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AIに本文を書かせるべきか?ーーネクロマンサー的なアプローチ

「AIに文章を書かせすぎて、最近自分のアイデンティティが分からなくなってきた」Key君です。
みなさん、AIを使って小説を書こうとするとき、こんな悩みありませんか? 「AIに本文を書いてもらいたいけど、それって本当に正しいの?」
「でも、自分で書くより上手く書けそうだし...」
「結局AIの力を借りたほうがいいの?それとも全部自分で書くべき?」
私も同じようなジレンマを抱えていました。まずは半年間の思考錯誤を果てまとめた個人の意見をまとめると:

  • AIに本文を書かせるべきではない

  • どうしても本文を書いてもらわざるおえない場合(例えば、外国語や不慣れなジャンル)、AIが書いた本文を「死体」として割り切って、それに対して「ネクロマンサー的な仕事」をする

です。詳しく見ていきましょう。

AIが書いた本文はつまらない

AIに小説本文を書いてもらうと、「なにこれめっちゃ下手や」と思うときはありませんか?
AIが生成した文章を読むと、まるで機械が言葉をランダムに並べたかのような違和感を覚えます。文章の流れは不自然で、ときには意味不明な表現が飛び出してきます。まるで、文法書を丸暗記した外国人が、辞書を片手に必死に文章を組み立てているかのようです。
私が気づいている「標準的カメラレンズ」的な違和感としては:

  • 文の長さが妙に揃っている

  • 言語にそぐわない表現(例えば、日本語なのに「私は」が多い)

  • 誇張・比喩表現が多い

  • 文の構造の多様性が低く平板

  • 翻訳臭がする

世の中のいわゆる「AI文章検出器」もこう言った観点から検出しているのです。
レガシーモデルであるGPT3.5で書いてもらった文をご覧ください:

雨が降り注ぐ灰色の街。私は傘を持たずに歩いていた。
水滴が私の髪を濡らし、頬を伝って落ちていく。
私は深く息を吐き、空を見上げた。
雲は重く垂れ込め、まるで世界全体が私の心情を表しているかのようだった。
私は足を止め、近くのカフェに駆け込んだ。
温かい照明と香り高いコーヒーの香りが、私を包み込む。
私はカウンターに座り、ホットチョコレートを注文した。
バリスタは優しく微笑み、飲み物を差し出した。

うわっ...いかにもGPTらしい文章ですね(笑)

記号論的に考えてみよう

ちょっと難しい話になるかもしれませんが、一緒に考えてみましょう。
記号論では「テクスト(texte)」という概念があって、実は普段使う「テキスト(text)」とは少し違う意味を持っています。
分かりやすく小説の文脈で説明すると:

  • 「テキスト」:意味が比較的固定されていて、作者の意図が重視される文章

  • 「テクスト」:意味が常に揺れ動き、無限に解釈可能で、読み手や文脈によって意味が生まれる文章

ここで先ほどのGPT-3.5が書いた雨の日の文章を思い出してください。あれには本当の「意味」があると感じましたか?
おそらく「なんか違う」と感じたはずです。でも、最新のClaudeが書いた以下の文章はどうでしょう?

隣で真奈が声をかける。
転校して二週間。鎌倉という街も、裾の長い制服も、坂道の多い通学路も、すべてが新しかった。
「うん、まだかな…」
踏切の警報機が鳴り始め、遮断機がゆっくりと下りてくる。
真奈の髪が風になびく様子を、私は横目で盗み見た。
去年の秋まで都会の学校に通っていた私には、彼女の何もかもが新鮮に映る。長い黒髪も、着崩した制服も、飾り気のない笑顔も。

こちらの方が「それっぽい」と感じませんか?
でも、ここで私が言いたいのは、例えばAIの出力がどれだけ「それっぽく見えても」、そこには本当の「意味」が存在しないということなんです。
ここで、フランスの文学理論家ロラン・バルトの「作者の死」という考え方が参考になります。
バルトは「テクストの意味は作者によって決定されるのではなく、読者によって生み出される」と主張しました。
この考え方を使うと、GPTやClaudeは最初から作家として「死んでいる」のです。彼らが作り出すものは「死体」。それがどれだけ「人間っぽく」見えても、「美しい死体」に過ぎないんです。

テクストを解釈する「コード」

まだ記号論の話が続きます。記号論では、テクストを解釈するための「コード」という概念があります。これは私たちが物語を読むときに無意識に使っている「解釈の枠組み」みたいなものです。
分かりやすい例として、『進撃の巨人』を見てみましょう:

  • 語義コード:謎解きの構造

    • 巨人の正体は?

    • 壁の秘密は?

    • エレンの能力の謎...

  • 文化コード:背景知識

    • ドイツっぽい名前や建物

    • 軍事組織の仕組み

  • 象徴コード:対立する概念

    • 自由 vs 束縛

    • 人間性 vs 獣性

    • 個人 vs 集団

面白いのは、同じ『進撃の巨人』でも、読む人によって全然違う解釈になるんです。例えば、ユダヤ人読者と日本人読者では、作品から受け取るメッセージが全然違うかもしれません。
これをAIの話に戻すと...
AIが書いた小説本文は「テクスト」として存在しているけれど、それは多義的で、解釈を待つ「未完成」の状態です。人間が自身持つコードでそれを解釈して初めて「意味を成す」のです。
うーん、まだ分かりにくいですよね。次の章では、もっと具体的な例を見ながら、AIの出力の二つのタイプについて考えてみましょう。

テクストにも二種類がある

ここまで読んで「ちょっと待って!」と思った方もいるんじゃないでしょうか?
「AIに小説の登場人物の名前や世界観設定を考えてもらった時、すごく意味のある提案をしてくれるじゃない?」
はい、その通りです!実は、AIが生成する文章には大きく分けて二種類あるんです。

