「ロックンロールは命の恩人」と言い切るチャボに、ありがとう。
10月15日、六本木EXシアターにチャボバンドを観に行った。
「久しぶりだぜぇー」
と嬉しそうに叫ぶチャボ、4年ぶりらしい。ということは、前回も来ている。チャボのことは、昔から大好き。でも、コアなファンには負ける。
それでも京急線の行き先が「久里浜」になっていると、ファーストソロアルバムに入ってる「ONE NITE BULES」の「♪久里浜年少、久里浜年少
ONE NITE BULES~」を口ずさんでしまうくらいは、大好き。
そんな小自慢をすることもないけど、楽しそうにギターを弾くチャボを久々観ることができて嬉しかった。
73歳、なのにほぼ3時間のステージは、大満足。
「久々だから、長いよ~」
と叫んだ通り、本当に心ゆくまで演奏してくれた。
そりゃ彼は、RCサクセションのギタリストでしたよ。でも、その後に歩んで来た道のりで出来たたくさんの曲たちもホントにいとおしい。歌詞の一つ一つが、チャボの人柄を表わしていて、いちいちうなずいてしまう。全然止まっていない。それが証拠にRC時代の曲は2曲しかやらなかった。あと、土屋公平氏とのユニット麗蘭からは1曲ほど。
8月に亡くなった大好きなTHE BANDのRobbie Robertsonに敬意を表して、カバー曲を。と言っても、チャボが日本語にして歌い上げるそれは、とても心に沁みる。他にも、洋楽に日本語の歌詞をつけた曲を数曲聴いたことがあるけれど、その時点でもうそれはチャボの曲に。
そうやって楽しませてくれて、途中のMCで私は落涙(それも、ひどく)してしまった。
「よくあなたにとってロックンロールとは何ですか? って聞かれるんだけど、前は、うーん社会に参加するためのもの、なんて答えてたんだけど・・・」
チャボが、とつとつと話し出す。それは、普通の生活はしていないけれど、ロックンロールをやることで少しは社会の仲間に入れてもらえるのでは? というような意味だったと思う。
「でも、今は違うんだ。ロックンロールは命の恩人だと思ってる」
ぎゅっ。
私は、ここでこぶしを握りしめてしまった。「エンタメは命の恩人」というエッセイを書いたことがあるけれど、激しく同意してしまったから。
たくさんの命救われるミュージシャンに出会った。私にとってはチャボもその一人だけれど、チャボは次々に影響を受けたミュージシャン、バンドの名前をあげていく。
「うんうん」
暗闇でうなずく私。
そうして。
「ロックンロールを知ってれば、犯罪なんか犯すことないのにな」
私は、ここで涙がこぼれてしまったのだ。
実は、私には人前で泣くべきではない、という強烈なメンタルブロックがかかっている。それは、泣くと母に、
「そんなことで泣くなんてバッカじゃないの!?」
と言われ続けたせいで、唇を噛んでまで我慢してしまうのだ。その癖はいまだに残っていて、映画館の暗闇なら泣くこともあるけれど、その他の場所では無意識に堪えてしまう。
それが。
この涙。
ものすごく自然体になっていたのだろう。チラッと隣りの男の人が、私の様子を伺っていたくらいだから、きっと泣いてるのがわかったのだと思う。そんなところを見られても取り繕う必要もないと思えるほど、自分を丸出しにしていたとも言える。
チャボの考え。
それは、私が常々思っていること。そうして、私が一番伝えたいこととまったく同じ。
たとえ生身の人間の誰一人として自分の味方ではなかったとしても、ロックンロール(それは小説、映画、演劇など広い意味のエンタメに置き換えても可だと思う)さえあれば、他の人に刃を向けることなどない。チャボも、同じ気持ちだったんだ。
私がなぜチャボを好きなのか、その理由が明確になった瞬間。このティーンエイジャーの時に受けた衝撃をそのまま持ち続けて今に至るのは、並大抵の努力ではないだろう。近年、親しくしていた人たちが、次々に天国のドアをノックしていなくなってしまい、寂しさや悲しみもつのる中、それでもステージに立ち続けることは、ものすごいエネルギーがいる。
