「妹みたいなものだから」(いただいた言葉は宝物) その8
こんな出会いも、ある。だから、あなたも世界中でひとりぼっちだと、あきらめないで。
「そんなのきれいごと。たまたま出会えただけで、ほとんどの人はそんな人に会うチャンスなんてない」
そんな声も聞こえてきそう。
でも。
私だって、ずっとそう思ってきた。この一人ぼっちの気持ちに寄り添ってくれる人なんて、世界のどこを探してもいるわけがない、と。
それって。
高3の時失恋して、心やさしい友達が、
「元気出しなよー。稀沙には、きっともっと良い人が現れるから」
と慰めてくれているのに、
「何うわっすらの慰め言ってんの? もうこんな私にはそんな人現れるわけないじゃないの!!」
と内心怒りを抱きつつ思ったのと、似ている。
この発想が、不幸を招くのだ。嘘でも良いから、
「そうよね、人生は長い。きっと良い人現れるね」
と思った方が、気持ちも前を向くことができるし、その正なるエネルギーが、次の良いことを運んできてくれるのだと今なら思える。
スピリチュアルな話ではない。ネガティブな考え方をしていた時には、良いことなんて起こらなかったし、人を妬むことで自分を正当化していたけれど、これほど不毛なことはないのだ。そこに美しい花は、一本も咲いてはくれない。
自分で自分をほめても良いのなら、よくもまぁ息子たちの校長先生と言う立場の人に、自分から押しかけて行ったな、ということ。この勇気が、きっと新しい扉を開いてくれたのだ。
どうか。
探し続けてほしい。
そうすれば、いつか「その人」は、見つかるから。「妹みたいなものだから」の言葉は、私の宝物。普段は会えなくても、私のことを思って毎日祈りをささげてくださる方がいる、という幸せは、両親からもらえなかった愛以上の大きな喜びを与えてくれている。
今日もまた、
「何が起こるかな?」
とわくわくして新しい朝を迎える私。
今回はいつもと違い、良い話を書いたつもり。本当は、こういう内容をもっと書きたいし、ストックもたくさんある。
でも、まず毒母のことを書き尽くしてから、と自分を律している。なぜなら、私が良いことの方をインプットできるようになるプロセスと、そうなる以前のことをどうしても伝えたいから。
あのままだったら、私は、ただの文句体質の嫌な感じのおばさんになっていただろう。これだけは、確信できる。
そこから脱けだせた、ありがたいできごとは先に取っておいて、今しばらくは、母についての話を続けてみようと思っている。
こんなに長い文章を最後まで読んでくださり、本当にどうもありがとう。今苦しんでいる人がいたら、少しでも明るい希望が訪れますように・・・。
そうして、またアップしたら他のエッセイもぜひ読んでほしい。