論理的な文章(=「固定化されたコードの出力」)

これは、AIが得意とする分野です:

  • キャラクターの名前

  • プロットの構成

  • 世界観の設定

  • ストーリーの骨組み

なぜAIがこれらを上手く生成できるのか?実はこれらは記号的(symbolic)であり、文化的コードやジャンル規範に適合しやすいため、人間の持つコードで「正しい」と解釈しやすいのです。
例えば:

  • ファンタジーの名前 →「エルドラゴン」「フィリノア」

    • 特定のジャンルの法則に従っている

  • 王道的なプロット →「孤独な英雄が旅に出て世界を救う」

    • 神話や文学で普遍的なパターン

プロットや設定には一定の型(構造)が存在します。AIはそれらの型をデータから抽出し再現するため、生成物がすでに文化やジャンル内で広く受け入れられたコードと一致する場合が多いです。
これらの出力には「開放性」や「多義性」が少なく(私は「揺れ」が少ないという表現を好むが)、読者が解釈を介入させる余地が小さい。人間が「ああ、なるほど!」と理解しやすいんです。
そのため、バルト的な「テクスト」というよりも「固定化されたコードの出力」に近い存在といえます。

感性的な文章(=「解釈待ちのテクスト」)

一方で、これがAIの苦手分野は小説の本文とキャラクターのセリフ、作品の感想です。
小説本文や感想は、単に論理的な構造ではなく、感覚的なリズム、微妙なニュアンス、「水面の下の意味」が重要です。これらは明確なルールに還元しにくく、AIの統計モデルでは完全に再現しにくい部分ですね。
例えば、「夏の終わり」という言葉から、日本人は:

  • セミの鳴き声が少なくなっていく寂しさ

  • 夕暮れが早くなる切なさ

  • 運動部の引退試合の感動 ...などを連想します。

しかし、AIの生成物にはその「人間的な原点」が欠けている。感性的な文章では、文化的背景や文脈依存性が必要ですが、AIはその場に応じた文脈の微細な変化を直感的に理解することができないため、生成物がどこか「浮いている」ように感じられます。
バルトの言う「多義的で解釈の余地があるテクスト」という考え方を借りれば、AIの本文はまさにこういう「解釈待ちのテクスト」ですね。

それでも小説本文を書いてもらいたい

ここまで読んで「やっぱりAIに小説本文は書かせない方がいいのか...」とガッカリした方もいるかもしれません。
でも、私はある場合においては「アリ」だと考えています。
例えば:

  • 外国語で書きたい時(私は日本語ネイティブではないので、まさにこのケース!)

  • 特殊な文体に挑戦したい時(古文や方言など)

  • 未経験の出来事を描写したい時(例:ナースの仕事を書くなど)

この場合、私は「死体でもいいので、まずはたくさん生成してもらう」というアプローチを取ります。
実例を見てみましょう。私には「夏の駄菓子屋でアイスを食べる」という体験がないので、AIに3パターンの描写を書いてもらいました!!

【パターン1】
真夏の日差しが照りつける中、古びた駄菓子屋の軒先に駆け込んだ。
ガラスケースの中で、カラフルなアイスキャンディーが誘うように並んでいる。
「ソーダ味を一つください」と言うと、おばあちゃんが笑顔で取り出してくれた。
包装を破り、一口かじると、甘くて冷たい味が口いっぱいに広がり、暑さを忘れさせてくれた。

【パターン2】
駄菓子屋の前で立ち止まる。
扇風機の風に吹かれながら、迷いに迷ってやっと選んだのは、懐かしのガリガリ君。
レジで小銭を数える間も、手の中で溶け始める。
外に出て、かじりつくと「シャリッ」という音と共に、爽やかなレモンの風味が広がる。
ああ、夏はやっぱりこの味だ。

【パターン3】
放課後の駄菓子屋は、子供たちでにぎわっていた。
僕は少し離れて、アイスクリームを舐めながら友達を待っている。
バニラの甘さと、コーンのサクサク感が絶妙だ。
溶けたアイスが指を伝い落ちそうになるたび、急いで舐め取る。
夕暮れ時の風が、ほんのり汗ばんだ肌を優しく撫でていく。

これらの出力は全て「意味を持たない死体」です。
でも、ここからが私たち作家の仕事。ネクロマンサーのように、これらの死体を解体し、再構築し、魂を吹き込んでいくんです。文章を「文」「単語」「漢字」などの単位に分解したあと、魂を注入し新たな「フランケンシュタイン的な創作物」として仕上げていく。フランケンシュタインも、限界までこだわれば、「美しい」と思う人が現れるでしょう。
ここの「魂の注入」が決め手となる。魂の注入に必要な「触媒」が人によって異なるだからです。それはあなたのアイデンティティであり、自分史であり、心象世界です。
以前書いた「創発」と「還元主義」の概念を使えば:

  • AIの出力は「還元主義的」な素材

  • 人間の解釈と再構築で「創発」を起こす

という役割分担ができます。

ちなみに、イラストだとこの役割分担がしにくいので、めっちゃ燃えやすい(笑)。

終わりに

難しい話が多くなってしまいましたが、ポイントは一つです:
「AIの出力には意味がない」
このことを理解すれば、AIに過度な期待をせずに済みます。
それでもAIに本文を書いてもらいたければ、ネクロマンサーになるしかありません。
死体と遊ぶネクロマンサーは気味悪いと思われ、村人に嫌われるかもしれない。
でも、それでもネクロマンサーになりたいなら...覚悟を持って戦うしかないです。

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