死にたい人へ。
これは、私が少し前に書いた、私が私を許すためのメモ。
あなたを許すための、メモ。
これから。
生きる。
ひとつ私に許しを与える。
もし、死にたくなったら。消えたくなったら。
そのときは、生きるためなら何をしてもいい。
人に迷惑をかけてもいい。
自分を傷つけてもいい。
朝ごはんにアイスを食べたっていい。
生きるためなら、何をしてもいい。
何をやめたっていい。何を諦めたっていい。
止まっても、後ろにさがっても、その場を回転してもいい。
食べたくないなら食べなきゃいい。
食べたければ好きなだけ食べればいい。
寝たくないなら寝なきゃいい。
寝たければ好きなだけ寝たらいい。
喋るのが辛ければ、黙ってればいい。
話したければ、好きなだけ話せばいい。
私は聞き上手じゃない。「この人に話したいな」って思わせる何かがあるだけで、聞くことを得意としているわけではない。
無理して聞かなくていい。
無理して合わせなくていい。
無理して話さなくていい。
嫌われるのが怖いなら、嫌われないように努力をしてもいい。
それが疲れるなら、いっそ嫌われた方がいいときもあるかもしれない。
認められたい。無条件に愛されたい。
そう思うことは悪いことじゃない。
嫌だと思った人とは、関わらなくていい。
無視してもいいし、冷たい態度をとってもいい。
舌打ちして、ため息ついて、睨みつけたっていい。
生きるためなら、何をしてもいい。
入院前にメモで残していた言葉は、
これから「生きる」ために、私のお守りになってくれるような気がする。
得ようとせず、手放して生きることの楽さ、難しさ。
それぞれきっと、同じくらい大きい。
私は、生きる。
とはいえ死にたいときもある。
当たり前のように外が暗くなると気分は落ちるし、嫌なことがあれば気分は下がる。
大空幸星さんの
「死んでもいいけど死んじゃだめ。」
という発言が切り抜かれた動画の多くは、コメント欄を見ると賛否両論あり、
この言葉に救われた私は、コメント欄を見ていて苦しくなった。
それぞれの苦しみがあって、それぞれの辛さがあって、出口まで奪われたらもう逃げ場がない。
出口を確保して生きることを許してくれるような大空さんの言葉たちは、私にとっては温かい言葉だった。
私はあなたに生きてほしい。
この汚い世界を、あなたと一緒に生きたい。
直接目を見て話すことはできなくとも、あなたとどこかで繋がっていたい。
いつかあの世で、「あんな日もあったね」、なんてあなたと語りながら、思い出話ができるように。
今日の夜が、あなたにとって少しでも優しく、柔らかいものでありますように。