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「能ある鷹は爪を隠す」べきなのか?

学生時代の好きなことわざの一つに、

「能ある鷹は爪を隠す」

というのがあります。“学生時代に”としたのには理由があります。

最初は、「自分の能力をひけらかすのはみっともない」、「それを隠しておいて、出来そうにないことをさらっとやってのけることがカッコイイ」、「自分もこうありたい」と思っていました。しかし、段々それだけではダメな気がしてきたのです。

結婚披露宴の際、恩師のスピーチでも、「自分の立場を考えすぎて遠慮しすぎだ、もっと自分に素直になった方がいい」と指摘されたのです。

社会に出てみると、カッコイイとか言っている余裕は無くなってきます。
だれも自分のことなど気にかけてくれません。
“能”があるなら出し惜しみしないでどんどん使っていかなければ誰も認めてくれないのです。
“爪を隠している”ことなど誰も気づいてくれないのです。

そこで、いろいろと交渉術などを勉強していくうちに、このことわざの本当の意味の使い方を考えるようになりました。

今日は、そのあたりを少し深堀したいと思います。

鷹は獲物を捕らえるのに使う最大の武器は、その鋭い爪です。
鷹は狩りの際、その爪を隠し、相手に油断させておいて、爪で鷲づかみにして捕まえるのです。
軽々しく鋭い爪を見せびらかすと、相手に必要以上に警戒されてしまい、なかなかうまく獲物にありつけないからです。
なかなか頭がいいですね。

同じように猫にも用いられたものもあります。

「能ある猫は爪を隠す」
「猟ある猫は爪を隠す」
「上手の猫が爪を隠す」
「ネズミを捕る猫は爪を隠す」

猫は鷹より身近な存在なので、ことわざも多いのでしょう、鷹ほど有名ではありませんが。

又、言い方を変えた

「大賢は愚なるが如し」
「大智は愚のごとし」

というものもあります。
賢い人は、知識をひけらかさず、表に見せないから、一見すると愚者のように見えるというものです。

愚か者の例えもありました。

「吠える犬は噛みつかぬ」
「能なし犬の高吠え」
「鳴く猫はネズミを捕らぬ」

虚勢を張って吠えるだけで何もできない無能な人のことですね。
自分は実力がありませんと叫んでいるようなものです。

「能なしの口たたき」

は、無駄口ばかりたたいて何もしない無能な人のことです。

「浅瀬にあだ波」

思慮の浅い者が、大騒ぎしていることです。

「空き樽は音が高い」

も同じ意味です。反対は、

「深い河は静かに流れる」

と言って、思慮深い人は悠々としてやたらと騒ぎ立てたりしないことです。

私の好きなことわざの

「沈黙は金、雄弁は銀」

も同義語です。

英語にもあるようです。いくつか紹介すると、

「Cats hide their claws.」 猫は爪を隠す
「A wise wolf hides its fangs.」 賢いオオカミは牙を隠す
「Still water runs deep.」 静かに流れる川は深い
「Who knows most, speaks least.」 能力のある人は余計なことは言わない

最後の言葉は、私の以前の記事「「SIMPLE IS BEST」私の考え方の基本」にも通じるところですね。

ここまでで既にお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、私が当初カッコイイと思っていたのは、謙遜に当たり、このことわざの意図するところとは全く違っていたのです。
「能ある鷹は爪を隠す」とは、もっと積極的で、もっと戦略的なものだったのです。現代の処世術と言えるものなのです。
ただ単なる遠慮や控えめなことではなく、逆に意味もなくただ饒舌なだけの、どこかお偉いさんのようでもなく、自分をアピールする実に高等なテクニックだったのです。

相手を侮らせておいて、隠しておいた爪でその相手をギャフンと言わせたときの爽快感はたまらないものがありますね。
むやみに能力を見せびらかすことなく、ここぞというときに大いに技をふるうことこそ大事なのです。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」

にも通じる奥の深いことわざだったのです。

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