「昔、天井桟敷の音楽やってた時、永山則夫のことを知った。『無知の涙』だよ~。永山則夫もロックンロールを知ってれば、あんな連続射殺事件なんか起こさなかったんじゃないか~」
永山則夫。貧困故に、連続射殺事件を起こしてしまい、死刑囚となった人。ちょっと調べたけれど、天井桟敷を主宰していた寺山修司さんと永山則夫は敵対していたらしい。そうなる前に、舞台で「無知の涙」を取り上げたのかもしれない。そこにチャボが居合わせて・・・。
このことも、不思議な縁(えにし)。私は14歳の頃に、寺山修司さんの詩を本屋で立ち読みして、あまりの感動に立ちすくみ、
「文章を書くような人になりたいっ」
と思ったし、天井桟敷の最後の数年間(もうチャボはRCサクセションに入り活躍していた80年代初頭)のステージは、5,6作品間に合って見ることができた。
それと。
私が永山則夫を知ったのは、中上健次氏のエッセイだったのだけれど、中上氏は、
「貧困が原因で事件を起こすなんてふざけんじゃねぇ。この世は無数の永山則夫で出来てるんだ。それを実行に移すかどうか、それがそいつの価値を決めるんじゃないか。環境のせいになんかするんじゃねぇ!」
みたいに熱く語っていた。まったくのうる覚えで書いているので、細かい描写は曖昧だけれど、全体的には怒りがみなぎる熱い文章だった。
私は、激しく膝を叩いたものだ。
「そうだよね。環境のせいになんかしちゃいけないよね。あんな親だから、なんてグレたり、ヘンに言い訳したりしないで、自分で歩いて行こう」
そう思った。18歳の頃だったと思う。
今で言うヤングケアラーを強要され、毎日父と弟のために夕飯を作り、終電で帰宅する母に愚痴をこぼせば、
「誰も作ってくれなんて頼んでない!」
と言われ、絶望した日々の一筋の灯り。
チャボの話に戻すと、突然に天井桟敷と永山則夫が出てきてびっくりしつつも、
「ああ、ここにいることができて、本当に良かった」
と思った。
だって。
あの10代の頃、
「コンサートなんてくっだらない!!」
と母にさんざんけなされていた私は、もしかしたら生きる気力を失くして死んでいたかもしれないし、母の言いつけを守り、行きたいコンサートに行かず大人になってしまったかもしれない。
そうしたら、もちろんロックンロールのない日々を何十年も過ごさなければいけないのだ。
そんなのは、耐えられない。
やっぱりチャボの言うように、
「ロックンロールは命の恩人」
なんだと思う。
友達の娘さんが、アイドルグループの推し活に夢中で、もう社会人なのだけれど、有給を計画的に使い遠征にも行くし、グッズも色々買っている。友達は、そんな娘さんをとても心配しているけれど、私は娘さんの気持ちがわかる。そのグループがどんなに癒しを与えてくれるか、明日への糧をもたらしてくれるか。
ある時娘さんと2人で話す機会があり、推し活のことを詳しく尋ねてみた。もう、目をキラッキラさせて語りだし、どうやってチケットを取るか、グッズがダブってしまった時には、どうするかなど色々語ってくれた。
これはもう、魔法にかかってしまった人にしかわからない至福の時間。願わくば、その気持ちをずっと持ち続けていてほしい、と思う。これから先、大変なことがあっても、きっと励まされ立ち直っていくことができると思うから。
私は、まだまだライヴに行くつもり。
こんなに色々な事を考えさせてくれた、チャボに心からありがとう。
アンコールの数曲も終わって、いよいよエンディングとなった時、
Louis Armstrong の「 What a wonderful world」が流れ始めた。その間、チャボはずーっと、こぶしをあげ、下を向いていた。
天国のLouis Armstrong他、親しい友人に敬意を表しているようにも、この素晴らしき世界が永遠に続くよう祈っているようにも見えた。その静かなたたずまいは、ライヴのエンディングにふさわしく、私はちょっと赤くなった眼のまま帰路についたのでした。