、と思い藁にもすがる思いで、ひたすら「モラハラ」「治療」「更生」「変わりたい」など検索していました。
(今でもしています)
その過程で見つけた記事が、今までのモラハラを単にモラハラという一言で括るのではなく、それが如何にして加害的で、問題として根深く、また深刻なものかを自分の中に深く刻んでくれる記事に出会いました。
GADHAの「加害者がまず最初に読むページ」
Gathering Against Doing Harm Againの頭文字をとったGADHAは、日本で活動するDV・モラハラ・カサンドラ・パーソナリティ障害など様々な原因により加害してしまった人が、その事実にき気づき、立ち直り更生するプログラムの運営団体です。
実はGADHAとの出会いは、直近のモラハラ事件があった時ではなく、昨年末に妻からモラハラを再宣告された時に、その原因を探るべく調べていた時でした。その時にこのページに辿りついていながらも、実際に読んだのは8月に最も直近の事件後でした。
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なぜ昨年末に読まなかったのだろう、と心の底から後悔し、あの時に読んでいればここまで手遅れにならなかったはず、と後悔してもしきれません。
「自分を変えてでも、大切な人を大切にできるようになりたい」
上のバナーからリンク先に飛び原文が見れますが、最初に強調されているのはこんなフレーズでした。
もしもあなたが「自分を変えてでも、大切な人を大切にできるようになりたい」と考えるのでしたら、何日に分けてでも、ぜひ読み通してください。
これを見たときに、
2023年12月:ブックマークしておいて、あとで読めばいいや。(結局読まず)
2024年8月:あ、あの時の記事だ。あとで読も、、、いや、いま読もう。
と、心境の変化があっただけではなく、その直後の文章に頬を引っ叩かれたような衝撃を受けました。
これらの考えは加害者の特徴である以下の2つの意識に紐づいているからです。
1. 所有意識:お前はおれのものであり、おれが考えるように考えろ
2. 特権意識:おれは常に正しく、お前は間違っているので正されなければならない
あー、これぼくだ。。。
ぼくは深層心理で、美人でスタイル良く、明るく頭脳明晰、包容力が高く、理解のある妻をまるで自分を彩るアクセサリーのように、一つのステータスだと思っていることに気づいていました。でも公言できることではないことを知っていますし、人間として、男性としても最低の部類に入る思想だと知っていました。
またそういった数々のステータスを身に纏った自分は、選民意識とまでいかなくとも、自分は優秀なのだという信じ込むことが、自分の身を守る鎧となっていることも知っています。同時にその鎧のメッキは年々経験を積む中で、メッキが剥がれそうになっており、自分がいつ転げ落ちても不思議ではないことも知っているが故に、ぼく最大の恐れでもありました。
加害をしているのはあなた。その責任もまたあなたに。
ぼくが抱える最大の恐怖心と、ぼくが抱える最低の思想が暴かれてしまった今、ぼくはもう丸裸も同然です。なにも失うものはないぐらい丸裸でした。唯一すがれるとすれば、それは加害する原因?要因?となっている育った環境なぐらいでした。
ただそれも見事につづく段落で打ち砕かれました。
GADHAというコミュニティやサービスの概要・目的説明が冒頭つづく中からの引用です。
(加害)を成り立たせる「遺伝要因」や「環境要因」についても簡単に触れますが、たとえ要因がいくらあっても「加害しているあなた」の責任は減りません。 あなたはあなたの責任で、加害を止める必要があります。
ごめんなさい。
今までの行いの全てが、原因やトリガーを他の誰かがいたことによる作用・反作用のような反応だと信じている自分がいました。でもそれも選択的にぼく自らがどうするか決めて行なっていたんです。
コーヒーを飲む。着るシャツを選ぶ。同じように、妻にモラハラ加害をすることを選択的にchoiceしてきたのだ。そしてそれを辞める(やらない)のも自分の選択であるべきだし、なによりもぼく自身の選択なのであれば、ぼくがその責任を負う。
ただ一つだけ気になること。
でもぼくには、一つだけ気になることが残っていました。
先月8月に妻の堪忍袋の緒が切れるきっかけとなった侮辱的な言葉。あれは無自覚でした。パッと浮かんだ言葉を口にした。口にすればウケると思ったから。咄嗟の一言でした。つまり、この行動はどこまで選択的だったのだろう?
確かに辞める選択をしなかったという意味では、ぼくは謝った選択をすることで加害を行いました。一方で、反射的すぎてわからないぐらい、また発言後もなにか違和感が残る直感みたいなのはあれど、こうなることは想像できていませんでした。そういう意味では無自覚でした。
そこで最後の追い討ち。
「悪意のない加害者」とは「大切にしたい人に対して、傷つける意図はなく、大切にする方法がわからないために、加害的な行動を繰り返してしまう人」のことです。私たちは、学ぶことによって、この加害を止めることができると信じています。
悪意のない加害者。もちろんこれは加害者目線での立ち位置ですが、悪意のない加害者、という響きはどこか納得が。
そしてここまで自分の思考が読まれているということは、自分は典型的なモラハラ加害者なのであって、GADHAで学ぶことで正しい人との接点の持ち方が会得でき、加害者としての更生の道を歩めるのではと藁にもすがる思いで、この後記事を最後まで読んでから入会を決意しました。
まとめ
実はこの後も、この記事にはぼく自身の至らないところや、恥ずかしい行動を全て言い当てられてしまいます。
ただ、この記事をあのときに読んでおいて本当に良かったと思いますし、なぜ昨年末にこのページまで辿り着いておきながら読まなかったのかを本当に悔やみました(今でも悔やんでいます)。
でも代わりに、もう何も先送りしない。いまやれることをやる。そう決めるきっかけにもなり、同時にやれることはやる。1年間の改善計画をまだ妻に出せていないので、早くこれを作って出して、納得してもらう。
そんな気概にもつながる運命的な記事でした。
そして今日このnoteを書くにあたり、もう一度読み返しました。すると改めて初めて読んだ時のような衝撃、そして脳内に新たな気づきがいくつかありました。
もしかするとこれは毎週定期的に読むと良いのかもしれませんね。
妻ちゃん、これを読み続けて、行動を続けることで変容・更生する間も待ってくれてありがとう。