シェア
くばーに
2024年12月2日 02:02
教養という旅路をその人の過去に見出すことができるならば、それは肯定できることだ。教養があることは決して悪いことではない。しかし、それは持っていないことを否定することに繋げてはならない。なぜなら、教養とは人間の知識や経験の集積だけでなく、それらを個々の人生の文脈に接続し、活用する能力であるからだ。過去を通じて教養が形作られているとはいえ、それは未だ未知の未来を否定する根拠にはならない。旅路によっ