Cotton
私の心の思い出箱
迷ったら、困ったら、まずはこれを読んでほしいです。自己紹介がてら。
苦しい夜が少しでも優しくなりますように。
※重い内容になっています。希死念慮や虐待などの話が苦手な方、フラッシュバックの可能性がある方は、読むのを避けてください。 高校1年生の春、公立高校に通い始めた私は、学校に行けなくなった。 不登校になったと同時に、母と私の関係は崩れて行った。 そのころ私はとてつもない希死念慮に襲われていた。 集団生活での息苦しさ、 流れていくような授業のスピード、 塾で勉強机に縛られる生活、 初対面の同級生との人間関係、 すべてが苦しかったのだ。 当時、保健室の先生によく相談をして
傘がいなくなってしまいました。 ビニール傘にお気に入りの天使のシールを貼って、「これは自分のもの」と自分でわかるように工夫したつもりだったのですが、いなくなってしまいました。 そんなことはどうでもいい(どうでもよくはない)のですが、 雨が降ったらどうしようかなとふと考えました。 出かけたい時に雨が降っていたら。 ずぶ濡れになって傘を買いに行くのもいいかな、なんて考えました。 今日は雨が降っていないから、とりあえず百均にレインコートを買いに行くのもいいかな、 なんて考え
メイクをする。 服を組み合わせる。 街へ出る。 その日歩いた道。 移動するのに使った乗り物。 遠くに見えた景色。 空の移り変わり。 柔らかな木漏れ日や真っ赤なカラーコーン。 ジュースの入っていない自販機。 私は姿勢を整えて、顔の力を抜くことを意識し、こんなポーズで大丈夫かな、表情変じゃないかな、なんて不安を抱えながら、作品の登場人物になる。 私は芸術が、好きだ。 構図が、形が、彩度が、光が、モチーフが、テーマが。 全てが整ったとき、それが「もの」から「作品」になるような
たすけて
ほしいものリストから送っていただきました。 たくさんありがとうございます。マルシェに向けて使用させていただきます。
初・マルシェ出店 マルシェ!!! 「いつか絵やグッズを売ってみたいなぁ、、」 いつか、いつかやりたいな、と思っていたのですが、来月(11月)に、とあるイベントでCottonのグッズを販売できるスペースを設けていただけることになりました。 イラストカードの制作や、販売時のディスプレイの構想など、初めてのことばかりで何から始めればよいかわからず、、。 試行錯誤中です。 絵に対する思い 絵を描く上で、描いている私、”Cotton”は、主役ではないと思っています。 あくまで
私は、私を許した。 中学2年生の秋、精神科に通い始めた。 うつ病・摂食障害・心身症。 薬を処方され、私は障がい者になった。 高校1年生になり、入院のために転院してからは、 双極性障害・自閉症スペクトラム・解離性障害と、診断名が変わった。 障害者手帳を取得した。 高校2年生になると、別の病院で新たに診断名が加わり、 愛着障害、広く言えばPTSDだと診断された。 何が言いたいか。 皿の割れる音が聞こえる家庭で、学歴主義の親を喜ばせるために高校受験のための勉強を続けて、
離れて暮らしていることに、罪悪感を覚える。 妹からのSOS。 母からの、父に対する愚痴。 母と妹を児相に繋いだが、母は父と離れることを諦めてしまった。 ママは強いのに。 ママはパパと一緒じゃなくても生きていけるくらい、強いのに。 母だけのせいじゃない。わかってる。 母を孤独にした生育歴、家庭環境。 私は、全てが、悔しい。 お願いだから、妹たちの気持ちを考えて。 妹たちは、できるならママと暮らしたいんだよ。 でもパパが怖いんだよ。 パパと一緒に暮らすのが、息
入院して1ヶ月ほどたったある日の夜、私の目の前には私がいた。 その夜は何をしても落ち着かなくて、消灯時間までまだ時間があったけれど、早めに部屋の電気を消して、「泣きつかれたら眠れるだろう」なんて考えながら自室で泣いていた。 過去の風景や出来事が、暗いベールをまとった映像となって、頭の中で上映されていた。 外の明かりが部屋を薄く照らす中、泣き疲れてふと顔を上げると、目の前には、体育座りで泣いている私がいた。 目の前にいる”私”は、今の私よりも少し幼く見えて、 「過去から、
雲が橙の空に解けそうな秋の始まりの日、私は心を遠くにとばしてミックスゼリーだかみかんゼリーだかを食べた。 あんなに悲しかったはずなのに、もうあの日食べたゼリーの種類も覚えていない。 一生忘れないと信じていたあの景色も、4年経つと、輪郭を失って''記憶''になってしまった。 あの日が始まりだった。 あの日から、景色が変わって見えた。 自分の生きている世界がどんなに汚いか。 生きているいうことがどんなに汚いか。 今が消えない感覚。 何も過去から進まなくって、未来なんてなくて
・あの日の言葉 「辛かったね」 そう言われて、涙が流れた。 「私がやらかしたから」 「私が上手くやれなかったから」 そう言う私に、新しいホームの職員さんは表情の色を落として、 「辛かったね」と、言った。 「辛かったね」の言葉を聞いた時、私は胸がいっぱいになって、ただ涙を流すだけで何も言えなかったけれど、あの時私は、きつい色をした過去の出来事や生活を、両手で優しく包んでもらえたような、そんな温かい気持ちになった。 「辛かったって思ってもいいんだ」 と、初めて自分の中の
ほしいものリストから、参考書やCDプレイヤーなど届きました。 英検のリスニングの対策をしたかったので、とても助かりました、、! 大切に使わせていただきます。
・ゴール 入院中に18歳を迎えた私は、安心していた。 「今日、死ななくていい。」 閉鎖された何も無い空間で、命を絶つ方法も思いつかなくて、 「死ねない。から死ななくていい。」 と、安心していた。 誕生日に死んでやる、と考えていた15歳の頃。16歳の誕生日は、やはり病院で迎えていた。 「あーあ死ねなかった。」 って、残念だった。 でも、「入院してる」という死ななくていい理由ができた気がして、暗い気持ちの中、どこか安心していた。 この世から離れたい人にとって、「ゴール」の日
3ヶ月間。世の中から隠れていた期間、私は透明だった。 透明な中で、他の人が見えないところで、 耐えて耐えて耐えて。 少しずつ世界が明るくなって。 変わって。変わらなくて。 進んで。止まって。 そんな日々を過ごしてたように感じる。 ここから先は、入院の経緯、入院前や入院中の心の中、入院中のできごと、これからのこと、自分のための記録として残しておくために書きます。 暗くて、救いがあるようなないような。 そんな内容なので、沈んでいる方、沈みそうな方には読むことをおすすめしません。
5月から入院し、今日退院しました。 メッセージをくださっていた方、ほしいものリストから送ってくださった方、本当にありがとうございます。
初診の日 「死にたくなるのはどんなとき?」 転院先の病院で聞かれた。 「過去のことを思い出して苦しいとき。」 そう言うと、症状にフラッシュバックという名前が つけられた。 「フラッシュバックは治るものだよ。」 と言われた。 無くなるものだなんて、治るものだなんて、思っていなかった。永遠に続く苦しさだと思っていた。 今も半分はそう思っているが。 フラッシュバックの対処法を知らずに記憶を掘り起こすのは危険だそうで、対処法をこれから教えていくね、と言って、その日にいく