あってはならない感情なんて
・あの日の言葉
「辛かったね」
そう言われて、涙が流れた。
「私がやらかしたから」
「私が上手くやれなかったから」
そう言う私に、新しいホームの職員さんは表情の色を落として、
「辛かったね」と、言った。
「辛かったね」の言葉を聞いた時、私は胸がいっぱいになって、ただ涙を流すだけで何も言えなかったけれど、あの時私は、きつい色をした過去の出来事や生活を、両手で優しく包んでもらえたような、そんな温かい気持ちになった。
「辛かったって思ってもいいんだ」
と、初めて自分の中の負の感情を認められたような、そんな気がした。
・あってはならない感情なんて。
「辛さ」「きつさ」「苦しさ」「憤り」「怒り」
世の中には、あってはならない感情があると決めつけ、その感情を外に出す人を見つけると、攻撃しようとする人がいる。
「こんな大したことないことで落ち込んでしまった」
「みんな自分より頑張ってるのに、どうして私は辛いと感じてしまうんだろう」
自分の中にわいた負の感情に対して、また新たな負の感情が出てくる。
「私は頑張れていない」
1度そう思うと、ブレーキが壊れてしまう。
『負の感情』と呼ばれるような感情が自分の中に現れたとき、それを外に出すことは勇気がいることだなと私は思う。
「みんなもっと頑張ってるよ」
「元気だしなよ」
「次から気をつけよう」
「それはあなたが悪い」
「こうすれば良かったのに」
「そういうところがだめなのよ」
なんて、言われたらきついから。
想像できることは起こり得るのではないかと考えてしまうから。
自分の負の感情をオープンにして伝えるのは、私にとってはとても勇気がいる。
否定も、アドバイスも、その人の武勇伝も、自分がきついときに言われると、自分がよりきつくなる材料になるだけだった。
全てが「きれいごと」に聞こえてしまって、「他人事」で話されているような気がしてしまって、
「あぁ、誰にも言わなきゃよかった」
「次からは1人で耐えよう」
と悪循環になってしまっていた。
・「正欲」を読んで
朝井リョウさんの著書、「正欲」は、映画化もされ、多くの人の記憶に残っているのではないだろうか。
私は本でしか読んだことがないが、いくつかの文章がとても印象に残っている。
お守りにも、教訓にも、風刺にもなるような、人によっては「結局何が言いたかったの?」となってしまうような。
読後の捉え方や感想が人によって様々に分かれる、興味深い作品だと思う。
''これは、共感を呼ぶ傑作か?目を背けたくなる問題作か?''
とキャッチコピーにあったが、
みんながみんな共感できる作品ではないと思うし、
今まで透明に存在していた人々にスポットライトをあてた傑作とも言えるだろうし、
「明日生きること」を前提としている世界、社会に違和感を抱いたことのない人にとっては、問題作として存在しても不思議ではない作品なのだろうなと、読後考えた。
読み終わったあと、この一文が、どうしても頭から離れなかった。
図書館で返却を終えたにもかかわらず、すぐに図書館の中を探して、もう一度その文章を探したくらい、頭から離れなかった。
「季節」は、人によって見え方が違うと思う。
「春は桃色」
「夏は青」
「秋は茜色」
「冬は鼠色」
と、その人にとっての色や印象やある人もいれば、季節なんて関係なくて、世界は常にくすんでいて、暗い色をしている、と感じる人もいると思う。
他の人の人生は、どんな季節で溢れているのだろう。
マイノリティがマジョリティを考えることはあっても、マジョリティがマイノリティを、さらにはマイノリティのなかのマイノリティを想像する機会なんて、ないに等しいだろう。
私はこの本を読んで、いま世の中に存在している「多様性」が、「綺麗事」に感じた。
多様性が自己満足で終わらないように、日々学びながら生活できたらいいなと思う。
・おわりに
この記事を読んでくださった方へ。
読んでいただきありがとうございます。
おすすめの本があったら教えてくださると嬉しいです。どうしても読む本の傾向が偏ってしまって、、。
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